行者堂の上棟式を営む (那智山青岸渡寺 )
那智勝浦町の那智山青岸渡寺(髙木亮英住職)は27日、同寺敷地内で、熊野信仰・山岳宗教のシンボルとなる「行者堂」の上棟式を営んだ。髙木住職や髙木智英副住職、熊野修験の山伏、建設を行う岐阜県関市の亀山建設の亀山直央代表取締役や関係者ら約50人が参列。再建が近づく行者堂の棟上げが無事に終えられたことへの感謝をささげ、完成までの安全を祈願した。
同寺では、明治初年の神仏分離・廃仏毀釈(きしゃく)と1872(明治5)年の修験道廃止令によって元あった行者堂が取り壊された。
その後、髙木住職が亡き父への追善供養と自らの使命感から1988年に熊野修験を再興。行者堂再建は髙木住職や熊野修験らにとって、かねての目標・念願だった。
行者堂は三間四方の木造平屋建てで、敷地面積は42・54平方㍍。工期は今年10月20日(金)までだが、同月18日(水)に竣工(しゅんこう)式に当たる落慶法要を予定。完成後は熊野信仰や熊野修験における自己再生の道場として利用される。
上棟式では、山伏のほら貝が鳴り響き、髙木住職らが読経。続いて、建物の末永い安泰を祈念する工匠式が同社によって斎行された。棟梁(とうりょう)らが伝統的な工匠の礼装に身を包み、作法にのっとって、「曳綱ノ儀」や「槌打ノ儀」を行った。
式後、亀山代表取締役は「名刹(めいさつ)の行者堂再建に携わることができ、感謝している。この建物は太い柱、太い部材で構成されている。古くからの技術を遺憾なく発揮し、歴史ある建物として行者堂の復興に向けて、精いっぱい努めてまいります」と話した。
智英副住職は「本日を迎えることができたのは熊野修験、関係者の皆さまや亀山建設さまのおかげ。完成後は日本一の行者堂として、熊野修験の根本道場として、研さんを積んでいきたい」と感謝を述べた。
髙木住職は「父・亮孝大僧正の熊野修験への思いを感じ、復興に至った。亀山建設さまのご支援で、約150年ぶりに熊野修験の根本道場である行者堂が再建される。多くの方々のご協力に感謝している。再建を通して熊野信仰を一人でも多くの方々に知っていただき、熊野の自然や霊気霊験に触れ、心の再生につなげてほしい」と語った。
(2023年5月28日付紙面より)
![](../../dbm/imgdb/img200/20230528010101.jpg)
![](../../dbm/imgdb/img200/20230528010102.jpg)
紀伊半島の海亀を守る会 (新宮市 )
ウミガメの保護活動を展開する「紀伊半島の海亀を守る会」(山舗徹哉会長、環境ファースト連合会会員)の会員らは27日、アカウミガメの産卵シーズンを前に、新宮市王子ヶ浜のふ化場周辺で清掃活動を実施。約10人が草刈りや溝掃除、海水ポンプの点検などに汗を流した。
同浜は絶滅危惧種・アカウミガメが訪れる世界でも数少ない海岸の一つ。同会は、波浪流失や小動物の捕食被害からアカウミガメの卵を守るための保護活動を行っている。
アカウミガメの上陸・産卵シーズンは5月中旬から8月半ばごろまで。1回の産卵で平均110~120個の卵を産み、60~80日でふ化する。卵は海岸に隣接するふ化場に移し、ふ化した子ガメは秋ごろに海に戻される。
同会は、アカウミガメの上陸・産卵を確認するために、今季は今月14日から早朝パトロールを開始。14人が交代制で毎朝午前5時から確認作業を行っている。
昨年は6月14日に初上陸と産卵を確認。8月1日までに5匹の親ガメの上陸が確認され、うち4匹が計489個を産卵し311匹がふ化。毎年秋に、地域の子どもたちを招いて同浜でウミガメの放流会を開催しているが、新型コロナウイルス感染症や天候不良の影響で、過去4年間は実施に至っていない。
山舗会長は「上陸・産卵があって今年こそは5年ぶりに子どもたちと一緒に通常規模の放流会を行うことができれば」と期待を込めた。
(2023年5月28日付紙面より)
![](../../dbm/imgdb/img200/20230528080101.jpg)
くろしお乗り表敬訪問 (紀勢線の今後を考える協議会 )
紀勢線の今後を考える協議会(立谷誠一会長=元白浜町長)の和歌山県知事やJR西日本和歌山支社長への表敬訪問に参加するため、関康之副会長(=新宮商工会議所会頭)など3人は26日、JR新宮駅から特急くろしおに乗り込んだ。和歌山駅までの利用で協力する姿勢を示した上で、会が実行中の利用促進策を伝えた。
