那智勝浦町南平野の妙法山阿弥陀寺(谷宏之住職)で20、21の両日、弘法大師空海をしのぶ「御影供(みえく)」が営まれた。20日夜の護摩供では、大師堂で空海42歳の姿と伝わる等身大の大師尊像を開帳して護摩供。約30人の参詣者が手を合わせた。
御影供は真言宗の宗祖である空海の命日の4月21日(旧暦3月21日)に、その絵像(御影)を供養する法会。妙法山は奈良時代から法華経修行の僧の道場であり、815(弘仁6)年に空海が修行し、阿弥陀寺を開基したとされる。黄泉の国への入口として古くから信仰を集めてきた。
大師堂は宝形造(ほうぎょうづくり)、銅板葺(いたぶき)の小規模な三間堂で、堂前面に入母屋造(いりもやづくり)の礼堂(らいどう)を接続する。屋根の宝珠(ほうじゅ)銘から1509(永正6)年に建立されたことが分かり、当地方では数少ない中世建築の一つ。
護摩焚きの後、谷住職は「生老病死の苦しみは、今も昔も変わらない。生まれて数日で死ぬ命があり、100年生きる命もあるが、あと今を一生懸命に生き、あとは仏様に任せるという、ある種の『開き直り』があって良いのでは」と語りかけた。広島県から参列した一宮正隆さん「母親の供養のため、父と家族3人で参列した。今日来られてよかったです」と語った。
翌21日は、熊野地方の風習である「おかみあげ」(納骨・納髪)や先祖代々の総供養もあった。熊野詣での旅人たちが極楽浄土へ行けることを願って毛髪を納めたことが始まりで、鎌倉時代から人々が亡くなった人を弔うために遺髪や遺骨を納めるようになったとされている。
(2025年4月23日付紙面より)