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2019年01月16日
1 御燈祭りに備え安全確認
 神倉神社の石段検分  (新宮市 )

 新宮市の熊野速玉大社(上野顯宮司)の摂社、神倉神社で2月6日(水)に営まれる「御燈祭(おとうまつ)り」に備え、関係者らが15日、石段の安全を点検した。ひび割れなどが112カ所見つかり、祭り当日までに修繕する。

 点検には猪飼三雄・神倉神社奉賛会長、中山忠吏・神倉青年団長をはじめ、杉下和夫・市消防団丹鶴分団長、市観光協会の職員など計13人が参加。鎌倉幕府初代将軍・源頼朝(1147~99年)が寄進したと伝わる自然石を積み上げた538段の石段を一段ずつチェックし、石が動くなど問題箇所にチョークで印を付けた。

 祭り関係者たちは点検終了後、熊野速玉大社で開かれた「御燈祭り事故防止協議会」に出席。参加者や見学者にけが人が出ないよう各関係団体が協力し、安全確保に努めることを確認した。

 御燈祭りは1400年以上前から続くと伝わる祭りで、2016年3月に国の重要無形民俗文化財に指定された。白装束に荒縄を巻いた「上(あ)がり子」と称する参拝者が神倉山上でたいまつに御神火を受け、山門の開扉とともに急峻(きゅうしゅん)な石段を一気に駆け下りる。

 猪飼会長は「近年は全体的にマナーも良くなってきていると思います。上がり子さんや見学者などに、けががないよう入念な安全確保に努めます」と話していた。

(2019年1月16日付紙面より)

石段を点検する祭りの関係者ら=15日、新宮市の神倉神社
2019年01月16日
2 ビジネスを形にしよう
 創業ファーストステップ講座に15人  (新宮市 )

 新宮市井の沢の新宮商工会議所で12日、伴走型小規模事業者支援推進事業「輝く女性のために! 創業ファーストステップ講座~ビジネスをカタチにしよう~」があった。(株)リフェイス代表取締役で中小企業診断士の中村佳織さんが、創業に興味のある人など15人に向け、創業の基礎について講義した。

 中村さんは起業者の成功事例を紹介し「自分の技術やアイデアを事業化したい、社会に役立つ仕事がしたいなど、創業には動機が必要。強く、熱く、明確な動機を持ってほしい」と聴講者に呼び掛けた。動機付けの重要性について「もうけようと思っているだけでは続けられない。強く明確な動機があれば、困難に陥ったときにくじけずに頑張れる。事業の方向性もブレにくくなる」と説明した。

 起業した際のメリットとデメリットについても触れ「デメリットやリスクを受け入れる覚悟をしっかり持っていただいた上で、どんなビジネスにするかを考えて」。

 中村さんは、まずは分析をすることが重要と述べ、自分自身(内部環境)と自分の周り(外部環境)を分析することを推奨した。「自分自身を分析し、事業に生かせる強みと克服すべき弱みを改めて認識してほしい」と話していた。

(2019年1月16日付紙面より)

創業の基礎について講演する中村佳織さん=12日、新宮市井の沢
2019年01月16日
3 日中にかけて参拝集める
 峯の薬師如来堂厨子開帳  (古座川町 )

 古座川町峯にある薬師如来堂で12日、同堂守護職の水本一男さんにより本尊など仏像群を納めた厨子が開帳され随時参拝を集めた。

 同堂は大字立合の集会所前に架かる峯口橋を渡り、すぐ先のT字路を左へ上った山腹に位置。受け継がれる厨子は江戸時代に峯に伝わったとされ、本尊の薬師如来と日光菩薩と月光菩薩(以上薬師三尊)、十二神将の各仏像が安置されている。

 普段は秘仏として厨子は閉じられ、毎年1月12日の日中のみ開帳している。今年は時折小雨が降る中で開帳する形となり、水本さんは当日の天気を見越してあらかじめ境内にブルーシートを屋根代わりに張って参拝者を迎えた。

 午前7時から絶え間なく参拝があり、堂内で開帳された本尊などにじかに信心を注いだ参拝者は、その後も水本さんや居合わせた参拝者との談笑を楽しむなどして過ごした。堂内では護符や餅、境内では水本さんが毎年手作りしているタケの菓子台にお下がりの菓子類を入れて振る舞い。水本さんらは温かい茶を出すなどして、冷え込む時季の参拝に感謝した。