同会は、南紀州の民間事業者や有志が集まり、昨年の11月中旬に発足。本紙エリアからは新宮市観光協会や那智勝浦観光機構、南紀串本観光協会事務局長、新宮ガス社長、新宮信用金庫理事長、新宮商工会議所専務理事も参加している。紀勢線の特に白浜―新宮間の利用率が低く、存続が危ぶまれることから、対策を協議している。
まずは活動を認知してもらおうと訪問を決めた。協議会として利用促進のため▽白浜―新宮間の各駅周辺施設の共通マップ作製▽地元企業や官公庁などへのJR利用促進依頼▽JR各駅周辺の駐車場情報案内▽JR各駅から2次アクセスを含めた案内をまとめる―などを行っていることも説明した。
利用促進を目指すことを行動で示すため、訪問の参加者が地元各駅でくろしおに乗り込んだ。関副会長は出発に際し「(利用促進は)地域一体となり考える必要がある。月に1回、JRに乗りましょうキャンペーンをやるなど、何らかの形で利活用を考えていかないと」と力を込めた。
JR西日本は昨年4月に、利用者が少ない路線の収支を公表。2017~19年度の赤字額の平均は、紀勢線の新宮―白浜間がワースト2位の28億6000万円だった。
(2023年5月28日付紙面より)
![](../../dbm/imgdb/img200/20230528010201.jpg)
那智勝浦ゴルフ倶楽部レディース杯
総合スポーツ大会グラウンドゴルフ (ゆうゆうクラブ )
熊野川町の小中保 (新宮市 )
新宮市立熊野川中学校(松本潤校長)、同市立熊野川小学校(水本紀史校長)、三津ノ保育所(田端晴美所長)の合同運動会が20日、新宮市熊野川町の若もの広場であった。生徒16人、児童40人、園児5人が参加。晴天の下で爽やかな汗を流した。
「笑勝良(えんじょい)~魅せよう自分たちらしさ~」をスローガンに実施した。開会に当たり、水本校長があいさつ。「昨日まで練習してきた成果をしっかりと発揮し、今日は元気な姿を見せて。一日しっかり楽しみましょう」と呼びかけた。小学校6年生で児童会長の平野菜つさんも「練習の成果を発揮し、楽しい運動会に。自分たちらしさを十分に発揮して頑張ろう」と語った。
競技は徒競走やダンス、玉入れ、借り物競走、パン食い競争、リレーなどがあった。徒競走では、参加者が全力で疾走。一緒に走る友人と懸命に速さを競っていた。園児のダンスでは楽曲に合わせて、かわいらしい踊りを披露していた。
訪れた保護者は、目を細めつつ声援を送り、カメラやビデオで子や孫の様子を撮影するなどしていた。
□ □
なお同日、新宮市立の緑丘中学校と光洋中学校、太地町立太地中学校でも体育祭が行われた。新宮市立城南中学校、那智勝浦町立の宇久井中学校、那智中学校、下里中学校も開催を予定していたが、前日の雨天の影響で順延となった。
(2023年5月21日付紙面より)
![](../../dbm/imgdb/img200/20230521010101.jpg)
納税協会と納税貯蓄組合が総会 (新宮市 )
公益社団法人新宮納税協会(横手章郎会長)の「第13回定時総会」と新宮納税貯蓄組合連合会(森川起安会長)の「第64回定時総会」が19日、新宮市井の沢の新宮商工会議所であった。それぞれ令和5年度の事業計画などを承認した。
納税協会総会で横手会長は、関係各位の理解と協力に感謝を示し「今後も税務当局の指導、関係機関との連携の下、健全な納税者の公益を担う団体として事業活動を展開していく」と協力を呼びかけた。
議案審議では新任理事・監事を選任。本年度は▽税務指導・税務相談などの実施▽説明会や講演会などの開催▽e―Tax研修会、簿記教室などの開催▽租税教室▽納税だよりの発行・配布▽地域のイベントへの参画▽税の作品への表彰▽税制改正要望に関する意見聴取―などを実施していく予定。
納税貯蓄組合連合会総会では、森川会長が毎年管内の中学生から募っている税の作文について、昨年度は太地中学校の生徒が国税庁長官賞を受賞したことや、デジタル申告・納税推進の宣言式などに触れ「納税協会と共に、納税道義の高揚を図るためこれからも引き続き啓発運動に尽力していきたい」と誓いを新たにした。
本年度は▽納税協会との一体的運営の一層の推進▽デジタル申告・納税の推進▽中学生の税についての作文募集・表彰活動▽女性部の活動―を重点施策として取り組んでいく。
