那智中学校で避難訓練 (那智勝浦町 )
内閣官房、総務省消防庁、和歌山県、那智勝浦町は29日、町立那智中学校(寺地琢也校長)で弾道ミサイルを想定した住民避難訓練を実施した。国と共同の訓練は県内で初。生徒149人が、有事の際に身を守る基礎知識を学んだ。
日本では2004年に「武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律(国民保護法)」が成立。弾道ミサイルを想定した訓練は17年3月以降全国で実施されている。
事前に役場防災対策室の柴田通仁さんが講話。「弾道ミサイルは離れた目標を攻撃するもので、核・生物・科学兵器といった大量破壊兵器と組み合わせて使用されると重大な被害をもたらす」と危険性を訴えた。自衛隊は24時間切れ目なく日本周辺を警戒監視しているとし「ミサイルが発射された場合は人工衛星やレーダーで発見・着弾地点予測を行い、国民に全国瞬時警報システム(Jアラート)で避難を呼びかける。防衛大臣の命令によって現場指揮官が迎撃する」と説明した。
「弾道ミサイルが落下した場合、激しい爆風や破片飛散で負傷する可能性がある」とし、Jアラートが聞こえた場合は▽建物の中や地下に逃げる▽窓の近くから離れる▽物の陰に隠れ、地面に伏せて身を守る―の三つを呼びかけた。
各教室で行われた訓練では、Jアラートを聞いた生徒たちが素早くカーテンを閉め、教室中央に机を集めてその下にしゃがみ込んだ。消防庁職員らが「しっかり目を閉じて」「鼓膜が破れないよう耳をふさいで」と指導した。
石井沙耶佳さん(3年)は「弾道ミサイルにどういう対処すればいいのか分かり、いざというときに行動できるようにしたい」。堀云颯さん(同)は「今日学んだことを、家族や周りの人にも伝えたい」と語った。
堀順一郎町長は「決して町に弾道ミサイルが飛んできてほしくはないが、世界中の至る所で紛争が起きている。皆さんが将来社会に出て日本全国、世界各国で活躍するとき、今日の訓練が役に立てば」。和歌山県総務部危機管理局の中村吉良局長、内閣官房副長官補の野中健太郎参事官補佐による講評もあった。
(2024年1月31日付紙面より)
今しか見られない特徴も (太地町立くじらの博物館 )
太地町立くじらの博物館は25日、同館で誕生したマダライルカの赤ちゃんの愛称が「マナ」に決定したと発表した。週末の27、28日には早速観光客らから「イルカの赤ちゃんがいる!」「マナちゃんっていうんだ」と声が上がり、人気を集めていた。
マナは昨年7月25日に誕生し、現在は生後6カ月。園内の海洋水族館マリナリュウムで母親・ラナ、父親・リオと一緒に元気に過ごしている。名前は一般から公募したもので、由来は「超自然的な力」「奇跡的な力」を意味する「マナ」と、「希望」「前進」を意味する「マナオラナ」。
27日に三重県鈴鹿市から友達3人で同館を訪れた久慈若菜さん(23)は「すごくかわいい。イルカショーも見られたし、想像以上にすてきな場所」と大満足した様子だった。
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マダライルカは温帯~熱帯の外洋に分布し、大きな群れをつくる種類。成長とともに増える体のまだら模様が名前の由来だが、赤ちゃんのマナの体表はまだまっさら。稲森大樹館長は「マダライルカは神経質で飼育が難しく、国内での飼育頭数も少ない。まだら模様がない赤ちゃんと成体を見比べるのは、今ここでしかできないのでは」と語る。
マリナリュウムのイルカの中でもひときわ小さいマナは、主に母親のラナと寄り添って泳いでおり、運が良ければ授乳シーンも見ることができる。稲森館長は「現在は魚を食べる練習中。魚を餌付く時期は種や個体によっても違うが、マナは少し遅めの印象がある」と話していた。
(2024年1月31日付紙面より)
演劇・落語の新春公演 (ワカイミソラ寄席 )
新宮高校の演劇部OBが中心となり結成された劇団「ワカイミソラ」による演劇と、社会人落語家・熊野家三九郎さんの落語の2本立てによる公演「ワカイミソラ寄席 新春顔見世興行」が27、28の両日、新宮市仲之町のCOLORsであった。大正時代の新宮が舞台で、登場人物が大石誠之助の知人だった設定の演劇と、三九郎さん作の新作落語を披露。来場した観客から拍手喝采を受けた。
演劇のタイトルは「子別れ・熊野篇」。古典落語をアレンジした内容で、誠之助が取り持つ縁で一緒になったものの、酒癖が悪い夫のせいで一度は別れた夫婦が、誠之助の教えと息子のおかげで再び仲直りするという物語だった。新宮弁で演じ、誠之助と大逆事件についてのエピソードもふんだんに盛り込まれた。
劇中で、子が別れた父からもらった小遣いを、盗んだのではと母に疑われ、白状しなければ金づちで打つと迫られる場面があった。劇の最後は父母が仲直りを果たし「やはり子はかすがい」と感じ入るセリフに対し、子が「だから金づちで打つと言ったのか」で落ちとなった。
三九郎さんの落語のタイトルは「寺子屋問答」だった。新宮では初披露で、江戸時代の設定。大人びて頭の回る子どもと、すっとんきょうな父親、しっかり者の母親が織りなす物語だった。寺子屋の卒業試験を巡る問答でのやりとりや、父と子のおかしな会話で、会場の笑いを誘った。
27日の公演は満席だった。演劇、落語ともに、観客から盛んな拍手が送られた。母親と共に市内から訪れた仲村虹歩さん(21)は演劇について「フィクションとノンフィクションが混じっていて、今まで知らなかった生まれる前の新宮のことも分かり、もっと地元の新宮のことを詳しく知りたいと思った」と感想。落語については「初めて直接聞いた。若い人はあまり知らないと思うが、意外にすっと入り、聞きやすく面白かった」と話した。
(2024年1月31日付紙面より)
串本町と包括協定を締結 (日本生命保険相互会社 )
日本生命保険相互会社和歌山支社(中嶋徹支社長)が26日、串本町と包括連携協定を締結した。同支社にとっては9例目、新宮・東牟婁地方では新宮市に続いて2例目。中嶋支社長は「中身のある取り扱いにすべき」と述べ、今後の町との連携に意欲を示している。
この協定は、スポーツを通して青少年の健全育成や健康増進、高齢者支援活動の分野での連携などにより市民サービスの向上と地域活性化に貢献することが目的。
本紙関係で和歌山県とは昨年5月、新宮市とはさらに先んじておととし11月に締結済み。この日は町役場本庁舎で締結式があり、中嶋支社長と田嶋勝正町長が同協定書へ署名押印して発効させた。町側は企画課の名田倍也課長や福祉課の鈴木一郎課長ら、同支社側は法人職域部の多紀健一部長や串本営業部の工藤尚人部長と間所晴香さん(役場担当)らが立ち会い、締結を見届けた。
中嶋支社長は前述した思いを掲げ、締結をスタートと意識して互いに切磋琢磨(せっさたくま)をし連携を進めたいと希望。田嶋町長は健康寿命やがん検診受診率の実績低調をどう打破するかが目下の課題と認識を共有し、同社の力も借りて町民の健康増進を図りたいと歩み寄った。併せて過疎地にあっては子育て支援も大事だとして同支社によるこれまでの支援実績の一端にあるマジック教室のような機会もつくってほしいとこの機会に求め、中嶋支社長はイリュージョニストのDAIKI(本名・田中大貴)さん以外にも同社にはさまざまな著名人と連携して貢献した実績がありどれだけできるかは分からないが「しょっぱな」ということで招致に努めたいと応えるなどした。
(2024年1月31日付紙面より)
沿線の文化・資源学習も (串本―新宮で「鉄學」 )
和歌山大学と西日本旅客鉄道株式会社(JR西日本)による鉄道防災教育・地域学習列車「鉄學」が28日、JRきのくに線の串本―新宮間であった。約60人が参加。車内で沿線の文化・資源を学んだほか、列車からの緊急避難を体験した。
紀伊半島にある歴史や文化・資源などを学んでもらい、また列車からの避難方法も体験してもらって率先避難者を増やしていこうという取り組み。2016年に始まり、今回は5年ぶり8回目となる。熊野地方のまちづくり関係者、きのくに線の活性化に関心のある人、鉄道・道路事業者、和歌山大学生などが参加した。
車内では、沿線の風景、価値、文化、鉄道防災に関する特別講義や、JR西日本の社員による津波対策の講話などが行われた。新宮市の王子ヶ浜では津波避難訓練があった。訓練は、参加者にシナリオを事前に伝えない「ブラインド訓練」で実施された。
列車が王子ヶ浜にさしかかると、車内で地震を知らせる放送が鳴り、緊急停車。全車両のドアが開き、参加者は最寄りのドアから飛び降り、高台へと走った。参加者は息を切らして真剣に走り、何度も「走れ」「津波が来るぞ」「止まるな」のかけ声が飛び交うなど、緊迫した状況で行われた。車内に戻ると、停車地点の想定浸水深は5㍍で、津波は7分30秒で到達予定であること、今回の避難の時間は平均で3分10秒だったことなどが伝えられた。
紀勢線の今後を考える協議会(会長=立谷誠一・元白浜町長)の副会長でもある、新宮商工会議所の関康之会頭も参加していた。沿線の地域資源に関して「普段は気付かないが、串本の九龍島(くろしま)や鯛島(たいじま)も改めて見ると素晴らしかった。途中で昔の新宮鉄道の跡も見られた。串本から新宮の間も魅力があることを改めて感じた。これらを発信していかないとと思った」と感想。
避難訓練についても「やはり訓練は必要と感じた。体験して納得した。こうして避難しないと、命を落とすということが分かった。貴重な体験だった」と述べた。
(2024年1月30日付紙面より)
串本町潮岬にある望楼の芝で27日、イベント「本州最南端の火祭り」があり約3000人(主催者発表)が夕闇深まる中で行われる芝焼きを見物するなどした。
このイベントは、南紀串本観光協会(島野利之会長)が基本1月第3日曜日を期日にして実施している。冬の枯れ芝へ火を放って混入した雑草の種子などを焼き、その熱で地中にある芝の芽吹きを促す管理手法・芝焼きを日没後に営むことで観光資源化。さまざまな地域アピールを織り交ぜながら、その幻想的な光景を見物してもらう趣旨で回を重ねている。
今年は4年ぶりにコロナ禍前と同様に準備し、昨年に同時実施したモデルロケット体験会も組み込んで誘客を図った。告知した期日は延期となり、1週間ずれこんでの実施。午後1時から物産販売と同体験会が始まり、同体験会では小中学生らがロケットガイドの神保圭志さんから3月9日(土)午前11時~正午ごろ打ち上げ予定と発表されたロケット「カイロス」や民間小型ロケット射場「スペースポート紀伊」などの紹介を受け、県宇宙教育研究会の藤木郁久事務局長(日本モデルロケット協会指導講師ライセンス所持者)の指導でキット「アルファⅢ」の製作と打ち上げに挑戦した。
午後4時30分から地元の潮岬(みさき)節保存会など踊り子連による披露としょらさん鍋(=トビウオのつみれ汁)800食の振る舞いがスタート。午後5時から300パック限定で芋餅の販売もあった。日没に合わせて島野会長、田嶋勝正町長、県議会の佐藤武治議員、町議会の鈴木幸夫議長があいさつと餅まきや菓子まきで弾みをつけ、県立串本古座高校弓道部の部員8人が芝地の東側に設けた制限区域内の枯れ芝へ火矢を放って点火。演出花火を経てスタッフが火を付けた布玉を引いて炎の帯を広げ、同町消防本部が火勢を調節して同区域内の枯れ芝をほぼ焼き尽くした。
今年は火勢が旺盛で、20分ほどで芝焼きが終了した。天候にも恵まれ盛況のうちにイベントは終了し、島野会長は「先週は悪天候で残念だったが逆に延びたことで穏やかな天気に恵まれ、たくさんの方に幻想的な感じを間近に見て楽しんでいただけたと思う。何かの機会に映像などでご覧になられた方には、来年ぜひ生で見に来てほしい」とコメントした。
(2024年1月30日付紙面より)
護摩たき祈願、豆まきも (補陀洛山寺 )
能登半島地震の慰霊や復旧・復興、先祖供養、所願成就を祈る、立春大護摩供星祭(りっしゅんおおごまくほしまつり)が27日、那智勝浦町浜ノ宮の補陀洛山寺(髙木智英住職)であった。髙木住職が読経や護摩祈とうを行い、参列した約100人と共に祈願した。一足早い豆まきや、餅・菓子まきもあった。
毎年恒例の行事だが、今回は能登半島関連の祈願も併せて行われた。またコロナ禍の影響で一時は一般参列なしで行われており、餅・菓子まきまで行う通常規模の実施は4年ぶりとなる。
同寺の本堂では、秘仏である国重要文化財の本尊「三貌(さんぼう)十一面千手千眼観世音菩薩(ぼさつ)」を開帳。髙木住職をはじめ僧侶らが読経して祈りをささげた。護摩祈とうでは、髙木住職が真言を唱え印を結ぶなか、参列者が「家内安全」や「身体健康」などの所願を書いた護摩木を火中に投じ、成就を願った。
豆まきは髙木住職と、裃(かみしも)姿の和歌山県東牟婁振興局の幹部職員が行った。まずは本尊に向かい、続いて本堂から外に向け「鬼は外、福は内」と唱え豆をまいた。餅・菓子まきは境内のやぐらから実施。集まった地域住民らが手を伸ばした。ぜんざいの振る舞いもあった。
髙木住職は「能登半島では葬儀ができない人もいるとニュースで知り、寺院にできることはないかと考え、慰霊や復旧・復興を祈願することにした。被災地の皆さんが一日も早く、通常の生活が送れるようになれば」と語った。
また、餅まきがにぎわったことにも言及。「これをきっかけに多くの人が、お寺に興味を持って来てくれるようになれば。世界遺産の20周年も盛り上がれば」と話した。
(2024年1月30日付紙面より)
清水峠の周辺を整備 (なちかつ古道を守る会 )
「なちかつ古道を守る会」(地庵晋司会長)は27日、那智勝浦町浦神にある清水峠の周辺整備を行った。会員12人が参加、草木を刈り道を補修した。
清水峠は、世界遺産である熊野古道の大辺路の一部で、距離は75㍍。同会は同町内の熊野古道の保全活動を行っており、清水峠でも不定期で実施している。今回の整備は、事前に下見を行ったところ、イノシシが掘り返すなど荒れた状況だったので、実施を決めた。
一団は同日の朝、JR紀伊浦神駅に集合。草刈り機やチェーンソー、つるはしなどを持って清水峠に移動、整備を開始した。会員が自作した、清水峠の進行方向の自作看板3本も持参していた。
現場は草木が伸びて古道にせり出し、掘り返された岩石が散乱するような状態だった。会員らは協力して、障害なく歩けるように補修していた。
地庵会長は「今年は世界遺産の登録20周年になる。いろいろな団体が(熊野古道を使った)イベントを組んでいるかもだし、清水峠にも来てくれることを期待して整備したい。ロケットを見に集まる人も歩いてくれたら」と話した。
(2024年1月30日付紙面より)
第198回職場対抗ボウリング大会
地元の協議会へ日時報告 (スペースワン株式会社 )
小型ロケット射場「スペースポート紀伊」を運営するスペースワン株式会社(東京都港区)が26日、ロケット「カイロス」初号機について3月9日(土)午前11時~正午ごろ打ち上げ予定〈予備期間10日(日)から31日(日)〉として今後の準備を進める旨を発表した。
今月26日に串本町内であったスペースポート紀伊周辺地域協議会(会長=下宏和歌山県副知事)の臨時総会に同席した同社の遠藤守取締役が報告。「カイロス初号機については本年3月9日土曜日、午前11時から12時ぐらいにスペースポート紀伊から打ち上げることを目指してまいりたいと思う。天候や予期せぬ事態の発生により変更される恐れもあるが、当該日時を前提に関係法令の手続きを進めている」と伝え、「地元と関係者に感謝の意を込め打ち上げを成功させるべく、全社一丸となって準備を進める。引き続きご支援ご協力をお願いできれば」と求めた。
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当初このロケットはおととし3月打ち上げ開始予定だったが、世界情勢に伴う部品調達難に直面し時期を見定めるも重ねて延期を余儀なくされてきた。2年越しで明確な日時が示されたことを受け、同協議会も見物客の受け入れなど混雑緩和の方策を順次発動する。
同射場至近の串本町・田原海水浴場と那智勝浦町・旧浦神小学校へ設ける公式見学場の入場チケット予約は、インターネットサイト「ロケット『カイロス』初号機打ち上げ応援サイト」登録者を対象にして今月29日(月)午後から開始予定。定員は各2500人、チケットは中学生以上1枚3000円。自家用車で来町しパーク&ライド専用駐車場から送迎バスを利用する場合は送迎バス付きチケット5000円を申し込む形となる(3歳~小学生は半額適用)。詳細は同サイト参照。
同総会ではこのほか▽公式見学場におけるイベント概要▽打ち上げ日の駐停車対策▽初号機の打ち上げ中継のウェブ配信やサテライト会場―などで現行案を確かめ、今後の段取りの足掛かりをつけるなどした。
(2024年1月28日付紙面より)
勝浦小学校で減災教室
巨大地震が起こったら町は、自宅はどうなってしまうのか。そんな事態を疑似体験しようと25日、那智勝浦町立勝浦小学校(山下真司校長)で県の「出張!減災教室」が開かれた。4年生41人が地震体験車「ごりょう君」で、1日に発生した能登半島地震と同じ最大震度7の揺れを体験した。
教室では、県から委託を受けた株式会社貴志の職員が講話。1995年の阪神淡路大震災による死因の8割が倒壊家屋や家具の下敷きになったことによる圧死や窒息、外傷性ショックだったとし「避難することも大事だが、まずは親と協力して家の中を安全に。1日8~10時間は寝ていて無防備になるので、寝室から対策を始めるのがいい」とアドバイスした。
具体的には▽寝室に大きな家具を置かない▽家具を固定する▽万が一家具が転倒しても押しつぶされない配置にする▽脱出経路の近くに物を置かない―などを呼びかた。
阪神淡路大震災時の室内映像を上映すると、大きな棚や机が音を立てて倒れていく様子に、児童から「あ、潰されちゃう」「やばいやばい」と声が上がった。地震体験では、4人ずつ椅子に座って最大震度7を体験した。
坂地那奈子さん(4年)は「実際に地震が起きたとき、自分の周りに何があるか、どんな体勢でいるのか分からない。これまでの震災を生き延びた人はすごいと思う」。植松琉仁君(同)は「揺れが大きくなっていくのが怖かった。弟と一緒に寝ている部屋にテレビがあるので、移動させた方がいいかも」と話していた。