 近況報告や交流話に加え、今回は同堂そばにあるクマノザクラの花の時期の写真も飾られて話題に。池野山にある標本木よりも若干白いが研究者がクマノザクラと同定しているそうで、樹形の素晴らしさなどが参拝者の興味を集めていた。

 今年も無事例祭の奉仕を務めた水本さんは、「足元が悪い中、朝早くから大勢の皆さんに来ていただけてありがたく思います。これからも体力が続く限り続けていきたいし、せめて車に乗れる間は人様に迷惑をかけないよう体の調子を気に掛けていきたい」と願うところを語った。

(2019年1月16日付紙面より)

開帳された仏像群に信心を注ぐ参拝者=12日、古座川町峯
参拝後の談笑などでにぎわう境内
2019年01月16日
4 伝統の脊美祭り営まれる
 住民ら協力し多くの催しも  (那智勝浦町 )

 那智勝浦町浦神の塩竈(しおがま)神社(井谷正守宮司)で13日、豊漁や船の安全などを祈願する伝統の「脊美(せみ)祭り」が営まれた。脊美まつり保存会(会長=谷口利明・浦神西区長)が祭りや歴史を継承している。神事のほか、手踊りやみこしなど、地区住民らが協力し合い、祭りを盛り上げた。

 祭りは古来捕鯨の歴史を持つ同区で、セミクジラを模したわら製の「脊美」を縁起物として用いて、毎年催行されている。過去には成人の儀式として行われていたという。長年、捕鯨文化を継承していることから2016年に日本遺産「鯨ととに生きる」に認定された。

 神事後、井谷宮司が「鬼」と書かれた1・7㍍の的を矢で射抜くと同時に、脊美子の德村奏磨君(下里小5年)と弟の怜音君(同2年)、新屋岳(たける)君(同3年)が取り付けられた脊美を一斉につかみ取り西区区民会館まで全力で走った。

 役目を終えた奏磨君は「3回目なので緊張せずに務めることができました」と述べ、怜音君は「緊張したけど楽しかった。来年も挑戦したい」と話した。新屋君は「脊美が重かったけどなんとか走れた」と笑顔で語り、3人をねぎらう祝賀の直会が持たれた。

 境内では東区の勇義社(畑下圭喜社長)が勇ましい獅子舞を奉納し、多くの住民らが拍手を送っていた。

 午後からは西区のみこしやだんじりが区内を練り歩き、脊美音頭などの手踊りが踊られた。その後、会館で子どもたちにお年玉と菓子が配られ、さまざまな賞品が当たる抽選会なども行われた。

 見物していたボストン出身で近畿大学院生のジョナス・ミラーさん(27)は「祭りはすごかった。浦神区は皆さん優しく、素晴らしい。私にとって多くを学べる良い機会」と話した。谷口会長は「地元の祭りは良い。人口も減ってきているが、今後も続いてほしい」と語った。

(2019年1月16日付紙面より)

脊美子が走る様子=13日、那智勝浦町浦神の塩竈神社
勇義社が獅子舞を奉納
2019年01月16日
5 敦賀FCが優勝
 準優勝は新宮SSSブルー  (新宮SSS招待兼ヤタガラスカップ )
2019年01月16日
6 くまのマラソン塾Aが連覇
 2019年くまの駅伝大会  
2019年01月16日
7 たいまつ作りがピークに  わかば園第二作業所で利用者ら  (御燈祭りを前に )
2019年01月16日
8 イチゴの日にまりひめ奉納  生産者らが熊野那智大社へ  (那智勝浦町 )
2019年01月16日
9 歌や遊びを満喫  市内幼稚園で新春お楽しみ会  (新宮市 )
2019年01月16日
10 新春のつどいで決意新た  連合和歌山新宮東牟婁地区協  ( )
2019年01月16日
11 寒さに負けず熱戦  光洋地区交流綱引き大会  (新宮市 )
2019年01月16日
12 ジビエへの理解深める  熊野川小4~6年生が出前授業  (新宮市 )
2019年01月16日
13 連携して見守り活動  御浜小児童に呼び掛け  (紀宝警察署 )
2019年01月16日
14 高齢者の避難支援も  上地地区と合同の避難訓練  (紀南高校 )
2019年01月16日
15 新鮮野菜など買い求め  今年最初の「紀の宝みなと市」  (紀宝町 )
2019年01月16日
16 ランチバイキング楽しむ  放課後児童ク「きほっこ」  (紀宝町 )
2019年01月16日
17 多くの来場者に感謝  イルミネーション撤収作業  (紀宝町 )
2019年01月16日
18 力を合わせダイコン収穫  潮岬幼稚園の園児ら  (串本町 )
2019年01月16日
19 式典や訓練で士気高める  消防団平成31年出初め式  (古座川町 )
2019年01月16日
20 お悔やみ情報
  