各総会の開催に当たり、来賓の河野武・新宮税務署長は、両会の税務行政への協力と理解に感謝を表し、10月から開始するインボイス制度に言及。「これからも太いパイプをもって皆さんと協力してやっていきたい」と伝えた。
東牟婁振興局の玉置昌彦・地域振興部長は「振興局としても、適正かつ公平な税務行政の執行はもとより地域の皆さまの信頼にお応えできるよう努めていきたい」と鳥羽真司・東牟婁振興局長の祝辞を代読。
田岡実千年市長は「税の役割の重要性は大切。行政としても、税によってまちづくりが成り立っているということを、市民の皆さまに訴えていきたい」とあいさつした。
(2023年5月21日付紙面より)
![](../../dbm/imgdb/img200/20230521090101.jpg)
![](../../dbm/imgdb/img200/20230521090102.jpg)
![](../../dbm/imgdb/img200/20230521090103.jpg)
「田植えの集い」に650人 (丸山千枚田 )
緑豊かな田園風景が広がる熊野市紀和町の丸山千枚田で20日、「田植えの集い」が行われた。今年は県内をはじめ神奈川、愛知、大阪などからオーナー81組315人と地元の児童生徒、ゆとり協会の会員ら約650人が参加した。
丸山千枚田は1601年に2240枚の田があったと記録されるが、1990年ごろには530枚まで減少。93年に丸山千枚田保存会を結成し、保全活動により現在は1340枚まで復田した。市ふるさと振興公社が96年度からオーナー制度を採用し、今年は154組885人の応募があった。
田植えの集いは、新型コロナウイルスの影響で中止が続いていたが、昨年から再開。オーナー家族らははだしや長靴で水田に入り、スタッフや千枚田保存会の会員の指導で県育成品種「なついろ」の苗を手で植え込んでいた。
家族連れでの参加も多く、子どもたちは「おいしいお米に育って」と願いつつ、泥んこになりながら田植えを楽しんだ。公社によると、稲刈りは9月上旬ごろを予定しており、12㌧の収穫を見込んでいるという。
□ □
丸山千枚田で6月10日(土)、豊作を願う伝統行事「丸山千枚田の虫おくり」が4年ぶりに復活する。
虫おくりは、1953年まで丸山地区で行われていた害虫駆除の行事で、2004年に熊野古道が世界遺産に登録されたことを記念して再開した。
田んぼの枚数と同じ1340本のたいまつをともして幻想的な情景の中を鐘や太鼓を鳴らし、「虫おくり殿のお通りだい」と声をかけながら練り歩く。
紀和の夏の風物詩として定着していたが、新型コロナウイルスの影響で20年以降、3年連続で中止となっていた。
当日は、午後6時からキャンドルに点灯、7時から虫おくり行列が丸山神社を出発。8時から北山砲を発射する。
雨天時は17日(土)に延期となる。問い合わせは熊野市地域振興課(電話0597・97・1113)まで。
(2023年5月21日付紙面より)
![](../../dbm/imgdb/img200/20230521050101.jpg)
なちかつ古道を守る会 (那智勝浦町 )
「なちかつ古道を守る会」(地庵晋司会長)は17日、那智勝浦町浦神の浦神峠周辺で草刈りを行った。会員14人が参加し、協力して作業に汗を流した。
浦神の海蔵寺や炭焼き窯などより、さらに山側に進んだ場所にある浦神峠。世界遺産には認定されていないが、立派な古道が残されており、頂上の「休平」付近からは海を眺めることができるという。同会では、浦神峠だけでなく、定期的に各地にある古道の整備や清掃を行っている。
今回は古道周辺に生え、歩行に障害を来すような雑草などを鎌や草刈り機、じょれんを用いて取り除いた。
会員らは協力しながら、作業を進めるとともに、和気あいあいと交流も深めた。
作業開始前、地庵会長は来月に実施される「紀州路クリーン大作戦」への参加要請があったことを報告し「晴天で気温も高くなる中、皆さんにご参加いただきありがたい。刈りづらい草なども多くあるが、心を寛大に持って取り組んでください。作業にはじゅうぶん、注意を払ってほしい」と話した。
□ □
同会では過去に、町内の熊野古道を紹介した「那智勝浦町内 熊野古道マップ」を作製している。手書きの地図やイラストで、町内各所の古道が一目で分かる工夫がなされているマップだ。