能登半島地震によって全国的に防災意識が高まりを見せている現在、「出張!減災教室」も申し込みが増加している。和歌山県危機管理・消防課によれば、2月はほぼ予約が埋まっているという。随時申し込みを受け付けており、活用を呼びかけている。
(2024年1月28日付紙面より)
文化財防火デーに訓練
「文化財防火デー」の26日、新宮市の熊野速玉大社(上野顯宮司)、那智勝浦町の熊野那智大社(男成洋三宮司)、那智山青岸渡寺(髙木亮英住職)で防火訓練があった。関係者が連携して放水や文化財搬出の手順を確認し、意識を高めた。
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熊野速玉大社では、消防や神職など38人が参加。社殿裏の雑木林からを出火元と想定し、延焼を防ぐため連携して放水した。文化財に見立てた箱も搬出した。
速水盛康教育長や上野宮司、堀切学市消防署長の講評では「文化財を守り伝える思いが、歴史や文化を強くしていく」「社殿や文化財を皆さんと共に伝えていきたい」「今後も連携して守っていきたい」などが語られた。
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熊野那智大社では、宝物殿裏の林から煙を確認した神職が「火事だ!」と有事を知らせ、119通報。那智山区内には公設の消火栓9基、貯水槽3基の他、熊野那智大社私設の消火設備もあり、駆け付けた消防隊員ともに一斉放水で火事を消し止めた。
湯川辰也消防長は迅速な対応を称賛し「一番大切なのは火災予防」と講評。男成宮司は能登半島地震によって輪島市内で発生した火災に触れ「災害で道が寸断される可能性もあり、自衛による防火が重要」と呼びかけた。
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4年ぶりに本格的な訓練を実施する那智山青岸渡寺では、木造の本堂床下から出火したと想定。自衛消防隊が初期消火や参拝客の避難誘導、寺宝の搬出に当たった。消防本部・消防団が現場に到着し、一斉放水した。消火器の取り扱い訓練もあった。
関谷善文消防署長は「乾燥により火災が発生しやすい時季。十分注意を」と呼びかけた。髙木住職は「重要な宗教行事と文化財を後世につなぐことがわれわれの使命」と強調した。
(2024年1月28日付紙面より)
佐藤春夫が作詞した校歌で「好文の木」と歌われる、新宮市立緑丘中学校(宮本雅史校長)の正門部分に植えられた梅の木に、白い花がほころび始めた。木は4本あり、それぞれ一分から四分咲き程度。登下校で行き交う生徒らの日常に彩りを添えている。
「好文」とは、中国の故事に由来する梅の呼び方。晋の武帝が「学問に親しめば梅が咲き、学問を廃すれば咲かなかった」と伝えていることにちなむ。春夫は、1951(昭和26)年に制定された緑丘中の校歌の2番に「門辺には好文の木を植えたれば」という一節を加えている。好文の故事を念頭に置き、生徒に学問に親しんでほしいとの願いを込めたものと思われる。
なお、緑丘中は現在、城南中との統合に向けた協議が進んでおり、将来的に校歌が変わる可能性もある。このため一部では「市道沿いからも見られるので、好文の木だけでも末永く正門入り口に残してもらえれば」との声がある。
(公財)佐藤春夫記念会の森奈良好理事の調査によると、春夫が作詞した校歌(運動部歌なども含む)は現在、69件が確認されている。そのうち、校歌の記念碑を建立しているのは8校9基。新宮工業高等学校校歌、新高野球部応援歌、丹鶴小学校校歌、新宮商業高等学校校歌は、学校統合などで現在は歌われていない。
新宮市立佐藤春夫記念館の辻本雄一館長は、緑丘中の出身で、実際にこの校歌を歌っていたという。「ただし、中学の頃なので、あまり何も考えずに歌っていた」と明かす。春夫は下里中学校や木本高校の校歌なども手がけており「それらで自然から学べとの表現は、よく使っている」と説明する。
「好文の木とは勉強の木。菅原道真が梅を好んだということもあるし、勉強と関係が深いのだろう」と述べる。校歌については「(統合で)校名が変わったりすれば仕方がないだろうが、春夫の精神だけは伝えてほしい」と語った。
(2024年1月28日付紙面より)
性的少数者への理解促進 (和歌山県 )
和歌山県は、2月1日(木)から「パートナーシップ宣誓制度」を導入すると発表した。互いを人生のパートナーとして約束する性的少数者(LGBTQとも)のカップルが、協力して共同生活を営むと宣言したことを県が証明し、婚姻関係にある夫婦と同等のサービスを受けられるようにする。
宣誓受領証に法的効力はないが、提示することで2人の関係性を証明し、県営住宅への入居申し込みや、医療機関での家族としての面会、保育所の送り迎えでの家族としての認定などを円滑に行うことができる。制度の導入で、同性カップルなどへの理解促進につなげる狙いもある。
熊野地方では、先行して新宮市や那智勝浦町が「パートナーシップ・ファミリーシップ」を導入しており、2021年から那智勝浦町で「レインボーフェスタ」が開催されるなど、性の多様性理解への取り組みが行われてきた。
「レインボーフェスタ那智勝浦」の開催に取り組んできた丸山都さんは「行政の方々にも僕たちLGBTQの当事者の存在を知ってもらえたこと、県全体で制度ができたのは喜ばしいこと」と語り、「社会にはLGBTQ当事者だけでなく、さまざまなマイノリティーがおり、僕たちも考え続けていきたい。誰もが自分らしく生きられる社会に」と期待を寄せた。
パートナーシップを宣誓するには、いずれも成年に達していることや▽一方または双方が性的少数者▽どちらか1人は県内に住所を有する▽配偶者がなく、宣誓者以外の人とパートナーシップ関係にない―といった要件を満たす必要がある。県では「この制度の導入により、多様な性や性的少数者の方々に対する理解を広めていくとともに、生活上の困り事の軽減など、暮らしやすい環境づくりにつなげていきます」としている。
(2024年1月27日付紙面より)
幸福を招く縁起物 (熊野速玉大社 )
節分を間近に控え、新宮市の熊野速玉大社(上野顯宮司)は26日、縁起物の「吉兆(きっちょう)」作りを終えた。幸福を招くとされる縁起物で、授与所で同日から販売を開始する。希望者には郵送も行う。
上野宮司をはじめ神職や巫女(みこ)、敬神婦人会のメンバーらが今月上旬から制作に取りかかっていた。約80~90㌢の「大」100本、約50㌢の「小」1000本を用意する。
「吉兆」は「良いことの兆し」を意味する。古い信仰では、「お正月様(年神)」が「今年は豊年、凶事・疫病の起こらぬ良い年」と祝福したことから、この福神を迎えた木のことを「吉兆」という。
大社境内の山林で採ったヤナギの枝を、上野宮司が剪定(せんてい)して束ね、大福帳、小判、お守り、タイなどの小物をくくり付け、仕上げに直径約2~3㌢の赤、白、青、紫などの「もち花」を付けて完成となる。
ヤナギはその生命力の強さ、力強さなどから福神が宿るとされている。節分に飾ると商売繁盛、家内安全などの幸福が訪れると信じられている。
吉兆は2月3日(土)の節分祭でも授与するが、人気があり午前中で売り切れてしまうこともある。値段は大が3500円、小が2000円。郵送の場合は送料別、着払いのみ。問い合わせは同大社(電話0735・22・2533)まで。
今年の節分祭は、午前10時から午後9時まで「お焚き上げ」を実施。「追儺(ついな)式」は午後7時から。鬼が登場して福豆をまく。
(2024年1月27日付紙面より)
佛光山善照寺で防火訓練 (串本町 )
串本町古座にある佛光山善照寺(山本昭隆住職)で25日に防火訓練があり、山本住職や檀家(だんか)ら7人が消防到着までの対応を実践するなどした。
1949年の法隆寺金堂焼損の教訓として定められた文化財防火デー(1月26日)の趣旨を意識した取り組み。同寺は国指定重要無形文化財の絹本著色阿弥陀三尊像などの寺宝を所蔵し、築約250年の本堂や山門も町の文化財に指定されている状況により、町教育委員会の仲立ちにより町消防本部古座消防署と共に西向にある薬王山成就寺と隔年交互でこの訓練に取り組んでいる。
この日は母屋の台所から出火した想定で訓練開始。山本住職が大声で出火を告げて119番通報をし、集まった檀家らと手分けして共に本堂から寺宝に見立てた箱を山門付近まで搬出した。到着した同署は最寄りの水利からホース延長をし、実放水をするところまでの手順を実践した。
同本部の井本茂消防司令が訓練における一連の流れを確かめ、同デーの趣旨を伝えて今後も定期的に訓練を続けるよう求めて講評。その後は訓練用水消火器を使って取り扱い方の練習もした。
この日は小雪舞う冷え込みの中での実践で、寺宝を模した箱は持ち出すべき量を意識して準備したという。山本住職(79)は「消防が来て消火(=放水)をしてくれる訓練はなかなかないので本当にありがたい。いざ起こると慌てもするが、こうして訓練をしておけば冷静に適切な対処ができる。参加いただいた檀家の皆さまにはせっかくの機会なので、お寺だけでなくご自宅での不慮の考え方を磨くことにも生かしていただければ」と訓練を通して思うところを語り、檀家と先人が尽力して残した寺宝や建物をわれわれもしっかり保存して後世へ残していきたいという思いを分かち合って訓練を締めくくった。
(2024年1月27日付紙面より)
城南中で熊野曼荼羅絵解き (新宮市 )
城南中学校運営協議会(森本祐司会長)は24日、新宮市立城南中学校(吉田元紀校長)で、ふるさと学習「熊野曼荼羅(まんだら)の絵解き」を実施した。市観光協会登録ガイドの西浦康代さんが絵解き役を務め、2年生53人が熊野の歴史や文化について学んだ。
絵解きは2022年から2年生を対象に行われており、今年で3回目。この日は同協会の専務理事でもある森本会長も訪れ「今日の絵解きは、人の一生の話です。ぜひ最後まで楽しんで聞いてください」とあいさつした。
熊野比丘尼(びくに)の装束を身にまとった西浦さんは絵解きに先立ち、熊野の歴史と文化をスライドで説明。平安時代に京都から多くの皇族や貴族が熊野古道を通って熊野三山を訪れ、「蟻(あり)の熊野詣」と呼ばれたことや、熊野古道には「中辺路」「大辺路」があるなどを紹介した。2004年には「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産登録されたことを語った。
戦国時代以降には少しずつ参詣者が減少していったため、熊野比丘尼が絵解きを行い、熊野信仰を全国に広めたと解説。年に1度、所属寺院に寄付を納めて、再び全国へと旅立ったことも伝えた。
後半は「熊野観心十界曼荼羅」の絵解きを実施。絵柄を指し示しながら人が生まれて人生の坂を上り、やがて下る。生前の行いによっては畜生道、餓鬼道、地獄道などに転生する。落ちる地獄も罪状によって種類があることなどを語った。西浦さんは「生前の心がけ次第で素晴らしい世界に行けるが、もっと大切なのは熊野にお参りすること」と述べた。
川瀬結衣さんは「天国と地獄について聞いたことはありましたが、深いところまでは知らなかったので新鮮に感じました。難しい部分が多かったけど、普段とは違う視点から改めて熊野の歴史が知れて勉強になった」と話していた。
(2024年1月27日付紙面より)
合気道部、昇級審査で合格 (新宮高校 )
節分を間近に控え、田辺市本宮町の熊野本宮大社(九鬼家隆宮司)では福豆と鬼面札の調製がピークを迎えている。鬼面札は、もともとは新型コロナウイルス感染症の撲滅を願い始められた護符で、調製は3年目となる。節分追儺(ついな)式の神事に参列した厄よけ祈願者や、2月3日(土)以降に厄払い祈祷(きとう)を受けた人に授与される。ただし、なくなり次第終了となる。
鬼面札は戦前から同大社に残る鬼面印を使用。版木は新たに調製し、鬼面の右には牛王(ごおう)神符、左には「七難即滅 本宮再生 蘇民将來子孫家」の印が押されている。「蘇民将來」は災厄を払い、疫病を除いて福を招く神として信仰されている。大きさは、縦が約25㌢、横が約31㌢。
調製は15日から開始。25日には神職らが、奉書紙に八咫烏(やたがらす)神事で調製した宝印を押すなどして鬼面札を完成させていった。あと3日程度で約250体を仕上げる予定となっている。
九鬼宮司は「厄年の方はもちろんだが、今年は能登半島地震や北日本の大雪など、とどまることがない自然災害が起こっている。厄年の人だけでなく、自然災害がないようにと願って、鬼面札を調製しています」と話した。
2月3日の節分祭は午前10時から、節分追儺式は午後4時から実施。追儺式では、神職や神社役員らが豆をまきながら拝殿の回廊を3周し鬼を追い払う。昨今の状況を鑑み、まく豆は袋に小分けされたものを使用する。
(2024年1月26日付紙面より)
㈱海邊組が奉仕し協力 (新宮市三輪崎区 )
新宮市三輪崎の三輪崎八幡神社裏手でこのほど、避難場所の整地作業が行われた。地元である株式会社海邊組(海邊俊行代表取締役社長)が地域貢献活動で奉仕し完成させた。
三輪崎区は、南海トラフ巨大地震の津波発生に備えるため、高台となる同所の整備を行っている。土地はかつて畑だったが、現在は空き地となっており、土地所有者の了解を得て昨年12月に区役員や氏子神社総代会、若手ボランティアメンバーらが草刈りに励んだ。
同社はこれまでにも未舗装部分となっていた避難路の整備のほか、車両の通行を可能にするなど、さまざまな面で協力。今回も「地域のために貢献したい」との思いから区に申し出る形で年明けから作業を進め、約400坪の土地を整備した。
三輪崎区では、今回の避難場所整備に感謝しており「災害が発生した際に避難する場所が少なく、区民が迅速に逃げられるよう、もっと数が必要」との認識の下、区民の命を守るために、今後も地域一体となって防災に備えていくという。
(2024年1月26日付紙面より)
マダライルカの赤ちゃん (太地町立くじらの博物館 )
太地町立くじらの博物館で昨年7月25日に誕生したマダライルカの赤ちゃんの愛称が「マナ」に決定した。マナは現在、園内の海洋水族館マリナリュウムで元気に泳ぎ回っている。
温帯や熱帯の海域を好むイルカであることから、ハワイ語にちなんだ愛称を一般募集し、484通の応募の中に16通あった「マナ」に決定。ハワイ語で「超自然的な力」「奇跡的な力」を意味する「マナ」、「希望」や「前進」を意味する「マナオラナ」が由来だ。
マナは雌で、誕生時の体長は85㌢、推定体重8㌔。約6カ月で体長134・5㌢、実測体重30㌔まですくすく成長した。マダライルカは細い口と成長とともに増える斑点模様が特徴で、父親はハワイ語の「光り輝く」が由来の「リオ」、母親は「穏やかな」が由来の「ラナ」。
同館は「新しい命誕生への思いと、赤ちゃん、そして関わる全てが幸せになってほしいという願いが込められている」としている。マナに応募した全員に、記念品の「マナ」オリジナル缶バッジを贈呈するという。
(2024年1月26日付紙面より)
天満保育園に新たな遊具 (那智勝浦町 )
那智勝浦町天満の日本基督教団紀南教会の天満保育園(多屋千晶園長)に24日、新しい鉄棒と平均台が届いた。朝には雪がちらつく中、園児たちは寒さに負けず器械体操で元気に運動した。
限られたスペースでもたくさん体を動かし、熱中して遊ぶ中で筋力・体力を高めてもらうことが狙い。教育者で幼少年期の遊びや体育に精通した安田祐治さんが考案した安田式遊具で、高さの異なる鉄棒3台、高さ・細さの異なる平均台4本を購入した。
使い方の実演や保育士向けの研修を兼ね、エール株式会社の山本充昭さんが来園して器械体操を指導。0~5歳の園児たちは平均台を腹ばいになって渡ったり、鉄棒にぶら下がってお尻をふりふりしたりと、全身を使って遊んだ。園庭に「やったー! できたよ」「すごい!」と元気な声が響き、初めて逆上がりが成功した園児もいた。
山本さんは保育士に向け、遊具を使う際のポイントや狙い、遊びのアイデアや声かけについて細かに解説。「鉄棒に手が届かないからと持ち上げてあげるのは良くない。手が届かないという感覚、手を届かせようとぐっと背を伸ばす経験が、子どもたちの空間把握力を育てていく」と語った。保育士からは「1、2歳に器械体操はまだ早いと思っていたが、どんどん挑戦して成長していく姿に驚いた」との声があった。
多屋園長は「声をかけたときにピタッと止まる、一緒に遊んでいるお友達とぶつからないように気を付ける、高さの感覚を身に付けるなど、遊びの中で能力を高めていくことが、子どもたちの安全にもつながる」と話していた。3月には新しいジャングル滑り台も届く予定だ。
(2024年1月26日付紙面より)
熊野那智大社の手水舎につららも
これまでの暖かな陽気が一変し、この冬一番の強い寒気の影響で24日、熊野地方でも雪が降った。早朝にかけて田んぼや住宅の屋根、学校グラウンドなどで雪化粧した光景が広がった。
断続的に雪が降った那智勝浦町では、熊野那智大社の手水舎に大小のつららが連なり、雪が社殿の屋根をうっすらと覆った。那智山青岸渡寺では降り積もった新雪が朝日とともに幻想的な風景をつくり上げた。
新宮市内では日が昇ると雪景色も姿を消し、普段の光景に戻った。
気象庁によると24日の最低気温は新宮市で0・1度、古座川町西川で氷点下0・1度だった。25日午前6時までの24時間予想降雪量は近畿で80㌢。
(2024年1月25日付紙面より)
お披露目&かるた大会
北山村の文化の一つである「北山弁」を後世に残そうと立ち上がった「北山弁を残そうの会」が19日、完成した「北山弁かるた」のお披露目とかるた大会を村民会館で開催した。30人が参加し、和気あいあいと熱戦を繰り広げた。
同会は公民館活動の一つとして昨年9月に立ち上がり、地域の高齢者らから方言を収集。かるたに使えそうな例文を考え、イラストを付けた。
お披露目では、泉清久教育長が「皆さんに出していただいた例文をよりすぐり、少し『上品な』かるたに仕上がったのでは。街に出ている家族が帰ってきたときなど、村を懐かしむきっかけになれば」とあいさつした。
かるた大会では、生粋の北山村民である久保由美子さん(67)と久保英一さん(63)が読み手を担当。3グループに分かれてスタートするも、コテコテの北山弁に「え、なんて?」「通訳が必要やわ」と四苦八苦。「『いったくろ』はスズメのこと」「『ふてたっとう』はなくしてしまったという意味」「『いわしのかんぴんたん』はだるまさんがころんだの変えバージョン」と解説があった。