2019年01月01日
21 水野家入部400年と新宮城
 「歴史の故郷」から「心の故郷」へ  (モニカ・水野・ベロイターさん )

 2019年は新宮領主として紀州徳川家を補佐した水野家の入部400年を迎える。新宮市では11月に記念行事などを企画しており祝賀ムードが高まる中、紀州藩新宮領主水野家の子孫であるモニカ・水野・ベロイターさんにインタビューし、「新宮」と「水野家」について、自身のルーツへの思いを語っていただいた。

 また、昨年11月には新宮城の復元を目指す資料収集懸賞事業が始まり、城郭再建に向けた動きも活発になっている。

 新宮城は関ケ原の戦いで戦功をたてた浅野幸長の一族の家老・忠吉が1601年に着工した。一国一城令で廃城になるも、幕府の許しを得て水野重仲(しげなか)が築城を継続。33年、2代目・重良(しげよし)の時代に完成した。改修は続き、今の新宮城になったのは3代目・重上(しげたか)の69年。1873年の廃城令で取り壊された。2003年に国史跡に指定。17年には「続日本100名城」に選ばれた。

 新宮城に詳しい日本城郭史学会和歌山支部長の水島大二さんから引き継ぎ、田辺市の小学生のふるさと学習で講師を務める小渕伸二さん(新宮城復元対策委員)に特徴や見どころを教わった。

  □     □

新宮市との関わり



 幼い頃に祖父母から先祖はお城に住んでいたという話を聞きましたが、どこかおとぎ話のような感覚。成人し、独日交流に携わる中で自分のルーツに興味を抱きました。

 新宮は複数の世界遺産に囲まれ、豊かな自然の恵みに育まれた「伝統のまち」という印象が強く、さまざまな文化的影響が分かる、神秘的で魅力的なところ。2010年に息子と新宮を訪れて以来、さまざまな出会いがあり、励みになる言葉を頂きました。

 新宮市の歓迎会で「お帰りなさい」と声を掛けていただいたことは感動でした。また、城に関わっていた子孫の方が、その歴史をご存じでその場に見えられていたことが印象的でした。

 関係者から頂いた「あなたにはあなたにしかできないことがある。ぜひそのことを考えてください」という言葉を受け、私は自分のルーツを再確認し、新宮との交流に関しても、ドイツと日本、言葉と文化の違いを超えて懸け橋になれればと思いました。多くの人に新宮の自然と伝統を知ってもらいたい。水野家入部400年祭に関しても公益法人独日フォーラム・エルベとの協力プロジェクトを推進中で、これをきっかけに国内、国外の交流もさらに広まれば。関係者の皆様のご尽力に心より感謝するとともに、今後の展開に期待が寄せられます。

 これまで「歴史の故郷」と紹介していた新宮は、2010年の来新をきっかけに始まった体験と、人と人との結び付きから今や「心の故郷」になりつつあります。

  □     □

墓所と城跡の重み



 末裔(まつえい)として墓所と城を見たいという思いが達成できたことは感激でした。緑豊かな歴代墓所の高台に一歩一歩足を運ぶほどにご先祖様のありし日が想われ、歴史の尊さを感じました。皆さんに大切に守ってきていただいた郷土の歴史を感じるひとときに、自然と手が合わされました。

 新宮城は立地が良く、城郭が残っていればどんなに素晴らしかっただろうとうかがわせられます。歴史・文化遺産は年を重ねれば重ねるほど貴重なもの。お城の復元事業は実現すれば素晴らしい。国外で新宮城に関する資料が得られる可能性もあるとのこと、海外に向けた取り組みにも役に立てればうれしい。

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◆モニカ・水野・ベロイターさんプロフィル

 新宮水野家14代水野誠氏の娘、慈子(やすこ)さんとドイツ人の父との間に、東京都で生まれた。12歳でドイツに移り住み、現在はハンブルクにて公益法人独日フォーラム・エルベを立ち上げ、独日交流に力を注いでいる