現在、新たに刷り直し、町観光案内所や那智勝浦観光機構(NACKT)で無料で手に入るという。
同会では「ぜひ、手に取っていただき、町内にある熊野古道を知ってもらいたい。機会があれば、歩いていただければ」と話している。
(2023年5月21日付紙面より)
![](../../dbm/imgdb/img200/20230521010201.jpg)
![](../../dbm/imgdb/img200/20230521010202.jpg)
補陀洛山寺で春まつり (那智勝浦町 )
補陀落渡海の信仰で知られる那智勝浦町浜ノ宮の補陀洛山寺(髙木智英住職)で17日、年中行事の一つ「春まつり」があった。新型コロナウイルスの影響で昨年は僧侶と信者のみで斎行されたが、今年は4年ぶりに一般参拝者も集まった。熊野修験の山伏も参列し、約30人が集まる中、法要が営まれた。
補陀落渡海は、平安時代から江戸時代まで行
われた宗教儀礼。観音の浄土、補陀落山に往生しようと多くの行者が渡海した。渡海上人が一度乗り込むと出入り口には板が打たれ、外に出られないようにした状態で、海のかなたへ出航したという。
この日、世界遺産に登録されている本堂では、国重要文化財の本尊「三貌十一面千手千眼観世音菩薩(ぼさつ)」を開帳した。
信者が手を合わせる中、髙木住職らが読経を行った。大護摩祈祷(きとう)では、熊野修験の山伏のほら貝も鳴り響き、髙木住職らと共にコロナ終息や世界平和を祈った。
その後、同寺裏山にある渡海上人の供養塔と歴代住職の墓地で追善供養も営まれた。
髙木住職は「4年ぶりに一般の方々にも参列していただくことができ、ご本尊様も良いお顔をされていたと思う。コロナの5類移行もあり良い方向に進んでいるが、終息したわけではない。毎日、継続して世界平和や疫病退散、人々の安穏を祈願していく」。
補陀落渡海については「平安時代から多くの方々が行ってきた宗教儀礼。歴代の渡海上人や住職がいてくれたからこそ、今日がある。その強い意志や背中を引き継いでいきたい」と語った。
(2023年5月19日付紙面より)
![](../../dbm/imgdb/img200/20230519010101.jpg)
![](../../dbm/imgdb/img200/20230519010102.jpg)
絵本第2弾の作成など発表 (南紀熊野ジオパーク )
南紀熊野ジオパーク推進協議会が17日、絵本「南紀熊野の民話『クジラとモグラ おいの伝説』」を作成したことなどを発表した。
民話に親しむところから地質資源への興味を引き出す趣旨で前年度に作成した絵本「南紀熊野の民話『橋杭岩の立岩伝説 河内島(こうちじま)と鯛島(たいじま)』」に続くシリーズ第2弾で、フルカラー25㌻構成。クジラとモグラは那智勝浦町にある那智の滝、おいの伝説は新宮市にある浮島の森の民話で、前回同様に作中は地域の言葉(今回は新宮弁)とし、巻末に標準語の文をつける形で仕上げている。
挿絵は第1弾に続き大江みどりさんが担当。鉛筆で実物の凹凸を写し取る技法「フロッタージュ」の表現を取り入れ、今回は岩に加えて浮島の森にちなみ植物の葉のフロッタージュ作品も盛り込んでいる。各民話の最後では関係するジオサイトを写真や図を織り交ぜて解説している。
教材として活用してもらい幼児~児童の段階から興味を持ってほしいという思いから同パークエリア内の小学校40校や幼児教育・保育関係38施設に絵本版を配布していて、県立図書館=和歌山市=や情報交流センターBig・U=田辺市=で6月ごろから閲覧可能となる予定。
串本町潮岬にある南紀熊野ジオパークセンター内ではゴールデンウイーク前から絵本版を先行披露中。絵本版の一般配布はしていないが、同パーク公式ホームページ内でPDF版の公開(トップページにあるお知らせ欄内の発表を参照)を始めていて内容を確認できる。作成記念として6月14日(水)から7月31日(月)まで、同センター内で原画展も開く予定という。この絵本の問い合わせは同協議会事務局(電話0735・67・7100)まで。
(2023年5月19日付紙面より)
![](../../dbm/imgdb/img200/20230519060301.jpg)
鵜殿西遺跡で発掘調査進む (紀宝町 )
紀宝町鵜殿の鵜殿西遺跡で三重県埋蔵文化財センターによる発掘調査が進んでいる。2018年度から開始し、昨年度は第7~9次調査を実施、鎌倉時代から室町時代の屋敷地の構造を詳しく把握する上で重要な成果が得られたという。