イラストを担当した杉浦梨恵さん(49)は「世代ごとに少しずつ言葉が違い、北山村で生まれ育った私でも『これはどういう意味?』と聞きに行くことがあった」と制作を振り返る。
「北山弁かるた」は現在3セット制作しており、今後は高齢者が利用するデイサービスなどに積極的に貸し出しを行っていく他、希望があれば増刷もする。引き続き方言収集を進め「北山弁辞書」の制作にも鋭意取り組んでいるという。
(2024年1月25日付紙面より)
「文化財防火デー」を前に、田辺市本宮町の熊野本宮大社(九鬼家隆宮司)で23日、防火訓練があった。大社の神職や職員で組織する自衛消防隊や、田辺市消防署本宮分署、田辺市消防団本宮支団本宮分団・請川分団から約40人が参加。社殿への放水が弧を描いた。
文化財防火デーである1月26日は、1949(昭和24)年に法隆寺金堂壁画が焼損した日となる。55(昭和30)年からこの日を中心に全国で防火運動が展開されている。本紙エリアでも、熊野の三大社や那智山青岸渡寺が防火訓練を行い備えている。
熊野本宮大社の訓練は、宝物殿奥の山林から出火し、境内を巡回中の神職が発見したとの想定で行われた。参加者らは消火活動や119番通報など、それぞれ担当する活動を実施。社殿からはご神体に見立てた箱を運び出した。最後に延焼防止のため、社殿に向けて放水銃で一斉に放水した。
講評で井戸清明・田辺市消防署本宮分署長は「自衛消防隊の皆さんはきびきび動き、無事に役割を遂行できていた。団の皆さんも普段通りの活動ができており、良かったと思う。大社や団、地域が団結し、火災を起こさないように」と呼びかけた。
続いて、九鬼宮司もあいさつ。「今年は世界遺産20周年の年。世界から多くのお参りがあると思う。大社を維持し、大火を出さないように肝に銘じ、しっかりと守っていきたい」と力を込めた。
社殿に放水する防火訓練に先立ち、自動体外式除細動器(AED)使用法や消火器取り扱いの訓練もあった。
(2024年1月25日付紙面より)
統合による新高校の校名候補 (木本高校・紀南高校 )
三重県教育委員会は23日、県立木本高校と紀南高校を統合し、2025年4月に開校する新しい高校の校名候補を「三重県立熊野青藍(くまのせいらん)高等学校」に決めた。今後、県議会の議決を経て、本年度中に校名が正式決定する予定だという。
「歴史ある「熊野」の地名に加え、「青藍」は紀南地域の青い海や青い空をイメージさせ、鮮烈な印象を与えてくれる。また、『青は藍より出でて藍より青し』は、弟子が師をこえて成長していくことを表しており、新校への思いや願いが感じられ、生徒が誇りを持つことができる校名としてふさわしい」との理由で選考した。
昨年10月7日から11月2日まで校名を公募したところ、728件362種類の応募があり、児童生徒の投票を踏まえ、校名選定委員会で3案に絞り、今回1案に決めた。
新校は校舎制を採用し、木本校舎は普通科3学級、総合学科1学級、紀南校舎は総合学科1学級を配置する。
(2024年1月25日付紙面より)
下里中で犯罪被害者遺族講話 (那智勝浦町 )
那智勝浦町立下里中学校(中西健校長)で23日、命をつなぐ授業「歩(あゆみ)と生きる」があった。殺人事件で娘の歩さん=当時(20)=を亡くした犯罪被害者遺族の中谷加代子さん(63)=山口県=が講話し、3年生30人が真剣な表情で「命」と向き合った。
和歌山県警、公益社団法人紀の国被害者支援センター、町教育委員会共催。中高生に犯罪被害者が受けた痛みや子どもを亡くした親の思いを伝え、「命」や「生きること」について考えてもらおうと実施した。生徒のサポートのため臨床心理士を配置し、新宮警察署の被害者支援係や下里駐在所の警察官らも同席した。
中谷さんは冒頭「殺人事件というと、どこか遠く感じるかもしれない。でも『いじめ』はどうでしょう? いじめは心と体への暴力。そんなに遠い話ではない」と言及。家族の幸せな日常生活を一変させた事件へと話を進めた。
歩さんは山口県内の高等専門学校5年生だった2006年8月、校内の研究室で同級生の男子学生に殺害された。男子生徒はその後、山中で遺体となって見つかり、自殺したものとみられる。
中谷さんは「遺体に『早く起きて』と声をかけ続けた。火葬をした後も現実が受け入れられず、娘が帰ってくる気がした。高専を薦めたのは私で、次々と後悔が湧いてきた。歩がいないのに生きている自分が嫌になった」と当時の心情を語った。
どん底の中多くの人々に支えられ、現在では被害者支援や刑務所・少年院へ出向いて対話に取り組んでおり「命を償うことは、たとえ命でもできない。償う方法があるとしたら、それは加害者の人生にあるのだと思う」。生徒たちに「どうか皆さんは、加害者にも被害者にもならないで。生きているという幸せをいっぱいに感じてほしい。生きてここにいてくれて本当にありがとう」と語った。
講演を聞いた中村安祐美さん(15)は「事件が起きる前の日常の話があり、自分たちの周りでも起こりうることなのかもと感じた。普段の日常や周りの人たちを大切にしたい」と話していた。
(2024年1月24日付紙面より)
能登半島地震から学ぶ講演会 (太地町 )
「能登半島地震から学ぶ」と題した防災講演会が21日、太地町公民館であった。1級建築士で防災士の森岡茂夫さん(72)が「災害時には近所の人同士で助け合うことが大事。そのためにも自主防災が重要になる」などと話し、首掛けタイプのライト常備を呼びかけた。
森岡さんは日本建築家協会(JIA)の本部理事、神奈川県代表などを歴任。東日本大震災、紀伊半島大水害など全国の被災地で支援活動に従事した。2013年、故郷太地町にUターンし、JIA和歌山災害対策委員長に就任。太地町を中心に全国各地で防災セミナーを開いている。
講演では、全国の被災地で活動していることを挙げ「災害はいつどこで起きても不思議でない。『災害が起きたらどうしよう』と考えることが大事」と示した。
能登半島地震の被害写真をスライドに映し「輪島市の火災は断水で水がなく、津波警報が発令されたため、海から取水できず消火活動ができなかった」と分析。太地町内の消火栓、防火水槽を紹介した上で「揺れが収まるまで身を守り、自宅で火を出さない、燃え始めたら初期消火が大切」とした。
「能登では遡上(そじょう)高3㍍の津波が1分以内に到達した」とし、南海トラフ地震が発生した際、太地町では震度7、最大津波高13㍍、津波到達最短時間3分と予想されており、玄関まで逃げる「屋内津波避難訓練」などを提案した。
揺れによる家屋倒壊から命を守るため、住宅耐震診断、耐震化補助金の活用、逃げるまで倒れない補強なども紹介した。
(2024年1月24日付紙面より)
水族館で節分展示始まる (串本海中公園 )
串本町有田にある串本海中公園センター水族館(森美枝館長)で20日、オニという言葉が名前に付く生き物を紹介する節分水槽の展示が始まった。
串本の海の話題を伝えるトピックス水槽を使った期間限定展示。クリスマス、正月に続いて風物詩と絡めたテーマで仕立てた。
今年は飼育スタッフの中村公一さんが内容を担当。最寄りの海域から▽アカオニナマコ▽オニヒトデ▽ホンドオニヤドカリ▽コガネオニヤドカリ―の4種類計7匹を展示飼育し、背面に赤鬼と青鬼の面、底面に豆に見立てた長径1㌢弱のタカラガイの貝殻を詰めた木製の升も飾って節分の雰囲気を演出し、水槽上部のモニターで4種類それぞれの解説をしている。
オニという言葉を含む生き物の多くは、その種の中では大柄な部類。ヤドカリ2種類については背負っているものと似た大きさの貝殻を一つ余分に入れ、宿換えを誘って見応えを増す工夫もしている。中村さんは「アカオニナマコやオニヒトデは角のような突起、2種類のヤドカリは毛深いことでそれぞれオニを名前に含んでいる。串本の海にはオニを名前に含む魚もいるが、(水槽の大きさが限られているため)今回はこの4種類にとどめた。どれもイセエビと同じ環境に普通にいる生き物。節分にちなんで興味を持っていただければ」と展示に込めた思いを語り、期間中の鑑賞を呼びかけている。
展示期間は節分翌日の2月4日(日)まで。この水槽は館内Aゾーンにあり、鑑賞時は入館料が必要になる。展示内容は個体の健康状態などで変更する場合があるとしている。問い合わせは同センター(電話0735・62・1122)まで。
(2024年1月24日付紙面より)
日本生命が手品ショー (みくまの支援学校 )
日本生命保険相互会社和歌山支社の主催による手品ショー「DAIKIマジック教室」が22日、和歌山県立みくまの支援学校(松下幸嗣校長)であった。小学部、中学部、高等部の児童生徒90人が観覧。目前で繰り広げられる、数々の不思議な出来事を楽しんだ。
日本生命は昨年5月に、豊かな地域社会の形成および発展、県民サービスの向上を目的として、和歌山県と包括連携協定を締結。その一環として、県内の4支援学校でのマジック教室を企画した。DAIKIさんは国内外で数々のマジック関連賞を受賞しており、テレビにも多数出演するイリュージョニストとして知られている。
ショーは、DAIKIさんの手から突然火が出たと思うと、次の瞬間にはステッキが握られているという、派手な演出で開幕。ロープに結んだはずのスカーフが外れている、4枚のスカーフが一瞬で大きな1枚に変わるなど、いろいろなマジックを次々と繰り出した。
児童生徒がマジックに協力する一幕もあった。手伝う児童生徒の目の前で、テーブルが空中に浮いたり、へこんだ空き缶の中身が戻ったり、投げたはずのトランプのカードがペットボトルの中にあったりした。全児童生徒が目を見開き歓声を上げ、盛んな拍手を送った。
高等部3年の上空翔さんは「全部のマジックがすごかった。ペットボトルの中にカードがあるのがすごいと思った。楽しめた」と語った。
(2024年1月24日付紙面より)
生まぐろフェスフィナーレ (那智勝浦町 )
はえ縄漁による生鮮マグロの水揚げ日本一を誇る那智勝浦町築地の勝浦地方卸売市場で20日、「生まぐろフェス2024」のフィナーレイベントが開催された。生マグロ販売や出店、ステージなどがあり、大勢の人出でにぎわった。
約30年にわたって町を盛り上げてきた「まぐろ祭り」をリニューアルし、コロナ禍を経て4年ぶりに復活。単発のイベントではなく、宿泊して町を周遊観光してもらう狙いで、期間限定クーポンやスタンプラリーを交えた1週間のイベントとし、最終日に市場を貸し切ってフィナーレを飾った。
あいにくの雨だったが、会場には朝から長蛇の列ができ、生マグロが飛ぶように売れていった。ステージの注目は「生マグロ解体ダービー」。5チームが出場して15~20㌔物のキハダマグロを解体するスピードを競い、参加者が1位を予想するもの。まな板や包丁のハンディもあって勝負の行方が見えない中、4番のサンカツウラが優勝した。正解者には抽選でマグロのプレゼントもあった。
藤紀和会の輪踊り、HAL CREWやAniani Hula Studioのダンス、新翔高校や近畿大学附属新宮高校吹奏楽部の演奏などでも盛り上がった。南紀くろしお商工会青年部はまぐろカツを販売し、売上は全て能登半島地震の被災地へ寄付することとした。
串本町から家族4人で参加した山田遥大君(8)は「大きなマグロを解体していてすごい。ツナムスメに投票したけれど、外れて残念。つみれ汁がおいしかったよ」と話していた。
生まぐろフェス運営委委員会の清水貞吾運営委員長(那智勝浦観光機構理事長)は「今後もイベントのブラッシュアップを重ね『世界遺産と温泉と生マグロの町』である那智勝浦町ならではのイベントを育て、誘客に取り組んでいく」と力を込めていた。
(2024年1月23日付紙面より)
串本ふるさと大使会議
串本ふるさと大使会議が20日に串本町内であり、同大使4人が田嶋勝正町長らと情報や意見を交換した。その後は民間ロケット射場「スペースポート紀伊」やロケット「KAIROS(カイロス)」初号機公式見学場(田原海水浴場)、旧役場古座分庁舎内の宇宙関係展示環境や古座サテライトオフィスを見学するなどした。
同大使は、町にゆかりがあり秀でた社会的影響力がある人材に町のアピールを求めるため町長が任命していて、同日現在、14人がその人選を受け日々機会があるごとにその協力をしている。
この会議は町の代表者と情報や意見を交わしてまちづくりに寄与してもらう目的で基本年1回開いているが、最近はコロナ禍で開けない状況が続いたため今回は2020年度以来4年ぶりとなる。
本年度は南紀串本観光協会のイベント「本州最南端の火祭り」見学も前提にして期日を定めたが、当日雨天でイベントが延期となったため同会議とロケット関係見学のみ実施。同大使側からは▽赤木正和さん(株式会社エコロケーション代表取締役)▽中谷和夫さん(元サントリーホールディングス役員)▽平野啓子さん(語り部・かたりすと)▽前田裕子さん(株式会社ジェティ代表取締役)―の4人、町側からは田嶋町長、平井治司副町長、町議会の鈴木幸夫議長、町企画課の名田倍也課長と広報系統職員がそれぞれ出席した。
同会議はくじ野川にあるレストラン空海であり、田嶋町長は能登半島地震災害対応状況、高速延伸やロケットの現況を情報共有しつつ大使側の出席を歓迎。鈴木議長は県も21世紀最大のビジネスチャンスと捉えるロケットや来年の春に開通予定のすさみ串本道路を展望として見据え、今年を町の成長の年にしたいとして同大使へ協力を求めた。
以降は食事をしながらの歓談で情報や意見の交換を重ねた。田嶋町長はこの機に▽ボトルドウオーター「串本の水」▽スペースタウン串本ロゴバッジ(プレートタイプ、非売品)▽ロケット関係グッズ▽冊子「南端の暮らしと真珠貝採貝漁業の歴史・文化」―を進呈。中谷さんは冊子の著者・上野一夫さんと同級生だと明かし、その活躍を喜びながら受け取った。
(2024年1月23日付紙面より)
町内11地区で通信訓練 (那智勝浦町 )
和歌山県は20日、災害時に孤立の可能性がある県内集落202カ所で防災行政無線を利用した通信訓練を実施した。本紙エリアでは那智勝浦町、太地町、古座川町が参加し、無線機の操作法を再確認した。
防災行政無線は、災害時の情報収集・伝達手段確保のために各自治体が整備する通信網。スピーカー(屋外拡声子局)や家庭内の戸別受信機で地域住民に情報を伝達するだけでなく、孤立集落側から被害状況などを伝える連絡通話も可能だ。
訓練は午前9時ごろに和歌山県南方沖でマグニチュード8・7の地震(震源の深さは約10㌔)が発生し、震度5強~7の揺れで地滑りなどの土砂災害が多発して各地に孤立集落が発生したという想定で実施した。
那智勝浦町では11地区の自主防災組織が参加。浦神東区自主防災組織は下地地区にあるスピーカー付属の連絡通話装置を使い、町役場防災対策室に向けて状況を伝えた。防災対策室では、聞き取った内容を県の防災情報システムに登録した。
浦神東区自主防災組織の会長、畑下圭喜さん(66)は「災害時、町役場とつながることで安心感が生まれる。通話装置の使い方が確認でき、改善点も見えてきた。定期的に訓練した方がよい」と話していた。
(2024年1月23日付紙面より)
御神火受けて上がり子に (神倉青年団 )
新宮市の神倉神社(宮司=上野顯・熊野速玉大社宮司)の例大祭「御燈祭(おとうまつ)り」で介釈(かいしゃく)を受け持つ神倉青年団の10人は21日、団員が所有する紀宝町成川の倉庫で、御神火を最初に受ける大松明(おおたいまつ)の製作の最終作業を行った。本体頭頂部にヒノキを薄く削った「ハナ」を取り付けて完成させた。
同団は祭典の運営や警備を行う介釈として、上野宮司より受けた御神火を上(あ)がり子に分け与える役を担っている。大松明の製作は2008年から同団が担当。材料のヒノキは毎年、新宮木材協同組合から節のない良材の提供を受けている。
今回の製作は昨年12月30日に開始。細長い三角に加工したヒノキを五角すい状に組み上げて、竹ひごで締め上げていた。ハナは上がり子の松明が真っすぐなのに対し、大松明は「巻き」が入ったものを用意。加工は材料の厳選と技術を要するという。
この日は、団員らが協力してハナを取り付けた。3束を頭頂部に挿し入れ、木のくさびで固定して編み込み完成させた。団員の中山忠吏さん(54)は「上がり子に御神火を届けられるよう、きっちりと(介釈の)仕事をしたい。4年ぶりで上がり子も気持ちが高ぶると思う。けがなく無事に下山してもらえるように(警備に)努めたい」と語った。
大松明の全長は約2・4㍍、重さは約20㌔。頭頂部の幅は約15㌢で、差し込むハナは約1000本となる。
(2024年1月23日付紙面より)
要支援者への協力も (千穂第一地区で訓練 )
千穂第一地区地域支え愛プロジェクト実行委員会(委員長=小内潤治・新宮市民生委員児童委員協議会長)の主催による、住民参加型の「地震・津波防災避難訓練」が20日、新宮市の同地区であった。開始とともに地域住民の約150人が、神倉小学校の体育館に向けて一斉に避難、安全経路を確認。実行委が要支援者の避難協力も行った。
同実行委は、同地区の民生委員、福祉委員、町内会などで組織。同訓練は初の試みで、防災意識の向上や地域住民の交流を目的とする。当日は所定の時間で、地域住民が避難を開始。要支援者は定めておいた担当者が出向いて避難させた。
支援を受けて避難した松本修さん(81)は「1人暮らしで目が不自由なため、支援していただくと助かり、うれしい」と感謝した。
避難後は体育館で▽防災講演▽救命講習▽煙体験▽防災展示▽防災○×ゲーム▽新聞紙スリッパ作り▽お菓子・餅まき―を実施した。多くのスタッフに加え、新宮高校、緑丘中学校の生徒ボランティアが支えた。
防災講演では、市職員が講話。「地震の際はとにかく自分の命を守って」「食料の循環備蓄を」「避難所では人権への配慮を」「津波は浸水想定外へ避難を」などと呼びかけていた。防災展示は、東日本大震災、紀伊半島大水害、熊本地震の被害状況や、非常持ち出し袋の中身の一例などを紹介していた。
小内委員長はあいさつで「災害発生の際は、地域のつながりや住民同士の助け合い、支え合いが大切になる。今日の訓練を通じ、防災意識の向上とともに、交流やつながり、支え合いのきっかけになれば」と話していた。
(2024年1月21日付紙面より)
那智山で暖冬の影響か?