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■新宮城

 平安時代には源頼朝と義経の叔母、丹鶴姫が住み、戦国時代には豪族の堀内氏が築城する計画があったという場所に立つ。「北山一揆などから、藩主の力を見せ『こんな城は攻められない』と思わせられるような立派な城を築く必要があった」と小渕さん。城の中には舟入(船着き場)があり、海の物流の重要な拠点の役割も果たした。

 主な見どころは▽総石垣▽水ノ手曲輪(みずのてくるわ)▽出丸。

 石垣にはあらかじめ成形した石材を積み上げる「切り込み接ぎ」の中でも「亀甲積み」や「算木積み」という高度な方法を用いている。技術を持った職人をアピールし力を誇示することにつながった。石垣の上には白壁が巡らされていたとも。石垣の美しさは今も見る人が感嘆するほどだ。

 また、水ノ手曲輪には舟入がある。城中核の舟入を守るように囲んでいるのは「倭城(わじょう)」と呼ばれ、日本では非常に珍しい。秀吉の朝鮮出兵に随行した浅野氏が技術を持ち帰り築城したともいわれている。洪水などの被害に備えた石垣造りの港が築かれ、炭納屋があった。

 独立した出丸は橋で本丸とつながっていた。水ノ手、新宮津、熊野川のそれぞれの様子を見ることができる位置にあった。天守台からの眺めから「沖見城」とも。「沖からも城が美しく見られたでしょう」と小渕さん。

 「心のふるさと、シンボルとして見る人や復元を夢見る人もいる。多くの市民が『心のよりどころ』と言うのを聞きました。僕にとっても幼い頃から親しんできた愛着のある場所で、国指定史跡、続日本100名城に選ばれたことはうれしい限り」と話す。

 「来年の初夢には復元された新宮城天守閣が見たい。資料の発見や調査で正夢になってほしいです。丹鶴山に威厳を持った美しい城郭の復元を心待ちにしています」とほほ笑んだ。

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■水野家

 新宮領3万5000石を領したが、熊野の木材、木炭などを支配しその実力は10万石以上であったといわれている。初代の水野重仲は徳川家康の母方のいとこ。1606年に家康の十男、頼宣(よりのぶ)の後見となる。16年に「附家老(つけがろう)」として家臣となり、19年に頼宣が紀州藩に移ったことから同じく新宮に入った。

 9代目城主、水野家10代忠央(ただなか)は優れて賢く、35年に4人の兄を差し置いて家督を継いだ。熊野材や備長炭、和紙や瓦の製造などで領内の経済力を高めた。幕政にも深く関わり、彦根藩主・井伊直弼(いい・なおすけ)や大奥と手を結んで第14代将軍・家茂(いえもち)を擁立することに成功した。

 進歩的かつ開明的な思想の持ち主で、外国の原書を多く翻訳させた。いち早く洋式軍隊を編成し、騎馬調練の「丹鶴流」は江戸に広く宣伝された。洋式船「丹鶴丸」の製造、北海道開拓や小笠原での捕鯨などさまざまな試みをした。

 江戸新宮藩邸に「育栄館」、赤坂邸に紀州藩校「文武館」を設けた他、徳川時代の三大名著の一つといわれる『丹鶴叢書(そうしょ)』を編さんするなど多方面で活躍した。直弼が暗殺されるとともに失脚。家督を嫡男・忠幹(ただもと)に譲り、新宮で隠居生活を送った。忠央や多くの家臣が新宮に滞在したことで江戸風の文化を新宮に伝えることになった。(新宮市協力)

(2019年1月1日付紙面より)

新宮城跡
モニカ・水野・ベロイターさん
独立した出丸
2019年01月01日
22 仏画に見る動物たち
 十二支から神獣まで  

 仏画の中の動物をはじめ、眷属(けんぞく)神の十二神将に施された干支(えと)の動物(写真①)、仏像の台座や欄間(らんま)の獅子や象など、寺社には動物が意外と多い(写真②・摩利支天=まりしてん=像)。中でも「涅槃図(ねはんず)」は、龍(りゅう)などの想像上の神獣も含め、大小さまざまな動物、鳥や昆虫、爬虫(はちゅう)類、甲殻類などを1枚の絵で見ることができる。

 万物全てが釈迦(しゃか)の入滅を悲しみ、集まっているように見えるが、一般的な涅槃図にはネコが描かれないという。正体不明の生き物(写真③)までもがいるのに、なぜ身近な存在のネコがいないのか―。西昭嘉(しょうか)住職(那智勝浦町宇久井・延命寺)にお願いし、涅槃図について話を聞かせてもらった。不思議なことに、ここの涅槃図には「ネコらしきもの」がいるのだ。

 寺により図像が異なる涅槃図を見ると、曼荼羅(まんだら)絵解きのような興味が湧いてくる。見せてもらえる機会があれば、動物好きの人にもお勧めする。さまざまな説があるようだが、正体の分からない存在、顔の表情や振る舞い、描いた絵師の意図などを、あれこれ推測するのも一興ではないだろうか。

  □     □

 ―延命寺の涅槃図はいつの時代のもの?