遺跡は熊野川河口部に位置し、対岸には熊野速玉大社や国指定史跡の新宮城跡、中世の湾港に関係する施設が見つかっている新宮下本町遺跡などがある。
鎌倉時代から江戸時代を中心とした集落遺跡で、西側の山には鵜殿城跡があることから、鎌倉時代から室町時代に活躍した有力者、鵜殿氏との関わりが想定されている。
複数の溝が遺跡内に南北方向と東西方向に何本も造られており、これまでの調査で溝に区画された土地の中に大型の掘立柱(ほったてばしら)建物などが見つかった。
建物以外には、井戸や土坑を複数発見。伊勢産や大坂堺産、播磨産の土器や瀬戸・美濃産、備前産の陶器など東海地方と西日本各地の土器や陶磁器、中国産の青磁と呼ばれる高級品が出土した。
昨年度は屋敷地を区画する複数の溝のうち、西側を調査したところ、幅5㍍、深さ1・2㍍もある大規模なものだったことが分かった。出土遺物には中国から輸入された青磁などの破片もあった。
本年度は今月から第10次調査に着手する計画。今後、土器や陶磁器などの整理を進め、鵜殿西遺跡の屋敷地に、どのような人が住み、生活していたのかを検討する予定だという。
(2023年5月19日付紙面より)
![](../../dbm/imgdb/img200/20230519050101.jpg)
![](../../dbm/imgdb/img200/20230519050102.jpg)
下里小が大浜クリーン作戦 (那智勝浦町 )
アカウミガメの産卵シーズンを前に、那智勝浦町立下里小学校(堺高行校長)と玉の浦リップルズクラブのメンバーが15日、同町の大浜海岸でクリーン作戦を実施した。全校児童72人が漂着した流木やごみを拾い「今年こそ、安心して産卵してもらえるように」と期待を込めた。
太田川河口に位置する大浜海岸には、毎年6~8月にアカウミガメが産卵のために上陸する。子どもたちに地域の歴史や自然について伝える「玉の浦リップルズクラブ」が30年以上にわたってパトロールや保全活動を行い、台風による増水で流失する可能性がある卵を浜のふ化場で保護している。
この日は海洋教育の一環として「ウミガメ学習」を行う5年生12人が中心となり、全校児童に「みんなで浜をきれいにしましょう」と呼びかけた。学習を支援している同クラブの湊久和さんは「大浜に産卵に来るのはアカウミガメという種類で、1回の産卵で約120個、多いときには150個の卵を産む。ふ化したウミガメは、黒潮に乗ってアメリカのカリフォルニアまで旅をして、産卵のためにまた戻ってくる。昨年は上陸があったものの、産卵には至らなかった。今年こそ産卵に来てもらえるように」と語った。
児童は縦割りの8班に分かれ、前日の荒天で浜に漂着した流木や枯れ葉を集め、プラスチックやガラスなどの人工物を分別した。
西麻陽さん(5年)は「昨年に比べて、プラスチックのごみが多かった印象がある。みんなが頑張ってくれたので、最初と比べると、すごく浜がきれいになったと思う」と話していた。
(2023年5月17日付紙面より)
![](../../dbm/imgdb/img200/20230517010101.jpg)
![](../../dbm/imgdb/img200/20230517010102.jpg)
不二流体術が演武奉納 (熊野速玉大社 )
古武術の不二流体術和歌山県支部新宮道場(責任者=山本盛夫師範代)は14日、新宮市の熊野速玉大社(上野顯宮司)で奉納演武会を開いた。大嶋竜太郎・第三代宗家や同道場生ら18人が体術を披露。雨のため、奉納は拝殿で行われたが、多くの参拝者らが演武に見入った。同大社での奉納は9回目となる。
不二流体術とは、突き、蹴り、投げなどといった古来から伝わる日本伝統の総合武術で、審判のいないルール不在の中で行われるのが特徴。開祖・古賀不二人師が、合気道開祖・植芝盛平師、親和体道開祖・井上方軒師を源流に、真の合気武術を目指してより実践的に練り上げた。
二代宗家・田中光四郎師を経て、現宗家の大嶋さんに伝えられた奥義は、講道館出身の柔気流宗家・八木不動師から伝授された柔気流の技を加えて、今や一段と深みを増している。
新宮道場は11年前に発足。道場生らは山本師範代や平瀬公士初段らの指導の下、同市木ノ川会館で稽古に励んでいる。