少し異常に感じるほど暖かい日が続いている、今年の冬、那智勝浦町の那智山から早くもサクラ開花の知らせが届いた=写真(18日撮影)。
場所は熊野那智大社へ向かう表参道の一の鳥居と二の鳥居の間で、神馬舎の横。品種は不明だが、1本だけぽつりぽつりと花を咲かせ始めた。早咲きといわれるクマノザクラでも開花は3月であることからも、相当早く開花したことが分かる。
サクラの花芽は冬になると休眠し、一定期間低温にさらされることで休眠から目覚める(休眠打破)。そのため一概に暖冬が開花時期を早めるとは限らないが、日本気象株式会社が出している2024年の「第1回桜開花予想」では、ソメイヨシノも全国的に平年並みか平年より早く開花する見込みとなっているよう。春はすぐそこまで来ている。
(2024年1月21日付紙面より)
新宮市の近畿大学附属新宮高校(池上博基校長)で20日、卒業式が開かれた。卒業生114人が証書を受け取り、新たな一歩を踏み出した。
卒業生を前に池上校長は「卒業は新しいステージへの旅立ち。忙しさと楽しさが実感できる『ゆったりとした働き者』になってください」と式辞。
来賓祝辞に続き、在校生代表の東洸太朗さん(2年)が送辞。卒業生代表の梅﨑光さんは家族や教職員に感謝の言葉を伝え、在校生に対し「つらいことや困難な壁にぶつかることがあっても、その経験は決して無駄にならない。自分の進んだ道を信じて突き進んでください」と答辞を述べた。
本年度は、8人が皆勤賞だった。この日は近畿大学学園賞や校長賞など、各賞の賞状も贈られた。
(2024年1月21日付紙面より)
カミジ技建が宇久井小招き (那智勝浦町 )
新宮港港湾施設整備工事を請け負うカミジ技建株式会社は19日、那智勝浦町宇久井の旧フェリーターミナルに町立宇久井小学校の6年生22人を招いて現場職業体験会を開いた。児童たちは、国内最大級の80㌧型消波ブロックが製造される現場に触れた。
同工事は和歌山県の若者・女性活躍推進モデル工事となっている。若者や女性でも働きやすい環境づくりに努めるとともに、地域貢献や将来の担い手確保を目的とする体験会で子どもたちに建設業の魅力を発信している。
事前授業で消波ブロックの種類や効果、工事の意義を学んできた児童たちは、コンクリート製の巨大な消波ブロックが整然と並ぶ現場の様子に「すごい」「めっちゃでっかい」と歓声。職人に教わりながら鉄筋の結束や型枠のボルト締めを体験し、落下防止ベルトを身に着けて高さ5㍍ある型枠の上にも登った。200㌧の巨大なクローラークレーンでブロックを運搬する実演もあった。
製造されたブロックは、宇久井半島近くまで延びる新宮港の第2防波堤を補強するために設置され、津波や高潮などから港と周辺地域を守る。
南和奏さんは「消波ブロックがどういうふうに造られているのか分かった」。西村惇希君は「身近に造られているものが、町を守っているなんてすごい。建設業をやってみるのもいいかも」と話していた。
現場主任の上地美香さんは「将来工事現場や消波ブロックを見たときに、今日のことを思い出してもらえれば」と話していた。
(2024年1月21日付紙面より)
那智山で節分準備大詰め (那智勝浦町 )
2月3日(土)の節分を前に、那智勝浦町の熊野那智大社(男成洋三宮司)と那智山青岸渡寺(髙木亮英住職)では「鬼面札(きめんふだ)」や「祝枡(いわいます)」などの準備が進められている。
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熊野那智大社では災難よけのお札「鬼面札」と「福桝(ふくます)」を作っている。鬼面札は、3代前の篠原四郎元宮司作の木版画で、しめ縄の中に赤鬼と青鬼が描かれた災難よけのお札。
神職が画仙紙に那智の滝の水で溶いた墨を版木に付け1枚ずつ刷り、巫女(みこ)が「那智社印」などの印を押して、2000枚を仕上げる。「益々繁盛」の文字などが記された木製の福桝は350個を準備する。
𠮷田遥紀権禰宜(ごんねぎ)は「能登半島地震で被災された方々が穏やかな日々を過ごせるように祈っています」と話した。
鬼面札はすでに社頭で授与されおり、1枚800円。福桝は1500円、福豆が300円。郵送授与希望時は別に送料が必要で、FAX(0735・55・0643)か大社ホームページ(https://kumanonachitaisha.or.jp/)から申し込む。問い合わせは同大社(電話0735・55・0321)まで。
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那智山青岸渡寺ではコロナ禍の影響で4年ぶりとなる「節分会豆まき会式」で用いる祝枡の準備に追われている。祝枡には熊野産のスギとヒノキを使用。内側には「七難即滅七福即生」の印が押され、髙木住職らが「令和六年」の文字を書き入れ仕上げている。今月末までに500個用意する。
祝枡は節分当日、豆まきをする厄年の人や祈とう希望者に授与する。祈とう料は5000円で、祝枡に札、縁起物、弁当などがつく。髙木住職は「災いをなくして和やかで明るい一年を願っています」と話した。祈とうの申し込みは同寺(電話0735・55・0001)まで。
(2024年1月20日付紙面より)
社会福祉法人串本福祉会 (串本町 )
串本町の社会福祉法人串本福祉会(和田利文理事長)が18日、県人権尊重の社会づくり協定書の手交を受けた。昨年12月20日付での締結で、和田理事長(93)は「戦後の日本を立て直した世代が主となっている入所者への尊敬の念をこれからも大切にし、人権尊重を法人内で重んじる」と思うところを語った。
この協定は、人権を尊重するための活動を積極推進、またはこれから推進する企業・団体を対象にして締結。2006年度から年次的にその数を増やしていて、本年度は10企業・団体と新たに締結をした。
その1団体が同法人。今月18日は同振興局の鳥羽真司局長が二色にある同法人本部(特別養護老人ホームにしき園内)を訪ね、和田理事長へ岸本周平知事押印後の同協定書を手渡した。その場には同園施設長でもある和田吉男理事らも立ち会い。同法人の人権尊重推進の取り組み状況などを話題にして相互理解を深めるヒアリングもあり、鳥羽局長は講師派遣など県側からできる支援を伝え、地域において人権を守るため同協定をきっかけにして共に頑張りたいと歩み寄った。
この協定は和歌山人権パートナーシップ推進事業と直結し、県側からは▽講師派遣▽映像教材貸し出し▽模範的活動の紹介▽人権関係行事の情報提供▽推進に当たっての相談対応―などの支援を受けることができる。同日現在、県内で387企業・団体と同協定を締結していて、同振興局管内では同法人も含め25企業・団体が締結している。
(2024年1月20日付紙面より)
地域の人とたこ作り (井田小 )
紀宝町立井田小学校(大藤伸之校長)で18日、たこ作り教室があった。空に泳ぐ姿を思い浮かべながら1、2年生42人が地域の人たちと一緒にエイだこを作った。
昔ながらの遊びを通して交流しようと井田公民館(萩野進也館長)がたこ揚げ大会を前に毎年開催し、材料を準備している。
たこ作りを始めた時に校長をしていた赤根正憲さん(御浜町)を講師に迎え、公民館や老人会、読み聞かせボランティアなど地域住民7人が協力した。
1年生17人の授業では、約50㌢四方のたこ本体に骨となる竹ひごを通して接着剤で固定し、穴を開けてたこ糸を通し、好みの色の紙テープを尾に付け、約1時間半かけて完成させた。
児童はこの日までに油性ペンやアクリル絵の具などを使い、たこに好きな絵を描き準備していた。「2024」という文字や、キャラクター、動物などが個性豊かに描かれ、完成したたこを揚げるのを楽しみにしていた。
公民館主催のたこ揚げ大会は27日(土)午後1時30分ごろから同校運動場で開かれ、誰でも参加できる。雨天の場合は中止となる予定。
(2024年1月20日付紙面より)
新宮市の岩口雅典さん (御燈祭りに向け )
新宮市の神倉神社の例大祭「御燈祭(おとうまつり)り」を間近に控え、同市熊野地にある岩口雅典さん(44)の作業場では、上(あ)がり子の松明(たいまつ)作りがピークを迎えている。仲間からの協力も得て、約400本の製作を予定している。
松明は、乾燥させた5枚のヒノキ板を五角すいの形に組み合わせて作る。先端には、ヒノキを薄く削った「ハナ」を100枚ほど取り付けて完成させる。製作のほとんどは手作業となる。種類は、長さ91㌢の特大から、当日参加できない上がり子に代わり御神火をもらう31㌢の代参(だいさん)まで6種類ある。
岩口さんは、生まれも育ちも新宮市で、本職は木工職人。御燈祭りには6歳から毎年参加している。20歳から自分用の松明作りを始め、2010年ごろから販売も開始。和歌山県の名匠にも選ばれた故・上道益大さんをはじめ、他の職人が作る松明を研究し、自分なりの技術を練り上げた。
松明のヒノキ板の表面仕上げにはこだわっているという。その他にも「ハナを薄くきれいに削り出すのが難しい。(手首に通す)取っ手を編むのも大変」と明かす。「しっかりと強度を持たせつつ、美しくきれいな松明を作りたい」と話す。
コロナ禍に伴う中断時期を除いて毎年、10月中旬ごろから作業を開始する。本職が終わって午後5時30分ごろから、遅いときは午前4時ごろまで製作を行う。「もうけのことを考えたらできない。自分の時間を割き、体もしんどいし、家族にも迷惑をかける。しかし、祭りのためと思うとやめられない。これからも、みんなに喜んでもらえる松明作りに励んでいきたい」と語った。
(2024年1月20日付紙面より)
【第69回】中食で気を付けること
2024年がスタートし、いっそう寒い日が続いていますね。先日、あるお母さんに、「忙しくてしょっちゅう中食になってしまうけど、何に気を付けたらいい?」とアドバイスを求められました。みなさん、中食っていう言葉ご存じですか? 中食(なかしょく)とは、外食と内食(ないしょく・うちしょく)との間を指す言葉で、お総菜やお弁当を買って帰って家で食べることを表します。テイクアウトやデリバリーも、中食に入るので、コロナ禍で一気に広まった一面もあります。23年の調査では、外食産業の4分の1近くをこの中食が占めているという結果も出ています。忙しい共働き家庭の強い味方でもありますよね。
わが家でも、よくデリバリーやお弁当は登場します。私が仕事で忙しかったり、出張などがあると、駅でお弁当を買って帰るなんてことも。でも、多くの方は、この中食に罪悪感があるようです。
インターネットで検索すると、中食を食べるときには、「1品サラダなどを作って添えましょう」とか、「お皿に移し替えましょう」というようなアドバイスがあふれています。私は、そんな必要はないと思っています(笑)。だって、1品作ることができるような、余裕のある日は中食にならないし、お皿を洗う気力もないからです。これは私だけかもしれませんが…。
私からできるアドバイスは、三つです! まず一つ目は、「いろんなおかずが入っているお弁当を選ぼう!」ということ。お総菜でも、少しずついろんなものを買った方がいいです。中食は、どうしても脂質・塩分・炭水化物が多くなってしまいます。例えば唐揚げ弁当とか、カツ丼とか、油物+炭水化物の組み合わせがとても多いのです。いろんなおかずが入っているものを選ぶと、栄養バランスも良くなり、偏りは防げます。
二つ目は、「主食は味付けのないものを選ぼう!」です。ご飯は、家にある冷凍ご飯にするとか、お弁当でも炊き込みご飯などではなく、白米や玄米など味の付いてないものを選ぶのがお薦めです。中食のおかずやお総菜は、普段家で作るよりどうしても塩分が多くなっているので、味付けされた炭水化物を合わせると、塩分過多になってしまうからです。スーパーやコンビニのおにぎりも、家で作るより塩分は高いので注意してください。
三つ目は「会話をしながら食べよう!」です。何度もこの連載でお伝えしていますが、子どもにとっても大人にとっても、何を食べるかよりも、どう食べるかがとても重要です。正直、中食の食品添加物や脂質、塩分なども、週に2度3度食べたところで、全く悪い影響などありません。どれも、翌日の食事などで調整すればいいのです。それよりも「体に悪いな~」「手を抜いたな~」といった罪悪感の方が、食事の雰囲気を悪くし、子どものメンタルに影響します。「おいしいね!」と会話しながら、食事を楽しむ! これが一番のアドバイスです! 忙しい日々に便利な中食、ぜひ罪悪感なくご活用ください。
(2024年1月20日付紙面より)
原木市場で「新春初市」 (新宮市 )
新宮原木市場(谷口泰仁社長)は18日、新宮市あけぼのの同市場貯木場で、恒例の「新春初市」を開いた。新宮周辺地域を中心に買い方が集まり、開始の合図とともに威勢よいかけ声が響く中、スギなどが次々と競り落とされた。
今回は熊野川町や那智勝浦町、紀宝町などから、樹齢60、70年が中心のスギやヒノキ、約1540立方㍍が出荷された。目玉として、長さ約6㍍、直径約60㌢のヒノキがあった。この大きさになると珍しいという。
開催に当たり、所用で不在の谷口社長に代わり久保勝靖取締役があいさつ。「本日初市を迎え、多量のご出荷をいただいた。原木は自然が育てたもので、中には節あり、曲がりありと多種多様。意に沿わないものもあるかもだが、出荷主の苦労に寄り添い、気分良くお買い上げを願う」と呼びかけた。
「木材業界を取り巻く環境は厳しいが、将来に向けて明るい展望を描き、木材の集荷に努力していく所存。ご支援をよろしくお願いします。皆さんにとって良い1年となることを願う」とまとめた。
同市で木材の市売(いちうり)販売が始まったのは1956(昭和31)年。当地の有力原木生産業者が共同事業体として「新宮電柱木材協同組合木材市売部」を創設した。その後、利用度の増大に伴い公共性が重視され、新宮木材協同組合が中核となり66(昭和41)年、現在の原木市場が設立した。
77(昭和52)年には全国植樹祭の一環行事として「第1回熊野木まつり」展示即売会を開催。以降、毎年4月の恒例記念行事となっており、熊野材のPRや需要開拓などに取り組むきっかけとしている。
(2024年1月19日付紙面より)
県民生児童委協が研修会 (那智勝浦町 )
和歌山県と県民生委員児童委員協議会(松下明会長)は16日、那智勝浦町のホテル浦島で令和5年度ブロック別民生委員児童委員研修会を開催した。新宮市・東牟婁郡ブロックから委員ら120人が参加し、委員活動への理解を深めるとともに、災害支援などを学んだ。
地域住民の身近な存在として、幅広い活動を展開している民生委員・児童委員。研修会は、無理のない活動を進めるために研さんを積むとともに、情報交換などを目的としている。
はじめに、出席者全員で民生委員の歌「花咲く郷土」を斉唱、民生委員児童委員信条などを朗読した。
松下会長は「福祉課題が複雑多様化している。地域住民が安心して暮らせるように、研修で研さんを進め、課題と向き合うきっかけになれば」。
那智勝浦町民児協の岡本美智子会長が「災害はいつどこでも発生する。減災に向け何ができるかを考えるべき。誰もが命を大切にし、前向きに過ごせるように努めなくてはならない」とあいさつした。
「災害支援」を共通テーマとした研修会。松下会長が「災害に備える地域ぐるみの体制づくりに向けて~『災害に備える民生委員・児童委員活動に関する指針』の改訂経緯とそのポイントについて~」と題し講話。昨年6月に発生した線状降水帯による大雨で、被災した海南市での災害対応と委員活動について紹介した。
2011年の東日本大震災で活動に従事していた委員56人が犠牲になったことや災害対策法の見直しを受け、指針改訂に至ったと報告。災害時には自らの安全確保を第一とすることなどが盛り込まれたと解説。「平常時に委員としての対応方針を周知し、発災時は自分たちの命を大切にすることが重要」と述べた。
続いて、県社会福祉協議会地域福祉部副部長で和歌山県災害ボランティアセンターの南出考所長が「災害から学び、災害に備える。」を演題に講演した。