 はっきりとは分かっていませんが、ご本尊や大般若経、紺紙金泥法華経(こんしこんでいほけきょう)10巻などの他の寺宝が鎌倉時代(1185~1333年)初期のものと考えられていますので、同時期のものだと思われます。元々、一間(約1・8㍍)あったといわれていますが、修復を続けているうちに少し小さくなってしまいました。

 ―涅槃図とは?

 お釈迦様がお亡くなりなった瞬間の様子を描いているものです。場所は北インドのクシナガラで、一説には当時の栄えていた都から自分の生まれ故郷に帰る途中にお亡くなりになったとされています。

 インドやスリランカの石窟寺院にも石像の涅槃仏と共に壁画で描かれており、それらはマハーパリニッバーナ経(漢訳名は遊行経)に基づき描かれたものといわれています。日本では平安時代から紙に描かれるようになりました。

 ―お釈迦様の存在は?

 お釈迦様は、仏教の開祖。涅槃図に描かれている神々は、完全に悟りを開いた最高神ではありません。仏教の考え方では、この世の中には、六つの世界があり、天上界に住む神々さえも、輪廻(りんね)転生から抜け出すために必ず生まれ変わらなければならないといわれています。輪廻から抜け出した覚者に教えを聞きに来たのだといわれています。

 ―周囲の人物たちの様子は?

 集まったお弟子さんや仏様、神々の中には平然とした顔している者もいれば、悲しんでいる者もいます。平然としている人は悟りを開いており、嘆き悲しんでいる人はまだ悟りを開いていないことになります。

 象徴的なのは一番悲しんでいる付き人のアーナンダです。彼は仏教史上、最もお釈迦様から教えを聞いている人物でしたが、お釈迦様が生きている間は悟りを開くことができませんでした。一説にはお釈迦さまのまたいとこや義理の弟であったともいわれています。

 ―延命寺の涅槃図に描かれている人物や動物は?

 多くのお弟子さんや神々、阿修羅(あしゅら)、龍神などが描かれています。他にも人面鳥と呼ばれ、インドの神であり、日本では秋葉三尺坊大権現(あきばさんじゃくぼうだいごんげん)と呼ばれているガルーダの姿もあります。干支の動物もおり、鳥やシカ、ゾウ、チョウ、トンボ、クジャク、ツルもいます。日本に伝わった際に描かれる動物が変わりました。

 ―ネコがいる、いないは?

 一説にはネズミがお釈迦様の使いであるという話から涅槃図にはネコが描かれないようになったといわれています。

 しかし、絵の具を運んできてくれたネコを描いてあげたという絵師の話もあり、臨済宗の東福寺の涅槃図のようにあえて、ネコを猫いた涅槃図も存在します。

(2019年1月1日付紙面より)

那智勝浦町宇久井・延命寺の涅槃図と西昭嘉住職
ネコやイノシシが描かれている(延命寺所蔵)
〈写真①〉薬師如来を守る十二神将。表情や体形、ポーズなど一体ずつの違いが見どころ。安底羅(あんてら)大将は、武神にしては優しげな顔立ち(那智勝浦町下和田・大泰寺所蔵)
頭上には十二支の寅(とら)
〈写真②〉今年の干支・イノシシにまたがる摩利支天。かげろうを神としてあがめたもの。実体がないので、捉えられず、焼けず、傷つかず。自在の神通力を持つ
〈写真③〉正体不明の裃(かみしも)を着たような生き物(大泰寺所蔵)
2019年01月01日
23 準備期間経て4月本稼働
 中堅世代主導の観光協会  (古座川町 )

 昨年9月に発足した新生・古座川町観光協会は、約半年となる初年度を準備・整備期間と位置付け、来年度の本稼働に向けた体制構築に努めている。「年長が将来を担う世代の振興を後押しする」という共通認識の下、30~40代の会長と副会長、事務局職員が軸になっている点が同協会の持ち味。その主導で着々と歩み始めている。