奉納奉告祭の後に行われた奉納演武では、道着やはかま姿の演武者の技の数々に、居合わせた参拝者らが大きな拍手を送った。また、今回の奉納では、熊野鬼城太鼓(湊達也代表)の演奏と「藤紀流」藤紀実美家元による舞踊も奉納された。
演武を見守っていた上野宮司は「小さなお子さんも一生懸命に演武に励んでおり、将来の達人を目指しておられる姿に感銘を受けた。武道は神様を仰ぎ、己を律していく、日本人古来の生き方を実践しておられる」と大嶋宗家らに感謝を伝えた。
山本師範代は「新型コロナも5類に移行となり、今回は気持ち的にも思いっきり演武することができた。何事も継続が大事で、回を重ねるごとに皆のレベルも上がる。これからも繰り返し継続してやっていきたい」と思いを語った。
新宮道場の稽古日は毎週月・木曜日で子ども教室は午後7時~、一般は8時~。初心者や女性も歓迎している。問い合わせは山本師範代(電話090・1266・2684)、平瀬さん(電話090・7112・1087)まで。
(2023年5月17日付紙面より)
![](../../dbm/imgdb/img200/20230517080201.jpg)
![](../../dbm/imgdb/img200/20230517080202.jpg)
![](../../dbm/imgdb/img200/20230517080203.jpg)
![](../../dbm/imgdb/img200/20230517080204.jpg)
望楼の芝の海軍望楼跡 (串本町 )
串本町潮岬にある望楼の芝の一角、旭の森内に残る海軍望楼跡=写真①。最近の松枯れ対策で森が半ば切り開かれ、以前より訪ねやすい状態となっている。
旭の森は県道潮岬周遊線から本州最南端の展望所に向かって右手にある木々の茂み。その南側の林中に海軍望楼跡があり、切り開かれたことで周囲には望楼とは別の遺構も散見できる。
町教育委員会発行の冊子「串本町の戦争遺跡」によると、この望楼は1894年の海岸望楼条例公布に伴い沿岸監視拠点として設置。1900年に海軍望楼と名称変更され、手旗信号で沖合を通る船舶と交信しては有線通信で海軍省などへ伝えるなどの役割を果たしていた。無線通信の普及により望楼の歴史的使命は終わり、10年に廃止となった。その当時は官舎2棟が付帯し、家族含め14人が常駐していた記録も残っている。
後に太平洋戦争が始まり船舶を攻撃する敵潜水艦を監視する見張り台として一時的に活用されたが、戦後は役目を帯びることなく旭の森で覆い隠されている。取り壊されることはなく、75年ごろまでは屋根が残っていたがその後に崩落したとある。
望楼の芝は古く楠平見と呼ばれていたが、望楼が設置されたことで現在の呼び名に。太平洋戦争時に機銃掃射を受け、残存する壁にはその弾痕=写真②=を今も見ることができる。表層を砕き割り内部のレンガを深くえぐる穴は人力では到底再現できるものではなく、戦争はそのような凶弾を人に向けて放つ。海軍望楼跡は町が2011年に平和の尊さを考えさせる戦争遺跡の一つとして指定し、呼び名の由来でもあるその存在が改めて知られるところとなっている。
(2023年5月17日付紙面より)
![](../../dbm/imgdb/img200/20230517050201.jpg)
![](../../dbm/imgdb/img200/20230517050202.jpg)
多くの日が好天に恵まれた今年のゴールデンウイーク(GW)中、熊野三山にも多くの参拝客が訪れた。熊野本宮大社(九鬼家隆宮司)では、4月29日から5月7日までの9日間の合計で8万人を超えた。
熊野本宮大社の各日の内訳は▽29日が約2800人▽30日が約6600人▽1日が約6450人▽2日が約8770人▽3日が約1万830人▽4日が約1万5450人▽5日が約1万7280人▽6日が約9590人▽7日が約3200人―だった。
同大社の神職は「正月ぐらいの人出で、参拝客が神門の外まで並んでいた。交通整理や、境内での人員整理が必要なぐらいの状況だった」と述べた。
熊野那智大社(男成洋三宮司)では、いずれも3日、4日、5日の順で▽約2000人▽約3000人▽約3500人が参拝。那智の滝には▽約2910人▽約3250人▽約3420人が訪れた。