人権研修や和歌山県消費生活センターの職員による「高齢者の消費者トラブルを防ごう」の講話もあった。
(2024年1月19日付紙面より)
センターで第8回講演会 (南紀熊野ジオパーク )
串本町潮岬にある南紀熊野ジオパークセンターが15日、第8回講演会を開き一般51人が地震予測研究の現況などを聞く機会を得た。
この講演会は、拠点からの情報発信を趣旨として同センターが主催。今回はSlow―to―Fast地震学との共催で東京大学大学院の井出哲教授(理学系研究科地球惑星科学専攻)を迎える内容を計画し、事前申し込みによる受講を呼びかけた。
演題は「地震の予測とスロー地震」で、井出教授は▽地下で起こる破壊すべり▽地震予測が困難な理由▽スロー地震の定義と発生状況―の3本柱で語った。地表に断層が現れることもあるが大半は地下で起こる地層のずれ(=破壊すべり)でプレートに震動が伝わり、そのずれには範囲があり1点(震源)から時間的に広がる。どの地震も始まりは同じようだが大きさは終わるまで分からず、逃げろというレベルの地震予知を本質的に困難にしている。スロー地震(スロースリップ現象)の観測方法と世界各地で確認されている状況にも触れ、ファスト地震とは起こる場所が違うことが分かっていて両地震の関連性もうかがえるが予測に使えるかどうかは現時点では未知数であることなどを伝え、今後の地震学はファストとスローの両方を理解する時代へシフトすると予見して締めくくった。
質疑応答もあり、発生の確率はどう受け止めればいいか、能登半島地震で指摘されている水と破壊すべりの関係性などで井出教授の見解を求める質問があった。
(2024年1月19日付紙面より)
熊野速玉大社で祈願祭 (県労協新宮支部 )
(公社)和歌山県労働基準協会新宮支部(支部長=夏山晃一・㈱夏山組代表取締役)・安全衛生部会(部会長=萩原信也・㈱小森組常務取締役)の会員らは16日、新宮市の熊野速玉大社で令和6年安全祈願祭を執り行った。約30人が参列し、従業員の安全や幸福を願った。
同協会は、労働基準法・労働安全衛生法等関係法令の普及に努めるとともに、労働条件の確保・改善のための啓発や相談、労働者の安全確保と健康確保のための啓発活動を展開し、事故や災害防止に寄与すること、また、勤労者の福祉の向上に寄与することを目的としている。県内に五つの事務所があり、新宮市清水元に事務所を置く新宮支部では、341の会員が所属している。
安全祈願祭では、神職の祝詞に続いて夏山支部長や新宮労働基準監督署の山田悦史署長、萩原部会長らが玉串を奉てんした。祈願祭後は同市下本町の市文化複合施設「丹鶴ホール」に場所を移し、新宮労働基準監督署の萩原美智監督・安衛課長が安全衛生講話を行い、労働災害発生状況や健康、安全について説明。会員らは労働災害防止のため学びを深めた。
萩原部会長は「労働災害は、本人にもその家族にも事業者にもデメリットばかりなので、なくしていけるようにとお祈りさせていただいた。安全意識の高揚が有効な対策と思う」。山田署長は「働く皆さんが今年一年、健康、安心、安全で仕事ができるよう祈念した。皆さんがけがなく、病気もせずに仕事ができれば」と話した。
(2024年1月19日付紙面より)
空手協会熊野支部が寒稽古 (新宮市 )
新宮RC杯バドミントン大会
第32回LC杯バレー大会 (串本町 )
熊野本宮大社(田辺市本宮町)の九鬼家隆宮司は16日、世界で活躍するデザイナー・コシノジュンコさんが監修した特別御朱印帳を発表した。「紀伊山地の霊場と参詣道」の世界遺産登録20周年を記念して調製。神の使いとされる「八咫烏(やたがらす)」をモチーフにしたというコシノさんは「御朱印帳のデザインは初めて。世界平和と持続可能な未来を願っています。登録20周年の記念に関わることができて光栄であり、使命を感じている」と語った。
シルクの織物を使用し、黒字の表紙に羽を大きく広げた三本足の八咫烏をデザイン。異なる文化や背景を持つ人々が互いを尊重し合い、環境問題に取り組むことで世界平和を実現するためのメッセージを込めた。
2人は、神仏の霊場を未来に継承しようと2019年に設立された「高野山・熊野を愛する100人の会」のメンバー。2年ほど前に知り合い、20周年に向けて御朱印帳デザインの依頼を受けたコシノさんが快諾し実現した。
この日は同大社黎明殿(れいめいでん)で奉納奉告祭を斎行。大祓詞(おおはらえのことば)や奉告祭詞の奏上などが執り行われた後、関係者が玉串を供えた。
九鬼宮司は「特別御朱印帳の配布により、世界遺産登録20周年を広く知っていただきたい。取り組みを通じて環境保護への意識を高めることや、参拝者の心に平和と感謝の思いが高まってくれれば」と話していた。
特別御朱印帳の授与は2月3日(土)から来年2月2日(日)までの1年間。国内に限り郵送が可能。1冊8000円で、初穂料の一部は世界遺産の維持などに活用できるよう、県内の関係機関に寄付する予定だという。
問い合わせは熊野本宮大社(電話0735・42・0009)まで。
(2024年1月18日付紙面より)
飛鳥神社でお弓神事 (太地町 )
太地町の飛鳥神社(髙橋正樹宮司)で13日、航海安全や大漁などを祈願する「お弓祭り(お弓神事)」が営まれた。漁業関係者や一般参列者が境内の的を目がけて全力疾走し、「セミ」を取り合った。
髙橋宮司によると、以前は多くの漁師が祭りに参加していたため、漁から戻って作業を終える夕方に行われていたという。
セミクジラを模した木製のセミは毎年、手作りの縁起物で直径約1・2㍍の的に三つ取り付けられている。本来、セミは的を松に固定する留め具として用いられていたもので、同町の坂下行平さんが作製した。
セミを手にした人は大漁と航海の安全に恵まれるといわれており、持ち帰って家の神棚や床の間、船などに祭られる。
髙橋宮司が矢を放つのと同時に参列者らが一斉に的まで駆け寄り、セミを奪い合った。セミを手にした3人は喜びの表情を浮かべていた。
その後、鬼と見立てた的は参列者らが手で破り、切り分けた。松や竹の枝と共に的を玄関に飾ると破魔矢同様に魔よけになるとされ、参列者がうれしそうに持ち帰る姿が見られた。
髙橋宮司は「1年の邪気を払って清きとし、氏子の皆さまにとって良い年であってほしい。新年すぐから能登半島地震や事故などがあった。これ以上、災いがないことを願っている」と話していた。
(2024年1月18日付紙面より)
明神小と明神若鮎会 (古座川町 )
古座川町立明神小学校(布引伸幸校長、児童12人)と老人クラブ「明神若鮎会」(森田裕司会長)の会員16人が16日、一雨にある明神中体育館でボッチャ交流会に取り組んだ。
ボッチャはパラリンピックの正式種目として世界的に知られているヨーロッパ発祥のスポーツで、競技は目標球(白いボール)へ赤と青のボールを6球ずつ投げ、結果としてどちらの色が目標球に近いかで勝敗が決まる。目標球の近くへ投げる以外に、目標球や相手のボールをはじき飛ばす、目標球の周りを自分のボールで固めて近づけ難くするなどいかに自分に有利な状況を作るかで戦略を駆使する奥深さがある。
町内では近年、運動指導をする杉浦資史さんの紹介により高齢者層を中心に愛好者が増えていて、椅子に座った状態でも対戦できる点やルールを知れば世代を問わず挑戦できる点で本年度はボッチャで交流したいと明神若鮎会から同校へ申し入れたという。
当日は杉浦さんが交流会を主導し、序盤は準備体操として児童と会員がそれぞれに受けている運動指導の内容を相互体験、中~終盤は児童・教員16人と会員の組み合わせでペアを作ってボッチャに挑戦。4グループに分かれて予選リーグをし、その順位別にグループを再構成して決勝トーナメントをする流れで対戦した。ボッチャ初体験の児童や教員もいて、会員から戦略を教わりながら挑戦。杉浦さんの誘導で勝利したらペアでハイタッチをするなどして喜ぶといった交流をしながら競技を楽しんだ。
児童を代表して津本楓真君(6年)が「楽しかった」とボッチャを紹介してくれたことなどに感謝。明神若鮎会も交流への感謝として手芸品(アクリルたわしとキーホルダー)をプレゼントして締めくくった。
明神若鮎会は先立って10日に明神中とグラウンド・ゴルフ(GG)交流会を実施。両交流への会員参加を世話した嶋原敬子さんは「GGは取り組みやすいが健脚の会員しか参加できないし、児童も低学年ほど歩く距離が長くて大変なので今回は明神中にGG交流、明神小にボッチャ交流会をお願いした。会員は交流に参加しやすくなったし、児童も楽しんでくれてよかった」と工夫の手応えを語った。
(2024年1月18日付紙面より)
三輪崎小学校で魚の授業 (新宮市 )
新宮市立三輪崎小学校(竹本明央校長)の給食に16日、和歌山県からアユの提供があった。5年生53人が県産のアユの塩焼きを味わい、地元の漁業についても再発見した。
子どもたちの食育・地産地消促進が目的で2012年にスタートした取り組み。今年は県内小中学校・特別支援学校280校に提供する予定。
イセエビを捕る刺網漁、アカムツなどを漁獲する一本釣り漁、アワビ類やウニの採介藻漁業などが行われ、古くは捕鯨も盛んだった三輪崎地区。事前授業で東牟婁振興局農林水産振興課の松川康介さんが県内で行われている漁法について紹介すると「見たことある」「あの網ってそうやって使うんだ」と声が上がった。魚のきれいな食べ方やマナーも学んだ。
この日の給食メニューはアユの塩焼き、揚げギョーザ、八宝菜、ごはん、牛乳。「いただきます」のあいさつの後、児童は早速アユの「骨抜き」に挑戦。ひれを取って身をほぐし、頭側から背骨を引き抜く食べ方で、笑顔で平らげた。
魚が大好きという土井斗翔君(11)は「お父さんが釣り好きで、僕も一緒に船で釣りに行く。アユは前にも食べたことがあるけれど、骨の取り方は初めて知った」と話していた。
(2024年1月18日付紙面より)
4年ぶり綱引き大会に熱 (新宮市 )
新宮市の光洋中学校グラウンドで14日、4年ぶりとなる「第16回光洋地区交流綱引き大会」が開催された。近隣から小学生、中学生、一般で35チームがエントリーし、地区対抗戦も合わせて約300人が力と力のぶつかり合いを見せた。
光洋中学校学校運営協議会「やろら会」(下地芳延会長)主催。綱引き大会は▽地域が仲良くなる▽地域と学校が仲良くなる▽生徒と地域が仲良くなる―を目的に開催。コロナ禍で4年間中止していたが、生徒へのアンケートで再開を望む声が多かったことから、再開にこぎ着けた。
同校音楽部の演奏で開幕し、下地会長は4年ぶりにもかかわらず多くの参加があったことに感謝。「学校運営協議会は地域、保護者、学校が一体となって生徒の健全育成に取り組むことを目的に活動している。綱引きを通じてより交流を深めて」と呼びかけた。
予選リーグの後、チーム数に応じて決勝リーグ・トーナメント戦を実施。一般の部決勝では2020年大会と同じく「野中会」と「バナナ」が激闘を繰り広げ、見事「野中会」が勝利。リーダーの野中貴生さんは「リベンジできてうれしい。来年は2連覇を目指す」と語った。小学校高学年の部では「新宮RFC Aチーム」が抜群のチームワークで他を圧倒した。地区対抗戦では3連覇中の三輪崎区と佐野区が対決し、佐野区が優勝した。
校内ではバザーやフリーマーケットもあり、最後は盛大な菓子まきで締めくくった。
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各部の優勝チームは次の通り。
▽小学生低学年の部
新宮ジュニアレスリングクラブ
▽小学生高学年の部
新宮RFC Aチーム
▽中学生男子の部
なんくるないさ
▽一般の部
野中会
▽地区対抗
佐野区
(2024年1月17日付紙面より)
デジタルアートライトアップ (那智勝浦町 )
那智勝浦町築地の勝浦漁港にぎわい市場や足湯「海乃湯」の周辺で現在、デジタルアートライトアップが行われている。期間は20日(土)までで、時間は午後5時30分~9時。
同町で開催されているウイークリーイベント「生まぐろフェス」の関連イベント。港にはスモークと時間によって色が変るLEDライト、桟橋を歩くとセンサーでライトが起動する仕掛けなどを設置。足湯はビン玉などで飾り、マグロのプロジェクションマッピングなどをしている。
初日の14日には、休日を利用して当地方を訪れた観光客らが写真を撮って楽しんでいた。田辺市から友人と共に足湯を訪れた津本麗美さんは「新宮市のカフェ巡りで遊びに来たところ、インスタグラムでイベントを知り、一番乗りで参加しようと思った。リフレッシュできました。明日からまた仕事を頑張ろうと思います」と笑顔で話していた。
(2024年1月17日付紙面より)
青年会「大同会」獅子だし (水門祭を前に )
串本町大島にある紀伊大島開発総合センターで15日夜、青年会「大同会」(冨田和成会長)の獅子だしがあった。水門(みなと)神社の春季例大祭「水門祭」=県指定無形民俗文化財=に向けた行事の一つで、同神社祭典保存会(木下正己会長)も立ち会う中、一同で奉仕の士気を高め合った。
大島港の西にそびえる日和山の山腹に鎮座する同神社。現在は大島区(寺町忠区長)が氏子区域となって護持し、近年は2月第2土曜日を本祭日として春季例大祭を営んでいる。今年は2月10日(土)がその期日で、先だって同保存会は新型コロナウイルス感染症の分類以降により4年ぶりに本来の奉仕を目指すことを申し合わせている。
「大同会」は諸奉仕の中で獅子舞や櫂伝馬(かいでんま)などを担う団体。その事始めの行事となるのが獅子だしで、今年は4年ぶりに進水させる祭船の準備が先行しているが例年は獅子だしを起点にして奉仕の準備がにわかに活気を見せ始めるところとなっている。
獅子だしは午後7時に同センター2階で実施。能登半島地震で亡くなった人々への黙とうをささげた後、木下会長が4年ぶりに本来の奉仕を目指す上での祭典委員体制と準備の現況を報告。その情報共有をもって全体の足並みをそろえ、寺町区長発声による乾杯で弾みをつけ「大同会」は▽十銭舞わし▽乱獅子―を披露した。「大同会」は獅子だし後、今後の進め方を申し合わせ翌16日から連夜取り組む稽古への気持ちを高めた。
冨田会長(34)は事情があり今年の奉仕の仕切りを副会長に委任するそうで「伝統を守りつつみんなで力を合わせ、悔いのないよう精いっぱい頑張りたい」と会員に託したい思いをコメント。構成する世代に差がある同保存会と「大同会」の中継ぎ役・山下昭祭典委員長(55)は「同保存会で決めた以上はやるしかなく、大同会にも頑張っていただかないといけない。みんなで協力をして盛り上げていけるよう努めたい」と思いを掲げて動き出している。
(2024年1月17日付紙面より)
市野々・井関で例大祭 (那智勝浦町 )
那智川筋に春の到来を告げる、ともに那智勝浦町で市野々の王子神社と、井関の青彦神社の例大祭が14日、営まれた。市野々はほぼ、井関は完全にコロナ禍前の規模での開催となり、かつてのにぎわいを取り戻した。
那智川筋では上流側の神社から順に、新春に例大祭が行われており、市野々と井関がその最初となる。両地区ともコロナ禍の影響で数年は、祭典の開催規模縮小を余儀なくされていた。
市野々は、簡略化として餅つきのみ行わず、他は全てコロナ禍前の規模を取り戻した。式典を経て、お弓行事や子ども神輿(みこし)の渡御、祭友会(貝岐直哉会長)による獅子舞奉納、餅まきなどを行った。
獅子舞奉納では、多くの地域住民が見守る中、神楽の音に合わせて獅子を舞わせ、拍手喝采を浴びていた。太田博久区長は「何とか無事に終えることができそうで一安心。紀伊半島大水害からの完全な復興を一番に願った。祭友会などの若手が伝統をつないでくれてありがたい」と話した。
お弓行事では、那智中1年の橋本夏一さん(13)が神主を務め、的を射抜いた。「緊張したけど、的に当たって一安心。動作もうまくできた」と語った。