 同町には過去、旧・古座川町観光協会があったが2013(平成25)年9月に解散。後に玉川大学観光学部の協力を得て観光振興計画(15~19年度)、次いで観光実施計画が策定され、これら計画に基づいて町域にある観光関係諸事業のブラッシュアップが図られている。それらを束ねる核となるプラットフォームとして設置が目指されたのが、現在の古座川町観光協会にあたる。

 17(平成29)年度にプラットフォーム立ち上げ検討会議が開かれ、その結論をもって昨年5月に同協会設立発起人会が発足。会合を重ね、9月27日に任意団体・古座川町観光協会の設立総会を開くに至った。

 その展開を見据えていた役場は予算補助に加え、地域おこし協力隊制度を活用して木下昂さんを起用し、設立と同時に同協会付事務職員に充てている。設立総会で選出された理事は、これから地域の中核になる人材による主導を策として思い描き、会員の中では中堅世代となる須川陽介会長、森武志、深海政也の両副会長を選出。さらに年長の会員は3人の将来構築を後押しするという認識を共有して初動を固めた。

 設立目的は「町内の文化や自然資源を用い、持続可能な発展を図ること」。団体名を観光協会としたのはすでに広く認知された呼称であり将来的に相応の機能を町外に向けて発揮するためだが、町内に向けては少し工夫がされていて、観光事業に関わる法人や団体に加えて観光振興に関心のある個人の入会にも力を入れている。その背景には、古座川町を愛好する人々の思いや意欲を観光振興の素地として取り入れたいという思いがある。

 年会費は法人・団体が1万円、個人が2000円。入会案内チラシを作って周知を図り、古座川秋まつりにおいてコーナーを設けアピールにも努めた。入会は随時受け付けていて、役場地域振興課内にある事務局に尋ねてほしいという。

  □     □

愛好を束ねた観光目指す チーム古座川の意識醸成



 目下、振興に力を入れているのはクマノザクラ。町の花にもなっている地域資源の振興を通してまずはノウハウをつかみ、これを他の地域資源の振興へと広げていく考えだ。情報発信の主力はインターネット上の公式サイト。訪れる人々のリサーチに応える仕組みで、関心を着実につかみ誘客へとつなげる筋道をつけるため、要となる公式サイトの制作を進めている。

 古座川町が好きなみんなでこの地域を振興する機運を高める―。3人が将来に思い描くのは、誰もがもてなしの心で訪れる人々を歓迎するところから始まる観光。この発想は今に始まったものではなく、2014(平成26)年度末に開かれた観光振興計画策定委員会の時点で強く意識された挑戦課題「チーム古座川の意識醸成」に基づく。もう一つの挑戦課題「観光地域プラットフォームの具現化」は同協会設立により達成されたため、今後は一点集中で残る挑戦課題の達成を目指すことになる。

 設立から3カ月。須川会長(35)は4月の本稼働に向け「設立したばかりでまだこれといった会員特典もないのに入会していただけているのは、まさにこの協会に対する期待そのものだと思っています。これに応えられるよう皆さんの意見を吸い上げながら努めたい」と意気込む。すでにSNS(Facebook)の公式アカウントを取得し情報発信を始めているが、クマノザクラの開花に間に合わせるため1月中には主力の公式サイトを開設するとしている。並行してクマノザクラなど町域の桜の開花シーズンに合わせたキャンペーンの展開、各種研修機会の創出も本年度中の達成課題として意識。役場内にある事務局も来年度には今まで以上に観光客の来訪利便に応える別の場所へ移す準備も進めている。

(2019年1月1日付紙面より)

古座川町観光振興基本計画策定委員会(2014年度)。この時点で「チーム古座川の意識醸成」と「観光地域プラットフォームの具体化」が意識された
古座川町観光協会設立総会。今後地域の中核になる中堅世代に主導権を託す形で観光地域プラットフォームが動き始めた
古座川秋まつりの会場で設立の周知や会員勧誘に努める(左から)深海政也副会長、木下昂さん、森武志副会長
「期待に応えられるよう努める」と意気込みを語る須川陽介・初代会長
2019年01月01日
24 夏休み前の開館を目指す
 南紀熊野ジオパークセンター  (串本町 )

 日本ジオパークの再認定が待たれる南紀熊野ジオパーク。その新たな拠点施設「南紀熊野ジオパークセンター」が7月、串本町潮岬で開館する。昨年春に始まった工事は11月末現在で進捗(しんちょく)率50%を突破。県自然環境室は「今年の夏休みに(開館を)間に合わせたい」とし、開館後は同パークを訪ねる人流が本州最南端に向けて新たに宿る変化が見込まれる。