今年と同じく行動制限がなかった昨年のGWは、同じく3日、4日、5日の順で、熊野那智大社が▽約1700人▽約2000人▽約1600人。那智の滝は▽約1800人▽約2010人▽約1830人だった。比較すると、いずれの日も昨年より増加したことが分かる。
同大社の神職は「体感では、1割から2割ほど増えたように感じた。4日の午後から5日の終わるぐらいが忙しかった」と話した。
熊野速玉大社(上野顯宮司)では、人数までは分かりかねるものの、神職の印象としては「昨年のGWより多かったように感じた」とのことだった。
(2023年5月17日付紙面より)
![](../../dbm/imgdb/img200/20230517010201.jpg)
総合スポーツ大会ソフトテニス (ゆうゆうクラブ )
県スポ少剣道東牟婁予選
熊野速玉大社で鈴緒など取り付け (コロナ、8日から5類へ移行 )
新型コロナウイルスの感染症法上の分類が、季節性インフルエンザと同じ5類に移行した8日、新宮市の熊野速玉大社(上野顯宮司)では、感染対策のために取り外していた「鈴緒」と手水舎の柄杓(ひしゃく)の取り付け作業を実施した。鈴緒などが元に戻るのは約3年ぶりとなる。
感染対策は、法に基づき行政が要請や関与をする仕組みから、個人の自主的な取り組みを基本とした考え方に変わる。政府は基本的対処方針を廃止。業種別ガイドラインもなくなり、事業者の判断に委ねられる。
神社本庁は2020年10月、各神社が行う新型コロナウイルス感染症拡大防止策の指針として「神社における新型コロナウイルス感染症対策ガイドライン」を策定。神社庁を通じて各神社に対策の検討を求めていた。
同大社では通達に先んじて、同年の年明け早々、鈴緒や柄杓を撤去するなど対策を実施。社会的距離が確保できるよう参拝路を設定したり、各所に消毒液を配置したりして感染対策を実践してきた。
この日は、神職が神前で奉告祭を執り行った後、拝殿で約3㌢の小さな鈴約15個をまとめた「速玉鈴」の取り付けに当たった。水がたまる部分をふさぎ、竹筒から流れ出る水で手を清めるようにするなどしていた手水舎では、上野宮司らが竹筒を撤去。8本の柄杓を並べ、参拝者を迎え入れた。
「速玉鈴」取り付け後、最初の参拝者となった愛知県豊川市から夫婦で訪れた60代男性は「鈴の音が爽やかで心が洗われるよう。朝一番で来て良かった」と笑顔。
上野宮司は「やっと鈴の音が戻ってきた。神社本来の姿に近くなってうれしい。この日を待ち望んでいた。しかし、(5類に移行したからといって)慢心するのではなく、基本的な感染症対策を講じていきたい」と話していた。
なお、同大社では引き続き各所に消毒液を配置するほか、神職や巫女(みこ)らはマスクを着用し参拝者の対応に当たっていくとのこと。また、換気が困難な「熊野神宝館」来館の際には、マスク着用への協力を呼びかけていくとしている。
(2023年5月9日付紙面より)
![](../../dbm/imgdb/img200/20230509010101.jpg)
![](../../dbm/imgdb/img200/20230509010102.jpg)
花火大会は中止しない方向 (串本町 )
串本町が2日午後、第16回串本まつりの実施が4年ぶりに決まったことを発表した。花火大会は従来通りの規模を目標とし、8月5日(土)に行う予定という。
串本まつりは、7月下旬から8月上旬にかけての町内主要イベントを包括する呼称。同まつり実行委員会が統括していて、事務局の町産業課によると先月28日に開いた総会で実施を申し合わせたという。
同実行委主催のイベントは2019年度当時で串本節踊り、花火大会、串本ダンスフェスin橋杭、サマーBANDライブの四つ。これから具体的に内容を詰めるが、至近の迫力で町内外から人気を得ている花火大会は新型コロナウイルスの情勢に伴う経済打撃や物価高騰などで運営の大変さもあろうが、できる限りの形を見いだし中止をしない考えで準備に臨むとしている。
開幕を飾る位置付けとなっている南紀串本観光協会主催のイベント「橋杭ビーチオープンフェスタ」は7月30日(日)に実施予定。終幕を盛り上げる串本町商工会青年部主催のイベント「ふれあい広場・アユのつかみ取り・ビンゴゲーム大会」は8月6日(日)実施予定だが、定年卒業で部員数が減っているためOBに協力を呼びかけつつできる形を探るところから準備が始まるという。