井関では、式典、お弓行事、一般と子どもの神輿渡御、井関神楽会(桑木野徳太郎会長)による獅子舞奉納、餅まきが行われた。お弓行事では、市野々小5年の中瀬伊織君(10)が神主を務めた。地域住民が見守る中、作法に従い弓を引き、的の中央を射抜いた。見守っていた住民らは、歓声を上げて喜んだ。
石井康夫区長は「この地区の人は、紀伊半島大水害のことが頭に残っているので、災害がないことを祈った。今回は規模縮小もなく祭りが開催できるようになり、大変うれしい。またこの地区は、若い人が頑張ってくれていて大変助かっている」と述べた。
(2024年1月17日付紙面より)
蓬莱フレンズが卒団親子試合 (新宮市 )
新宮市駅伝大会
多目的広場がオープン (那智勝浦町 )
新たに完成した那智勝浦町天満の木戸浦グラウンド「多目的広場」で13日、オープニングセレモニーとプロバスケットボール選手3人を招いたイベントが開かれた。バスケットボールを愛好する大勢の小中学生や大人が参加し、プロ選手3人の指導や3X3(スリーエックススリー)の試合を楽しんだ。
多目的広場は旧ゲートボール場があった場所で、木戸浦グラウンド横の屋外にあり、バスケットコートと多目的スペースからなる。近年は公園でキャッチボールなどの球技が禁止されることが増える中、さまざまな競技を楽しみ、若者が集う交流の場となるよう整備した。
セレモニーでは堀順一郎町長が「フットサルやキャッチボール、スケートボードなども楽しんでいただける。ぜひさまざまなスポーツに励んで」とあいさつし、岡田秀洋教育長、曽根和仁町議会議長と共にテープカット。始球式もあった。
イベントには勝浦ミニバスケットボールクラブ、黒潮ミニバスケットボールクラブ、那智中学校バスケットボール部、紀宝スポーツクラブなどから33人が参加。同町とさまざまなイベントを手がける、さわかみグループの1社で株式会社サクラカゴ代表取締役を務める岡田麻央選手(東京BB所属)を中心に吉武忍選手(横浜GFLOW所属)、尾上春樹選手(京都BB所属)の3人が協力し、子どもたちにプロ選手の技術を伝授した。
地域のバスケ指導者や一般参加者とプロ選手による3X3のトーナメントもあり、声援で活気づいた。イベント後も日が暮れるまでプロ選手らに教わりながら、練習に励む姿が見られた。
那智中から参加した亀山和弥さん(14)は「すごくきれいなコート。学校からも近いので練習に来たい」。白木啓太さん(13)は「プロ選手に教えていただき、ドリブルの強弱や緩急の付け方が勉強になった。普段の練習に生かしたい」と話していた。
多目的広場は午前9時~午後6時(夏場は午後7時)に無料開放。大会で占用する場合は1時間700円。問い合わせは体育文化会館(電話0735・52・2340)まで。
(2024年1月16日付紙面より)
那智勝浦町
新観光イベント「生まぐろフェス」が14日、那智勝浦町で開幕した。初日には勝浦漁港にぎわい市場で生マグロの振る舞いや解体体験教室があり、多くの観光客でにぎわった。
約30年間地域を盛り上げてきた「まぐろ祭り」をリニューアルし、クーポン配布やスタンプラリー、ガイドツアーなどを交えた1週間のイベント化した。
生マグロ解体体験教室には子どもたち5人が参加し、14㌔のメバチマグロを解体。のこぎりで頭を落として包丁を入れ、最後は刺身にして味わった。道行く観光客が足を止め「解体ショー?」「さすが漁師町!」と人だかりができていた。
解体体験に紀宝町から参加した山口聡介君(10)は「骨が硬くて切るのが大変だったけれど、食べるのが楽しみ」。地元那智勝浦町から参加した荒木千尋君(11)は「マグロはよく見るけれど、触る機会はあまりなかった。マグロ丼にして食べる」と話していた。
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■20日にフィナーレイベント
最終日の20日(土)午前9時~午後3時には勝浦地方卸売市場でフィナーレイベントが開催され、出店ブースや生マグロ解体ダービーがある。期間中の平日イベント「生マグロ競り(入札方式)ガイドツアー」(1人1000円、予約不要)や「生マグロ解体体験教室」(1人2000円、事前予約制)も参加者を募集中。「なちかつクーポン」は町観光案内所で販売中で、1500円分が1200円で購入できる。
申し込みや問い合わせは那智勝浦町観光案内所(電話0735・52・5311、メールinfo@nachikan.jp)まで。
(2024年1月16日付紙面より)
4年ぶりの大会、健脚競う (新宮市駅伝大会 )
熊野速玉大社前をスタートし新宮市役所前をゴールに4区間7・2㌔のコースを巡る「新宮市駅伝大会」が14日、4年ぶりに開催された。7部門に86チームが参加。好記録や上位入賞を目指して健脚を競った。
同大会実行委員会(市体育協会、東牟婁地方陸上競技協会、市スポーツ推進委員会、市教育委員会)主催。新宮警察署、市交通指導員協議会が協力。大会を通じて市民の健康や体力の増進を図り「生活の中にスポーツを」取り入れることを推進しながら、まちなかのにぎわい創出による地域活性化を図るとともに、世界遺産・熊野速玉大社をアピールすることを目的としている。
スタート前には同大社神宝館横の広場で開会式が行われ、大会関係者や出場チームの第1走者らが出席。同大社神職による安全祈願の後、大会長の田岡実千年市長があいさつで関係者らの尽力と参加に感謝。「日頃の練習の成果を存分に発揮し、スポーツの楽しさ、競い合う喜びを実感するとともにたすきをつなぎながら仲間と支え合い、友情を深めて」と選手らにエールを送った。
選手を代表して、新宮高校陸上部短距離チームの久保陽都さんが「全力で楽しみ、全力で走り抜くことを誓います」と宣誓。田岡市長がスターターを務める中、第1走者らが一斉にスタートを切った。選手らは沿道から送られる家族や市民、チーム関係者らの声援を受けながら、ゴールを目指してたすきをつないだ。ゴール地点周辺では市婦人団体連絡協議会による豚汁のふるまいもあり、参加者らは体を温めながら健闘をたたえ合った。
市役所別館で閉会式が行われ、大会副会長の寺本尚史さんが各部門の上位チームに表彰状とトロフィーを贈呈。「課題の改善に努め、新春を飾る新宮市の冬の風物詩となるよう目指していきたい」とあいさつし関係者に感謝を伝えた。最後には抽選会も行われ、大いに盛り上がりをみせていた。
(2024年1月16日付紙面より)
神倉青年団奉仕で祭典準備 (御燈祭り )
御燈祭(おとうまつ)りを間近に控え、神倉青年団など約30人は14日、神倉神社のご神体である巨岩「ゴトビキ岩」のしめ縄の張り替え作業を行った。作ったしめ縄を神倉山頂まで運んで巻き付け、祭典準備を整えた。
神倉神社の例大祭である御燈祭りは、神倉神社奉賛会が運営を取り仕切り、神倉青年団が介釈(かいしゃく)を務めている。御燈祭り前のしめ縄の張り替えは毎年恒例の作業で、青年団や奉賛会をはじめ、新宮市観光協会などが協力して行っている。
例年通り、神倉農業実行組合(榎本晶組合長)が、約500株、約200㌔のわらを寄贈した。張り替えの参加者は、わらをたたいてごみを取り除き、水でぬらして軟らかくし、より合わせてねじり伸ばした。飛び出した部分をはさみで切り、紙垂を取り付け、長さ約30㍍、最大直径約20㌢の大しめ縄を完成させた。山頂まで運び、針金や刺股を使用してゴトビキ岩に巻き付けた。
神倉青年団の中山忠吏さん(54)は「例年以上にきれいなしめ縄ができたと思う。今年は4年ぶりに上(あ)がり子が参加することもあるし、皆さんがけがなく下りてくることを願い、祭りに奉仕していきたい」と抱負。
神倉神社奉賛会の猪飼三雄会長(81)は「しめ縄がうまくできたと思う。これから祭りが始まるという気持ちが湧いてきた。事故がなく無事に終わるのが願い。上がり子の参加は4年ぶりで、どう進むかは分からないが、何とか無事に終わらせたい」と話した。
(2024年1月16日付紙面より)
緊急消防援助隊の隊員 (那智勝浦町 )
能登半島地震で和歌山県から石川県に派遣された緊急消防援助隊に参加した那智勝浦町消防本部の消防士12人が10日までに任務を終えた。12日には、湯川辰也消防長と第1~3陣の小隊を率いた畑下純隊長、清水浩隊長、関谷好生隊長が同町の堀順一郎町長に現地での活動を報告した。
緊急消防援助隊は、大規模災害の被災地の要請を受け、他の都道府県の消防隊が地域を越えて消火・救助活動を行うため組織される部隊。那智勝浦町からは第1~3陣に各4人と消防車両1台が出動した。
第1陣は1日に出発し、2日に金沢市、3日に穴水町を経て能登町にあるやなぎだ植物公園へ野営のための拠点を設営。畑下隊長は「早く現場に入りたい思いもあったが能登町、輪島市、珠洲市への道が全て寸断され、情報が入るまで待機となった」。
5日に引き継ぎを受けた第2陣は輪島市町野地区の木造倒壊家屋で捜索に当たり、73歳男性の遺体を発見した。清水隊長は「余震も続き、道路も寸断される中、農道を縫って現場へ向かった。一晩で30~50㌢の積雪もあり厳しい環境だった」と語る。積雪は第3陣にも影響し、道路陥没や地割れの視認が困難となることから野営地への到着が半日遅れた。第3陣はさらなる災害が発生した際の即応隊として現地待機し、10日に山形県部隊へ引き継いだ。
畑下隊長は「生活用水の重要性を再確認した。トイレの確保が困難だと、皆が飲食を控える。災害関連死の報道もあるが、本当に体がつらくなっていく。備蓄などの備えが必要」と振り返った。
堀町長は今後発生が予想される南海トラフ巨大地震を踏まえ、当地方への道路が寸断され孤立状態になることを懸念。「空の道」確保に向けてヘリポート整備などを検討したい旨を述べ「町職員への研修で経験を生かしてほしい。町民の皆さまには、自分の命は自分で守る意識を持っていただくよう働きかけていきたい」と語った。
湯川消防長は「消防団員にも見てきた内容を伝え、町民の皆さまにも広く広報したい」と語っていた。
(2024年1月14日付紙面より)
子どもたちの避難訓練
学校や保育所、幼稚園などでは地震や火災を想定した避難訓練や学習が定期的に行われている。いずれも発災時に慌てず、安全に避難行動が取れるようにするためで、自ら判断する力も育てようとさまざまな場面で取り組まれている。
紀宝町立うどの幼稚園(岩本小百合園長、園児36人)では12日、3学期になって初めての避難訓練があった。
1学期は授業中に計画し、揺れたら机の下に隠れ、外にいるときは周りに何もない園庭の中央に集まり、職員の指示で整列する行動を中心に学んだ。2学期以降はさまざまな時間に訓練を行い、園児自身で考えて安全な行動が取れるよう指導してきた。
この日は自由遊び中の午前9時30分ごろ、緊急地震速報を園内放送し、地震の発生を伝えた。教室にいる園児は机の下に逃げ込み、園庭にいた園児は一斉に中央へ避難。揺れが収まったと伝えられると、教室内の園児は防災頭巾を身に着け、園庭の決められた場所へ2人一組で手をつなぎ整列し、海抜約18㍍の幼稚園のさらに高台にある鵜殿小学校(海抜約32㍍)につながる非常階段を職員と一緒に上った。避難後は保護者が迎えに来る想定で、職員に伝えてから降園する行動も確認した。
岩本園長は能登半島地震に触れ「石川県で大きな地震があり、道も家も壊れ、津波も来ました。この地域でも大きな地震が起こるかもしれませんが、練習がとても大事です」。先生や保護者がいない一人の時にも地震は起こると伝え「自分の命は自分で守りましょう。どうしていいか分からないときは近くにいる大人に聞きましょう」と呼びかけた。
(2024年1月14日付紙面より)
りら創造芸術高校迎え公演 (串本LC )
串本ライオンズクラブ(串本LC、小森正剛会長)のチャーターナイト(CN)60周年記念芸術鑑賞会が12日、串本町文化センターであった。出演はりら創造芸術高校(山上範子校長、生徒57人)。同町内の小学4年生~中学3年生約500人を招待し、高校生の熱量に触れる機会を託した。
串本LCは1962年結成、翌63年認証。本年度は認証から60周年にあたり、昨年10月に記念式典を開いてこの節目を祝った。その折に記念事業として①同町への「ハザードトーク」7基寄贈②町内小学生(高学年)~中学生を招待して同校生徒による舞台公演主催―の二つを掲げ、町教育委員会や町立小中学校の招待協力を得て②の事業をこの日実施した。
串本LCを代表してCN60周年実行委員会の覚前哲実行委員長が小中学生と引率教員らの来場を歓迎して開演。山上校長が自校の目指すところを交えてあいさつをし、以降は生徒57人が一丸で公演に臨んだ。演目は▽和太鼓▽ボーカル▽殺陣▽タップダンス▽ミュージカル―など。演目の合間では小中学生と一緒にタップダンスで披露した振り付けに挑戦し、普通科をベースにして幅広く芸術を学び自ら創造して「生きる底力」を高めていく独特の教育体系など同校の魅力もアピール。最後はキャスト役の生徒全員でダンスを披露して締めくくった。
同センター1階展示ホールでは舞台芸術以外の芸術作品を展示して紹介。生徒は小中学生に公演の印象をアンケート回答してもらうなどしながら送り出し、鑑賞に感謝した。
同校の鞍雄介教頭によると、学校を対象にした公演を年5回程度しているが今回のように一つの町の学校が全て集まる規模の公演は初。この機会に応えるため生徒も57人総出で今回の公演を組み上げたそうで「またとない機会を頂けた」と串本LCの依頼に感謝した。
覚前実行委員長によると、昨春のLC関係大会で見かけて感心した同校生徒の熱量を同町の子どもたちにも見せたいという思いで記念事業にこの舞台公演主催を組み込んだそう。満を持しての実施を経て「(この鑑賞会は)LCが取り組む青少年育成の一環。招待した小中学生の皆さんには高校生のエネルギッシュな公演を思い出にし、これからの成長の糧にしてほしい。実施に当たっては教育委員会や町内の各学校にも招待のご協力を頂き、串本LCだけではとてもできなかったであろうこの芸術鑑賞会を開くことができた。感謝しています」と話した。
(2024年1月14日付紙面より)
市立図書館で企画展 (新宮市 )
新宮市下本町の市立図書館内、中上健次コーナーで企画展「中上健次と御燈祭(おとうまつ)り」が始まった。2月25日(日)まで。
熊野速玉大社例大祭「新宮の速玉祭(はやたまさい)」と合わせて国の重要無形民俗文化財(重文)の指定を受ける「御燈祭り」は、新年における「火の更新」を意味する勇壮な祭り。今年は4年ぶりの通常斎行が決定している。
展示では、御燈祭りや中上が脚本を手がけた映画「火まつり」(柳町光男監督、1985年公開)などについて語ったインタビュー記事、小説版「火まつり」の複製原稿などを展示。また、文芸評論家・粟津則雄氏や編集者・見城徹氏など、中上の誘いで祭りに参加した著名人たちも紹介している。
コーナーの一角には、中上が設立した熊野大学が、中上の七回忌に「法要」と「偲(しの)ぶ会」を行った際に用意されたものとされる松明(たいまつ)、荒縄やわら草履、足袋も公開。
新宮市出身の写真家・鈴木理策氏が2004年に撮影した「海と山の あいだ」から、御燈祭りの作品5点も展示している。
(2024年1月14日付紙面より)
神倉神社で石段検分 (御燈祭り )
2月6日(火)の「御燈祭(おとうまつ)り」に向けて、新宮市の熊野速玉大社(上野顯宮司)の摂社、神倉神社で12日、石段検分が行われた。今年は4年ぶりに「上(あ)がり子」が参加し、通常斎行される。
「御燈祭り」は1400年以上前から続いているとされており、熊野速玉大社例大祭「新宮の速玉祭(はやたまさい)」と合わせて国の重要無形民俗文化財(重文)に指定されている。白装束に荒縄を巻いた上がり子と称する参拝者が神倉山で松明(たいまつ)に御神火を受け、山門が開くと同時に急峻(きゅうしゅん)な石段を一気に駆け下る勇壮な祭りとして、全国から大勢の人が訪れている。