 南紀熊野ジオパークは、県南部の特色ある地形や地質を包括振興する枠組み構想。県知事を筆頭に関係する9市町村(新宮市、白浜町、上富田町、すさみ町、那智勝浦町、太地町、古座川町、串本町、北山村)と市町村内主要団体で推進協議会を立ち上げ、105人の登録ガイドが結成するガイドの会と両輪で世界ジオパーク認定まで見据えた振興に挑戦している。

 平成26年8月に日本ジオパークとして認定され、昨年11月には4年ごとに迎える再認定の現地審査を受けた。そのような局面をまたぐ形で進んでいるのが、同センターの建設。立地は同パーク沿岸エリアのほぼ中央、本州最南端にある潮岬観光タワー施設の西隣で、年の瀬には木造2階建ての建物の形が見て取れる段階まで建設が進んでいる。

 建物の延べ床面積は約978平方㍍で、5月末には完成する予定。以降は各種展示物の配置などを進めて開館を目指す。館内には展示室、映像室、セミナー室、作業室、事務室などがあり、これらを活用し▽展示と学習▽情報発信▽調査研究▽地域活動支援―などの機能を発揮する。2478平方㍍の敷地整備も含めた総事業費は約7億円。

 現在は環境省施設「宇久井ビジターセンター」を拠点としているが、推進協議会の事務機能は和歌山市の県庁(県自然環境室内)にあり、現地で活躍する登録ガイドとの連携には大きな移動負担が余儀なくされている。同センター開館時に県自然環境室が有する事務機能を移すことも計画に含まれていて、センター長以下5人程度の規模で人員配置の調整を進めている。うち2人は地形・地質の専門員(正職員待遇)で、昨秋に公募し人選を進めている段階。別途、登録ガイド2人が館内案内のため常駐する仕組みも調整している。

 推進協議会の事務機能を有する県自然環境室は「同センターは、現在の拠点をさらに上質にした感じの拠点になる。開館により訪れる皆さんにいっそう南紀熊野ジオパークを知ってもらうことができ、登録ガイドの皆さんと現地で連携する体制もようやく整う形になる」と話し、開館が今後の振興のいっそうの弾みになることを期待している。

 開館時間は午前9時~午後5時と想定しているが、休館日など具体的な運営手法は年の瀬の時点で未定。那智勝浦町にある宇久井ビジターセンターと望楼の芝にある環境省施設「潮風の休憩所」機能は、南紀熊野ジオパークセンターが開館した後も吉野熊野国立公園の一端を物語る要素として継続する方向にあるという。

(2019年1月1日付紙面より)

本州最南端で建設中の南紀熊野ジオパークセンター(左)
完成時のイメージ図(県自然環境室提供)
潮風の休憩所にある南紀熊野ジオパークコーナー

2019年01月01日
25 くじらの博物館50年の歩み
  

 今年50周年を迎える「太地町立くじらの博物館」は、1969(昭和44)年4月2日にオープンした。同4日付の熊野新聞に、喜びに沸く開館式の様子が大きく取り上げられている。

 くじら浜公園などの埋め立てや土地開発費を含めると総工費10億1500万円(注1)もの巨費が投じられた。「長年の夢を実現させ、クジラの伝統を生かし観光の町として第一歩をふみ出した」故・庄司五郎町長のあいさつが記されている。

 開館準備に始まり、いつも「くじらの博物館」と共にいた林克紀館長から巨大模型をはじめ、同館の展示品や鯨類の飼育にまつわる数々のエピソードを聞いた。その一部を紹介する。

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■クジラのヒゲ磨き

 1967年にオホーツク海で捕獲された体長約15㍍のセミクジラ。現地で取り出された内臓は、貨車1台を丸ごと借り切って積み込まれ、下里駅に到着した。町役場に勤務していた18歳の林さんは、トラックで太地町へ運び、オープンに向けて標本作りに取り掛かった。油分が出なくなるまで、何度もホルマリン液を交換する作業に追われたという。

 セミクジラの特徴でもある長い「クジラヒゲ」【写真①】も磨いた。食べ物の残りかすなどが隙間にたまっていたので、除去してからワックスをかけ、さらに磨いてきれいにした。

