2011年9月の紀伊半島大水害で犠牲になった那智勝浦町の中平幸喜さん=当時(45)=の愛車、三菱ギャランGTO。水没して9年間、泥だらけで保管されていたが、4年がかりで修理、奇跡の復活を遂げた。「もう一度走りたい」。ギャランに魂が宿った瞬間だった。
13年の時を経た4月29日、真っ白なスポーツカーがエンジン音を響かせ、新宮市の丹鶴ホールに登場。雨の中、集まった約200人が拍手と歓声で迎えた。
この日初めて、父が愛し続けたギャランの復活を目にした長男の史都さん(35)。市内と那智勝浦町を巡り、助手席からの風景とともに、亡くなった家族5人への思いをはせた。
「父は僕を助手席に乗せるのが大好きだった。笑顔の絶えない少年のような人で、車の話ばかりしていた。泥だらけだったが、こんな日が来るとは思っていなかった。修理に携わってくれた皆さんの思いが詰まった世界に1台の車。これから大事に乗りたい」。
ハンドルを握ったのが中村進太郎さんだった。「大切な形見を残したい」との思いを知り、20年5月から修理を開始。多くの協力を受け、部品を取り寄せ組み直すなど力の限り手を尽くした。「不思議と自信はあった。不安なこともあったけど、今年に入ってから完成のめどが付いた。今は達成感でいっぱいです」と晴れやかな表情を見せた。
丹鶴ホールであった追悼行事で、那智谷大水害遺族会の岩渕三千生代表は幸喜さんとの思い出を紹介。「史都君、宝物が一つ増えましたね。世界で1台、みんなの魂が入ったギャランです。月に1回は散歩に連れていってください」と伝えた。
(2024年5月1日付紙面より)