同商工会主催の関連イベント「串本まつりビアガーデン」は諸事情により中止の方向。串本海上保安署主催の関連イベント「巡視船艇体験航海」は、6日に従来通り(午前と午後の2回実施)で実施する方向で準備を始めるという。
新型コロナの情勢により直近の3年間は中止としたため、今回は19年度以来4年ぶりの実施予定。同実行委の島野利之会長は「串本まつりを楽しみにしている方がいっぱいいらっしゃるので、ぜひコロナ前と同じような形で実施できたらなと思っている。新型コロナウイルスが5類に引き下げられ通常営業でいけるようになる中、串本まつりも盛大に再開していきたい。大変だろうけれど、花火大会への寄付も含めてぜひご協力をよろしくお願いします」と話し、実施に意気込んでいる。
(2023年5月9日付紙面より)
![](../../dbm/imgdb/img200/20230509100101.jpg)
大型連休、観光客でにぎわう
新型コロナウイルスの感染症法上の位置付けが5類へ移行するのを前に、連休中は全国でふるさとや観光地で過ごす人などでにぎわった。熊野地方の観光地にも多くの人が訪れた。訪日外国人客の姿も多く見られ、コロナ禍前をほうふつとさせるにぎわいを見せた。
新型コロナの感染対策が緩和される中で迎えた大型連休。終盤の6、7日は全国的に天気が崩れたが、前半は天候に恵まれ、汗ばむ陽気となった。
熊野三山では県内外から多くの参拝者でにぎわい、神職らが御朱印やお守りなどの授与品を求める人たちの対応に追われた。また、周辺の道路では時間帯によって渋滞が発生した。
友人たちと熊野速玉大社に参拝した大阪府の20代女性は「車が多くて着くまで大変だったけど来られて良かった。今から神倉神社に向かいます」。妻と共に那智山を訪れた30代スイス人男性は「那智の滝がとても美しかった。那智大社も青岸渡寺も神秘的で素晴らしい。次は熊野三山全てを回りたい」と話していた。
道の駅やレジャー施設も家族連れなどでにぎわった。親戚や家族と共に太地町立くじらの博物館を訪れた愛知県名古屋市在住の30代男性は「去年も来たが、人は今年のほうが多い気がする。クジラやイルカに触ることができて、子どもたちもとても喜んでいる」と笑顔で話した。
(2023年5月9日付紙面より)
![](../../dbm/imgdb/img200/20230509090101.jpg)
![](../../dbm/imgdb/img200/20230509090102.jpg)
![](../../dbm/imgdb/img200/20230509090103.jpg)
新宮市出身の文豪で、望郷詩人とも呼ばれる佐藤春夫(1892~1964年)の命日の6日、市内の佐藤春夫記念館前庭でお供茶式(くちゃしき)が営まれた。関係者や一般約50人が参列し、文豪の遺徳をしのんだ。
茶道裏千家淡交会が長年、大社烏集庵(うしゅうあん)や望郷五月歌碑前で営んできた式で、記念館がオープンした翌年の1990(平成2)年から(公財)佐藤春夫記念会(須崎恵美代表理事)と共に記念館庭園で開いている。
式には田岡実千年市長や速水盛康教育長、濱口太史県議、市議会議員らも出席。茶道裏千家淡交会南紀支部の湊宗巳さんがお点前、半東・お供えは関宗重さんが務めた。式典後には、4年ぶりに淡交会員たちによるお茶と和菓子の振る舞いがあった。
式典に当たり、辻本雄一・佐藤春夫記念館長は、今年初めに逝去した、記念会前代表理事の舩上光次さんに対し「長年にわたって当地方の教育に貢献され、たくさんの教え子たちを育ててこられたご功績に敬意を表します」と哀悼の意をささげた。
移転に伴い、来年度中に休館に入る同記念館について「市文化振興課の助言も頂きながら、春夫先生顕彰の手だてをいろいろな形で模索していきたい。今後ともさらなるご支援、ご協力を」と呼びかけた。
田岡市長は「春夫先生は望郷詩人と呼ばれるほどふるさとを愛された方だった。その功績を改めて顕彰し、その精神や作品を後世に伝えていくことが私たちの使命。今後も皆さまと心を共にし、先生がこよなく愛された『ふるさと新宮』の豊かな自然と伝統を守り、新しい文化の創造と発展に心を尽くしていきたい」とあいさつした。
(2023年5月9日付紙面より)
![](../../dbm/imgdb/img200/20230509080101.jpg)
![](../../dbm/imgdb/img200/20230509080102.jpg)