 そうこうしているうちに土に埋めていたセミクジラの骨が届いた。大ホールにつられたセミクジラである。セミクジラの実物大全身模型は、生体の頭部、尾びれ、胸びれの型を取って作成されたもの【写真②】。その後もホッキョククジラ、コククジラ、シャチなどの骨格が次々と追加され、林さんは骨磨きでも忙しかった。

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■龍涎香(りゅうぜんこう)見つける

 15㍍くらいの大きなマッコウクジラが水揚げされたので、他の職員らと解体を見学に市場へ。林さんらが見ていると、「腸からポロッと塊が出てきましてね。何だろうと思ってバケツに入れて持ち帰りました。西脇先生(注2)に見せたらびっくり。希少な龍涎香(注3)でした。お香のような良い香りがしましたよ」。

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■イルカを待つこと3カ月

 オープン前年の秋から生け捕りを計画してきたが、まだイルカは捕獲できておらず、ショープールはしばらく空のままだった。「7月に漁師さんらの協力でコビレゴンドウ29頭の生け捕りに成功し、小プールで4頭、自然プールで25頭の飼育が始まりました。ところが、餌(イカ)を食べなくて困った。真夜中に与えてみたり、はえ縄を使ってぶら下げてみたり、いろいろ試したが食べてくれない。最初の食事は強制給餌(喉の奥まで手でイカを押し込む)が必要だったのです」。

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■難しい飼育に挑戦中

 追い込み漁の対象となっている9種類のイルカ全ての飼育展示に挑戦している。2013年には初めてスジイルカが入館。17年にはシワハイルカとカズハイルカの飼育を始めた。スジイルカ、マダライルカは飼育が難しく、国内でのスジイルカの飼育は同館のみとなっている。

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■腹びれイルカ「はるか」の思い出

 2006年に発見された腹びれを持つバンドウイルカ「はるか」。各水族館担当者が集まる選別会場での順番はくじ引きで決めるルールがあり、体長250㌢前後の若い雌から順に選ばれていった。はるかは雌だが272㌢と大きく、雌雄選別の時に腹びれに気付かれることもなく残った。「(はるかを)ひっくり返したら、なんだこれは?となりまして大騒ぎでしたよ」。

 選別に立ち会った林館長は「和田頼元が太地で組織捕鯨を始めたのが1606年ですから、ちょうど400年の節目に見つかった。先祖からの贈り物のように思えました」と振り返る。

 鯨類の進化における後ろ足の消失過程は明らかになっていない。はるかは「5000万年をタイムスリップしたイルカ」と称され、さまざまな研究に貢献した。「2013年に残念ながら息を引き取りましたが、不思議なことに翌年の1月に白いバンドウイルカのスピカ、同じ年の11月には白いハナゴンドウのハマタと珍しい個体が続けて見つかりました」。

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■庄司町長、先見の明

 『田畑のない土地でクジラしか頼るところが無かった町。しかし、いずれ捕鯨は厳しいことになる。』―庄司町長の言葉を今もかみしめる。「南氷洋(なんぴょうよう)の捕鯨がまだまだ盛んな頃に、捕鯨を続けることができなくなる先を見越して博物館を作った。観光とクジラを結び付けたのです」。

 庄司町長が残したくじらの博物館は、その遺志と共に、三軒一高町長が掲げる「太地町30年構想」へとつながり、捕鯨の歴史、文化、伝統と共に後世に受け継がれていくことだろう。

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▼注1 現在の価格に換算/国内企業物価指数1・8倍、消費者物価指数3・1倍

▼注2 博物館建設の指導に当たった日本海洋研究所長、西脇昌治東大教授

▼注3 マッコウクジラだけにできる腸の結石。天然香料として、古来より珍重される。

(2019年1月1日付紙面より)

【写真①】ヒゲクジラの中でも「畝(うね)」を持たないセミクジラは長いクジラヒゲ(ヒゲ板)を持つのが特徴。ヒゲ板の展示の前で、林克紀館長
クロミンククジラの模型。オキアミなどを海水と共に口に含み、ヒゲ板でこし取って食べる。風船のように膨らむ「畝」を持つ。ヒゲは短い
【写真②】背びれのない「美しい背中」を名前の由来とする背美(せみ)クジラ。大ホールの骨格標本と模型
古来より金と同等の取引がされたという龍涎香
腹びれを持つ「はるか」(提供写真)
紙面に躍る見出しから、オープンの喜びが伝わる=1969(昭和44)年4月4日付の「熊野新聞」
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