近年は新型コロナウイルス感染症の影響により上がり子の入山を中止。関係者のみで神事を執り行っていたが、感染症法の位置付けが5類に移行したことを受け関係者は協議の上、通常の斎行を決定した。
検分には同大社や神倉神社奉賛会(猪飼三雄会長)、神倉青年団(中山忠吏団長)などから9人が参加。鎌倉幕府初代将軍・源頼朝(1147~99年)が寄進したと伝わる自然石を積み上げた538段の石段を一段ずつチェックし、石が動くなどの問題箇所にチョークで印を付けていった。ひび割れなどが75カ所見つかり、祭り当日までに修繕していく。
猪飼会長は「通常の形で祭りを営むことができ、うれしい。皆さんも楽しみにしていると思うので、しっかりと準備し当日を迎えたい」と話していた。
祭り当日の一般参拝者の入山は正午まで。翌7日(水)には御燈祭り奉祝祭、餅まきも行われる。
(2024年1月13日付紙面より)
観光協会と消防が連携し (串本町 )
串本町潮岬にある望楼の芝で11日、芝地の東半分外周と西半分ほぼ全面に火を入れる芝焼き(周囲焼き)があった。
この芝焼きは20日(土)実施予定のイベント「本州最南端の火祭り」に向けた準備の一環で、イベントで火を入れる場所以外をあらかじめ焼き払っておくことで芝地の外へ延焼しないようにする狙いがある。
この日はイベントを主催する南紀串本観光協会(島野利之会長)の関係者約20人と町消防本部(泉紀人消防長)の職員10人が連携して作業を進めた。職員が事前放水で焼く範囲を決め、関係者が灯油を染み込ませて火を付けた布を引きずって枯れ芝や枯れ草に点火。意図しない延焼を職員が速やかに消火する流れで取り組んだ。
イベントは午後1時~6時30分ごろ実施予定で、当日が雨天や強風などで芝焼きに適さない場合は27日(土)に延期する。今年は4年ぶりにコロナ禍前同様の内容を計画していて、日中は物産販売や芋餅の販売、しょらさん鍋の振る舞いや地元舞踊の披露を実施。日没を合図にして式典や餅まきをし、県立串本古座高校弓道部による火矢射式や演出花火の打ち上げを経て関係者が芝焼きをしその光景を制限区域外から見物してもらう流れとなっている。
昨年連動したモデルロケット打ち上げ体験会は今年からイベントへ組み込み、午後1時~4時30分に南紀熊野ジオパークセンターを拠点にして実施予定。小中学生(保護者同伴が条件)を対象とし、定員先着20人まで事前予約を受け付けている。参加無料。11日現在、定員まで余裕があり希望者は17日(水)までに同協会(電話0735・62・3171)へ申し出てもらえればという。
イベント実施に向け島野会長(56)は「コロナも落ち着き、観光客も動いてきていると思う。4年ぶりに例年通りの形でやれるのは非常にうれしく、たくさんの皆さんに(見物しに)お越しいただけるよう万全の体制で挑みたい」と意気込み、11日の作業の始終を見守った。
イベント実施時は望楼の芝周囲に臨時駐車場を設置する。問い合わせは同協会まで。
(2024年1月13日付紙面より)
今年一年の開運祈り (熊野市 )
熊野市井戸町の一乗寺で12日、新春恒例となっている一年の開運を願う「ダルマ市祈祷(きとう)」が始まった。13日までで、午前10時~午後4時。
多くの人が市街地近くの山の中腹にある寺を参拝。本堂に並んだ大小さまざまな新しいだるまを選び、片目と背面に開運招福や商売繁盛、交通安全、身体健全、厄よけなどの願い事を書き入れてもらい祈祷を受けた。
境内では「護摩木」に名前を書いて燃やし、願い事がかなうように祈る人の姿も目立った。
一乗寺は、財宝や福徳を与えるといわれている七福神の毘沙門天の神様をまつる。縁起の良い起き上がり「ダルマ市」の祈祷は毎年、新年早々に行われている。
(2024年1月13日付紙面より)
わかば保育園でこま遊び (那智勝浦町 )
「お正月にはたこ揚げて こまをまわして遊びましょう」。正月遊びの一つであるこま回しは「物事が円滑に回る」「お金が回る」に通ずることから縁起が良いとされている。
那智勝浦町のわかば保育園(遠山典子園長)では10日、4、5歳児30人が、こま作りとこま遊びに挑戦した。園児たちは木製の「投げごま」に色を塗り、上手に回そうと何度も何度も練習した。
木製のこまをもらった園児たちは、油性ペンでカラフルに色付け。「回したらどんな色になるのかな?」と早速練習をスタートした。こまにひもを巻くところでは「できん」「どうやってやるの?」と大苦戦しながらも、上手に回ると「やった!回った回った」「きれい」と笑顔が広がっていた。
(2024年1月13日付紙面より)
ジュニア駅伝チームが合同練習開始 (太地町 )
ジュニア駅伝チームが練習 (那智勝浦町 )
第47回新春少年剣道大会
新宮SSS招待兼ヤタガラスカップサッカー大会
苺生産組合とJAみくまの (熊野那智大社 )
那智勝浦町苺(いちご)生産組合(松出真紀組合長)とJAみくまの農業協同組合(石田守代表理事組合長)が11日、同町那智山の熊野那智大社(男成洋三宮司)に和歌山県のオリジナル品種のイチゴ「まりひめ」5ケース(20パック)を奉納した。
「まりひめ」は紀州の伝統工芸品「紀州手まり」にちなんで名付けられた県の特産品。大粒で甘みが強く、ほどよい酸味が特徴。東牟婁地方では同町太田地域が主要産地で、自然の恵みを受けて育った「くろしお苺」のブランド名で販売されている。
出荷が本格化する1月中旬の「いちごの日」(1月15日)に合わせて毎年奉納しており、神事には両組合から6人、苺生産組合マスコットキャラクター「まりりん」が参列した。熊野の神々のご神徳を授かる金幣の儀などに続き、松出組合長が玉串をささげた。
世代交代が進み、新規就農者を含めて現在10軒の農家が加入する苺生産組合。松出組合長は「新型コロナウイルスやインフルエンザなども流行する中、組合員の健康と豊作を祈願した」。今年の「まりひめ」の出来については「昨年夏の猛暑で出だしは収穫量が少なかったが、徐々に増え、味ものってきた。大寒波などの異常気象がなければ、昨年を上回る出荷量になるはず」と期待を込めた。
「まりひめ」の出荷は現在ピークを迎え、5月ごろまで続く予定。近隣ではAコープなどで取り扱っている。
(2024年1月12日付紙面より)
天御中主神社で例大祭 (新宮市 )
新宮市佐野の天御中主(あめのみなかぬし)神社(髙橋正樹宮司)で9日、例大祭と厄除(やくよけ)祈願、長寿祭が営まれた。神社関係者や祈願者などが参列。地域の発展や五穀豊穣(ほうじょう)などを祈った。コロナ禍で中断していた餅まきも、4年ぶりに行われた。
例大祭では、髙橋宮司の祝詞奏上に続き、当主の前田道春さん、同神社氏子会の石垣倍生総代長、垣下純三佐野区長らが玉串を供えた。続いて厄除祈願と長寿祭も営まれた。餅まきは、境内に設けられたやぐらから行われた。地域住民などが多数訪れ、にぎわいを見せた。
石垣総代長は「佐野地域の発展と五穀豊穣、地域の皆さんの健勝などを祈った。能登半島地震も、一日も早く復旧復興できるようにと願った。餅まきは久しぶりで、いろいろと忘れていたが、皆さんに喜んでもらえたようで良かった」と話した。
同神社の例大祭は、佐野区の上地、中地、下地、永田の4地区の持ち回りで、しめ縄付け、餅作りなどの準備をする当屋(とうや)を務めている。今年は上地地区が当屋を務めた。
(2024年1月12日付紙面より)
大谷選手のグラブ届く (古座川町 )
米大リーグ・大谷翔平選手が全国の小学校へ寄贈すると発表した野球グラブが古座川町にも届き、さっそく児童が手に取って競技への興味を高めている。
大谷選手はこのグラブを次の世代に夢を与え勇気づけるシンボルにしてほしいとし、全国の小学校へ右利き用2個と左利き用1個を順次贈っている。
町立明神小学校(布引伸幸校長)へは2学期には間に合わなかったが昨年暮れに大谷選手のメッセージとともに届き、9日の3学期始業に合わせて児童や隣接する明神中の生徒へ披露したという。翌10日には明神中と地元老人クラブ「明神若鮎会」のグラウンド・ゴルフ交流があり、旬の話題として展示紹介もした。
山本玲志君(6年)は「僕の持っているグラブよりも軽い」と印象を語り、児童や教員らと一緒に贈られたグラブでキャッチボールをして使い心地を確かめていた。同町へは昨年12月25日に到着し、すでに三つある小学校に届いている。串本町も同様の流れで九つある小学校に届いているという。
(2024年1月12日付紙面より)
施設「宇宙ふれあいホール」 (串本町 )
串本町が11日、旧役場古座分庁舎内で夏ごろオープンを目指す施設「宇宙ふれあいホールSora―Miru」の町議会総務産業建設常任委員会と報道機関を対象にした見学会を開いた。
この施設は2021年度から3カ年計画で進めた旧役場古座分庁舎リノベーション事業の成果物。23年度は1階にロケットミュージアム(展示スペース)と図書スペース、玄関外装などの工事があり、昨年暮れに終了した。
この日の見学対象は同ミュージアムと図書スペースの2カ所。同ミュージアムについてはロケット「KAIROS(カイロス)」の実物大投影など複数盛り込まれている体験型デジタルコンテンツを一通り動作させた状態で内容を紹介し、同委員会の島野靖委員長は「率直に驚いている。こんなに立派なミュージアムになり、これなら教育旅行を誘致できるという印象。期待は大いにあるが、やはり初号機が早く飛んでほしい。そこからこのミュージアムが認知されていくのではと考える」と印象を語った。
町企画課によると、今後も図書スペースへの書籍搬入やリノベーション対象外の経年劣化改修、建物の用途変更に関係する改修や運営事業者の選定などがあり、それらが終了した時点でリノベーション完了と判断し旧役場古座分庁舎から施設名称を変更する。今後は2月7日(水)に町議会文教厚生常任委員会も先行見学する予定。オープン直前には町立小中学校を対象にしたプレイベントも検討しているという。
(2024年1月12日付紙面より)
那智勝浦町冬季ソフトバレーボール大会
サッカー「トルベリーノカップ」
熊野速玉大社で恵比寿祭 (新宮市 )
新宮市の熊野速玉大社(上野顯宮司)境内の熊野恵比寿(えびす)神社で10日、恵比寿祭(恵比寿神社例大祭)が4年ぶりに通常通りに執り行われ、商売繁盛や家内安全を祈る人々でにぎわいを見せた。残りえびすは11日正午ごろまで行われる。
福の神として崇敬されているえびすは、西宮の漁師が祭っていた漁業の神で、現在は商売繁盛などの神として知られている。熊野恵比寿神社は、地元商店街の店主らが昭和30年代に兵庫県西宮市の西宮神社から勧請した。
商売繁盛や家内安全などを願い、前日夜の宵宮から縁起物の福笹(ふくざさ)や熊手を買い求める多くの人々でにぎわいを見せる同大社の「十日えびす」。えびすは耳が遠いとされており(諸説あり)、ドラや木づちをたたいてから参拝する風習が各地に残る。同神社でも多くの参拝者が社に設けられている木づちをたたき、商売繁盛などを祈願していた。
上野潤権宮司が祭司を務めた神事には「熊野ゑびす講」(三栗章史会長)会員、地域住民や参拝者らが参列し玉串をささげた。
神事を終え、上野権宮司は「新年から能登半島地震が発生し、多くの人が心を痛めていると思う。私たちもかつて、紀伊半島大水害に遭った。こんな時こそ自分を見失わず、その時に受けた思いやりの大切さを改めて感じていただき、力を合わせて今年一年を乗り切ることができれば」。
所用のため参列がかなわなかった三栗会長に代わり、上田勝之さんは「4年ぶりに通常通り行うことができた。これからも皆さんの商売繁盛、家内安全をお祈りするお祭りとして執り行うことができれば」と話していた。
(2024年1月11日付紙面より)
和歌山県が住民説明会 (太地町 )
和歌山県は9日夜、太地町公民館で都市計画道路下里太地線の都市計画決定に向けての説明会を開いた。約100人の町民が参加し、地域の防災の要であり、利便性向上につながる道路の詳細に耳を傾けていた。
下里太地線は那智勝浦町下里を起点に、太地町太地を終点とする延長約3050㍍の都市計画道路。都市計画道路とは、都市の骨格を形成し、安全な生活と機能的な都市活動を確保するために都市計画法で定められる道路のこと。将来は県道となるため、事業化後は県道名も決定するとした。
県によると、下里・太地地域の国道42号が南海トラフ巨大地震による津波の浸水域に位置する箇所が多く存在し、発災後は長期の孤立化が予想されるという。下里太地線設置により、早急な救援・救護につながるとともに、避難路としての使用が可能になるとした。
東牟婁振興局新宮建設部の前田潤さんが、1日の計画交通量は約4000台を想定し設計速度は時速40㌔、道路幅員は路肩75㌢、車線3㍍の2車線であると説明した。
スケジュールについては、2週間の公告・縦覧および意見書の提出を行い、3月中旬に各町において町都市計画審議会を開くとした。その後、3月下旬に県都市計画審議会を開き、都市計画が決定すると報告。事業化後は県費と国費で建設されるとした。
町民からは「完成はいつ」「町負担なしで、国・県の予算で建設してくれるのはありがたい」などの意見や感謝が述べられた。前田さんは「予算配分や用地買収などもあり、いつ完成かは答えられない」と回答した。
三軒一高町長は町民の参加に感謝を述べ「防災の要となる道路の一日も早い完成のために、陳情を一生懸命させていただく」と語った。
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5日は、那智勝浦町下里でも説明会があった。多くの町民が参加し、「なぜ設置を急ぐのか」「現道の県道が狭いため、そちらの対策も進めてほしい」などの意見が上がったという。
前田さんは説明会を振り返り「現道対策は実施する。新道路完成後は、工事用進入路も活用し利便性を図りたい。皆さまにご理解を頂きありがたい」と話していた。
(2024年1月11日付紙面より)
第19回幼児音読コンクールで (上野山こども園 )
串本町上野山にある社会福祉法人杉の子会上野山こども園(前田紀代子理事長、上地奈奈園長)のひまわり組(5歳児クラス)とすみれ組(3歳児クラス)が第19回幼児からの音読コンクール第1部門団体の部で最優秀賞に選ばれた。さくら組(4歳児クラス)も優秀賞〈金賞〉を獲得。応募した3クラスとも入賞の証しを手にすることができたと結果を喜んでいる。
このコンクールは子どもの成長の励みの一つとして幼年国語研究会が年1回、全国規模で主催している。第1部門は同コンクールへ向けて撮影した動画を審査対象とし▽年少未満(2歳児以下)▽年少(3歳児)▽年中(4歳児)▽年長(5歳児)―の4区分で応募を受け付けている。
同園は「本が好きな子どもになってほしい」という前田理事長の思いにより音読を始め、同コンクールへは第1回から参加している。現在は3~5歳児がクラス単位で応募し、2歳児も応募こそしていないが上のクラスに刺激を受けながら音読を練習しているという。
今回も3~5歳児がそれぞれに音読を練習し、その動画を撮影して応募していた。審査結果は昨年12月1日付で発表され、第17回のひまわり組以来2年ぶりとなる最優秀賞を今回はひまわり組とすみれ組の2クラスが獲得。さくら組も前回(年少の区分で優秀賞〈銅賞〉)から賞種を二つ上げる成果を上げた。後に証しとなる賞状と盾が届き、ひまわり組とすみれ組は日本一になった実感、さくら組は着実な成長を実感しながら園生活に励んでいる。
最優秀賞に選ばれたひまわり組は「一寸法師」「少年に与う」、すみれ組は「大きな蕪(かぶ)」「螢(ほたる)の提灯(ちょうちん)」の音読に挑戦。ひまわり組は主人公や姫、鬼など「一寸法師」に登場するさまざまな人物がそれぞれどのような話し方をするかをみんなで考え、すみれ組はプランターでカブやニンジンを育てた経験を生かして「大きな蕪」の登場人物の気持ちを考えて自分たちの音読を感情豊かに作り上げたそう。さくら組は「赤ずきん」「わたしと小鳥とすずと」の音読で挑戦したという。
今回の結果について上地園長は、日頃から取り組んでいる立腰(りつよう)の成果が基本にあってこその結果だと入賞を喜び「この勢いでほかのいろいろなことにも挑戦してほしい」と今後を期待した。
(2024年1月11日付紙面より)
那智勝浦町下和田の定光山大泰寺(西山十海住職)で8日、初薬師法要が営まれた。薬師堂で西山住職らが般若心経などを唱え、参拝者らがヤナギの枝を打ち鳴らして家内安全や無病息災などを祈った。
同寺は開創1200年、比叡山の開祖・最澄により開かれたという古刹(こさつ)。この日は、秘仏で本尊の薬師如来像も開帳された。薬師如来像は1968年に国の重要文化財に指定されている。
午前・午後の2回に分けて営まれた法要には、地域内外から多く人々が参列。参拝者らは錫杖(しゃくじょう)を手にした西山住職が唱える薬師如来の真言「オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ」に続いてヤナギの枝を打ち鳴らし、厄を払い清めるとともに病の平癒などを願った。焼香後には厄よけのお札が授与された。
西山住職は「新年すぐに発生した災害や事故は胸が痛い。健康でいられることに感謝しつつ、一年の災害や病気がないように法要をさせていただいた。皆さまが無病息災で健やかに過ごされ、薬師様のおかげと思って、来年もまた参拝に来ていただけたら幸いです」と話していた。
13日(土)午前10時30分からは、大般若祈祷(きとう)会が営まれる。餅ほりは正午から。厄年の厄払い、商売繁盛など各種の祈祷は5000円から。
当日の申し込みは午前10時までに、薬師堂内の受付で行う。この日も「薬師如来像」を開帳する。
(2024年1月11日付紙面より)
防災力の向上目指す
新宮市と那智勝浦町で7日、消防出初め式が開催された。消防関係者らが出席し、防災力向上への誓いを新たにした。
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新宮市では、同市下本町の市文化複合施設「丹鶴ホール」で式典が催された。254人の消防関係者や来賓ら合わせて約300人が出席。功労者に賞状と記念品が贈呈されたほか、式典後には同施設敷地内で分列行進と熊野川河川敷で一斉放水が行われた。
開式宣言、黙とうに続き、国歌・市歌を斉唱。田岡実千年市長は、能登半島地震の犠牲者に哀悼の意を表し「このたびの震災、東日本大震災と多くの犠牲の下に得られた貴重な教訓を決して風化させることなく、災害に強い強靱なまちづくりを進めていく」。
「生命・身体・財産は公助、共助、自助がバランスよく機能しなければ守ることができない。市民の生命・身体・財産を守るために力を遺憾なく発揮されることを期待している」と式辞を述べた。
三栗章史市議会議長は「今後も盤石なる消防体制を堅持し、不測の災禍に対し常にその威力の発揮を。市議会としても市民の安全・安心を願い、より一層、消防・防災体制の充実を推進していく所存」とあいさつ。
表彰状・感謝状の授与・伝達に続き、来賓あいさつでは東牟婁振興局の伊藤眞一・地域振興部副部長が岸本周平知事のメッセージを代読。濱口太史・県議会議長、井田昌樹・新宮警察署長が、消防関係者の日頃の尽力に感謝を伝え、さらなる防災力向上に期待を寄せた。
閉会に当たり、垣内一男消防長は「能登半島地震を受け、災害は私たちの文化や社会生活に構わず容赦なく襲ってくるということ、そして消防任務の責任の大きさや厳しさを改めて痛感している」。
住宅用火災警報器の普及促進、那智勝浦町との通信指令業務の共同運用、南海トラフ地震への備えなど課題は山積していると述べ「市民の皆さまに安心と安全を感じていただける消防。その目標達成のために職員一丸となって全力で職務にまい進していきたい」と決意を新たにした。
昨年1年間の出動状況は火災14件(前年比2増)、救急件数1802件(同100増)、救助22件(同1減)だった。
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那智勝浦町では、同町天満の体育文化会館で式典を挙行。職員25人、団員130人が参加し、自分たちの力で町を守ると士気を高めた。勝浦港・渡の島突堤で分列行進や一斉放水もあった。
式典では優良消防職団員の表彰に続き、堀順一郎町長が「さっそうたる勇姿、大変心強い」と式辞。能登半島地震の被害に触れ「発生当日に救助救急支援のため、町から4人の職員を派遣しており、今後も必要な支援を行っていく。当地方で近いうちに発生するとされる南海トラフ巨大地震でも、改めて喫緊の課題として対策に取り組む必要がある。新しくなった消防・防災センターを活用するとともに、各地域で防災意識の向上に努めてほしい」と訴えた。
湯川辰也消防長は「町民の生命、身体、財産を守るという崇高な使命を達成するため、さらなるご尽力を。本町の消防力向上に全力で取り組む」と強調。来賓として同町議会の曽根和仁議長、玉置昌彦・東牟婁振興局地域振興部長(和歌山県知事代理)、谷洋一・県議会議員、坂野和臣・新宮警察署副署長(署長代理)が祝辞を述べた。
最後に下地将仁団長が訓示。「自分たちの地域は自分たちで守るという決意の下、消防人としての誇りと自覚を持ち、災害対応力向上に努め、日夜訓練を重ねていく」と力を込めた。
渡の島突堤には多くの町民や子どもたちが観覧に訪れ、各分団が寸分たがわぬ動きで行進を披露。号令に合わせて職員・団員らがホースを延長し、ホテル浦島側に放水を開始。消防艇「はくりゅう」も放水しながら湾を往復していた。
(2024年1月10日付紙面より)
市内5校に寄贈グラブ届く (新宮市 )
米大リーグ・ロサンゼルスドジャースの大谷翔平選手(29)が寄贈した野球グラブが全国各地の小学校に届いている。新宮市には冬休み中の昨年12月25日に到着。その日のうちに市内5校へと届けた。始業式を迎えた9日に各校でお披露目した。
子どもたちに野球を楽しんでもらおうと、昨年11月に大谷選手が自身のインスタグラムで発表。全国の小学校約2万校に右利き2個、左利き1個の計3個が贈られることとなった。
グラブはニューバランス製のジュニア用。小指部分には大谷選手のサインが印字されているほか「野球しようぜ!」のメッセージカードと同封の手紙も添えられている。
新宮市立高田小・中学校(山本健司校長、児童6人)では、始業式後に贈呈式を開き、中学生4人も参加。山本校長が「大谷選手は高校時代から大リーガーになるという目標を持って実現させています。皆さんも励みにして頑張ってもらいたい」と呼びかけた。
児童会代表の的場結愛(ゆめ)さん(6年)と水口山(さん)君(5年)が箱を開け、児童や生徒にグラブを披露。順番にグラブを手に取ってキャッチボールをするなど感触を確かめた。
的場さんと水口君は「『大谷選手、ありがとう』の気持ちです。プロの選手からもらったグラブを触ってうれしかった」と声を弾ませ、「大切に使って、年下の子どもたちにも伝えていきたい」と話していた。
(2024年1月10日付紙面より)
有田神社行事「お的祭」 (串本町 )
串本町有田上にある有田神社(山本貞夫宮司)のお的祭(御弓式)=町指定無形民俗文化財=が6日に営まれ、弓頭2人の放つ矢が氏子らの拝観と的中の歓喜を誘った。
1月6日を期日として営んでいる新春行事。今年は清野健太郎さん(18)・直人さん(16)兄弟が昨年末から弓頭の稽古を積み、多田和男総代長ら総代会や地区当番も直径1・8㍍の的を作るなど所要の準備を進めてきた。
当日は午前10時に本殿前で奉告祭を営み、多田総代長の先達で同神社そばの耕地に設けた的場へ参進。弓頭2人は作法をこなしそれぞれ18本(6本×3巡)の矢を交互に放った。的中するたびに見守る氏子らが拍手をして喜び、「今年はよく当たる」と声を上げて結果をたたえるなどした。
18本を打ち終えた後にいったん同神社へ戻り、弓頭2人は魚のふるまいを受け黒い法被を重ね着。再度的場へ参進して的とその上空にそれぞれ1本ずつ矢を放った。最後に同神社で「ひげこ餅(松葉を刺し立てた餅)」のふるまいを受け、お的祭を終えた。健太郎さんは「約300年続くと言われる伝統行事に自分も関わることができてうれしい」、直人さんは「緊張したけれど楽しかった」と奉仕の印象をコメント。健太郎さんは「今日感じた緊張感を持って進学後の新しい生活を迎え、えとの辰(とら)のように飛躍したい」、直人さんは「もうすぐ高校2年になる。健康に気を付けて、これからの勉強を頑張りたい」と、この奉仕を通して願うところを語った。
参道脇で掛け魚をいぶしながら釜湯を沸かし、お的祭前に湯立ての儀による清めも営まれた。
(2024年1月10日付紙面より)
昔遊びに親しみ意味学ぶ (太地町立子育て支援室 )
太地町立子育て支援室で4日、同支援室と教育委員会による羽根突き大会「宇佐川彰男教育長杯」があった。同町などの小学1~6年生22人が参加し、自らが手作りした羽子板や羽根で昔遊びに親しんだ。
羽根突きや大会実施は同支援室・子どもの居場所づくり指導員の村上和弥さんが考案した。昨年12月、村上さんは木材を羽子板の形に削り出し、羽根に使用するムクロジを山で採取するなどの準備を進めた。
その後、子どもたちが羽子板に紙やすりをかけて、鏡餅や辰(たつ)年にちなんだ竜など、個性豊かな絵を描き完成させた。
村上さんは、ムクロジの漢字「無患子」について「昔はせっけんとして使われ、子どもが病にならないようにという意味もあった。古くから続く羽根突きには、1年の厄をはねのけて子どもの健康と成長を願うことや羽根を突き合い、幸せを循環させるような意味合いもある」と説明した。
大会は、羽根を羽子板で上下に打ち続けて回数を競う種目や中央にネットを置き、羽根突きを行う試合形式で行われた。
子どもたちは、互いに応援し合いながら、元気いっぱい羽根突きを楽しんだ。高校生や職員による大人の部も開かれ、会場は盛り上がった。
子どもたちには参加賞のノートが配られたほか、上位入賞者には賞状も贈られた。大人の部では、ピロール米が賞品として手渡された。
高学年の部に出場した森本美桜さん(5年)は「羽子板を作るのも試合をするのも楽しかった。4位だったので悔しい。機会があれば、またやってみたいです」。
1年生の部で優勝した斎藤澄(きよ)さんは「羽子板に富士山を描いた。試合は初めて。楽しかったし、優勝できてうれしかった」と笑顔で話していた。
村上さんは「新年から、震災や事故などのつらいニュースが多い。羽根突きを楽しみ、互いに幸せを行き来させてほしい。子どもたちにとって良い1年になれば」と語った。
(2024年1月7日付紙面より)
役場などに義援金箱設置 (那智勝浦町 )
那智勝浦町は4日、1日に石川県で発生した能登半島地震を受け、町内各所に義援金募金箱を設置した。
能登地方を震源とする最大震度7の地震で、同県内の死者は5日現在で90人以上となり、安否不明者も200人を超えた。各地からも救助・救急支援に駆け付け、救命救助活動が続けられている。
同町は4日午後1時に役場庁舎1階の会計課窓口をはじめ、宇久井、色川、下里、太田の各出張所と町立温泉病院に募金箱を設置した。集まった募金は日本赤十字社を通じて被災地に送られるという。
同町では「各出張所などに設置しています。被災された方々のために、募金箱をお見かけの際は、ご協力をお願いします」と呼びかけている。
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■職員派遣について
町防災対策室によると、各自治体などで組織される関西広域連合は、所属する和歌山県の支援先を能登町に決定したという。那智勝浦町も要請があれば、すぐに職員を派遣するとしている。
派遣後の業務としては、罹災証明書を発行する際に必要な住家被害認定調査などを行うとしている。
増田晋防災対策室長は「紀伊半島大水害以降、当町では住家被害認定調査の研修受講の機会を増やし、今では20人以上が実施できるようになった。要請があれば、現地入りされている県職員の方と共に尽力したい」と語った。
緊急援助隊和歌山県隊に所属する町消防本部では、1日夜に消防職員4人を1班とする1次隊を派遣。3泊4日を基本の活動時間とし、4日早朝に出発した2次隊と交代。業務を引き継いだ1次隊は5日、同町に戻った。2次隊は現在、救助活動に当たっているという。
担当者は「現時点では火災はなく、倒壊家屋からの人員救助に従事していると報告があった。火災が発生した際は対応したい。被災者の皆さまのお役に立つことができれば」と話していた。
(2024年1月7日付紙面より)
豊作祈願する禱祭営む (神内神社 )
紀宝町神内の神内神社(宮地秀直宮司)で2日、新年の豊作を祈願する禱祭(とうさい)が営まれ、作柄を占うお弓神事が行われた。2年ぶりに伝統の祭りが復活し、新年早々にぎわいを見せた。
神社で神事を執り行い、下澤深総代長、樫山祐一区長、当主3人と矢拾い、御穀持ちの神内小児童4人らが身を清めた。当主は弓引きの田尾秀樹さん、福嶋圓さん、後見人の下澤総代長。矢拾いを植田虎太郎君(4年)、和田楓冬君(4年)、御穀持ちは尾崎愛菜さん(5年)、上野優衣さん(4年)が務めた。
神事の後、参列者が行列を作り、鈴を鳴らしながら神社から200㍍ほど離れた宮田まで歩いた。宮田では弓引きの2人が約20㍍離れた位置から的を狙って2本ずつ計28本の矢を放った。中心に矢を射抜くと見物客から歓声と拍手が起こった。
最後は澄み切った青空に遠矢を放った。この後、今年と来年の当主が集まり、神社で引き継ぎの儀を執り行って終了した。
(2024年1月7日付紙面より)
市内各所に募金箱設置 (新宮市 )
1日に石川県で発生した能登半島地震の被災者を支援するため、新宮市内の各所で義援金の募集が始まっている。5日には市福祉センター入り口や、東牟婁振興局総務県民課などに募金箱が設置された。
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■市福祉センター
市福祉センター入り口には、日本赤十字社と和歌山県共同募金会(赤い羽根共同募金)の二つの募金箱を設置した。
集まった義援金は、被災地の行政、共同募金会、日本赤十字社支部などで構成される義援金配分委員会で取りまとめ、被災地の自治体を通じて被災者に分配される。
ゆうちょ銀行・郵便局(口座番号00150・7・325411、口座名義=日赤令和6年能登半島地震災害義援金)などへの振り込みも可能。
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■各振興局にも募金箱
和歌山県は各振興局総務県民課に義援金箱を設置。受付時間は平日午前9時~午後5時(祝日除く)。集まった義援金は、全額を被災自治体へ送金する。
義援金受け入れ口座は、紀陽銀行県庁支店、きのくに信用金庫本店営業部、県信用農業協同組合連合会本所で開設準備中。義援金は寄付控除の対象となる予定だが、控除を希望する場合は義援金口座開設後に入金する。
(2024年1月7日付紙面より)
「二十歳の集い」に195人 (新宮市 )
新宮市の「令和6年二十歳の集い」が4日、同市下本町の市文化複合施設「丹鶴ホール」であった。振り袖やはかま、スーツ姿の新成人195人(男91、女104)が出席。田岡実千年市長や来賓、保護者らに見守られながら大人への第一歩を踏み出した。なお、市内の対象者数は242人(男107、女135)だった。
式典では、国歌・市歌斉唱に続き、速水盛康教育長が能登半島地震の被害者に追悼の意を表し「これまでの20年間の生活を振り返り、今日の日を一つの節目とし社会人としての自覚と責任、そしてふるさと新宮に誇りを持ち、自分自身の人生をたくましく切り開いて」と開会の辞。
田岡市長は「一人で立派になったわけではなく、ご両親、ご家族が一生懸命育ててくれた。友達や先生たちにも成長させてもらったと思う」。
哲学者・森信三の「天からの封書」を紹介し「これから、社会でいろいろな経験を通して天からの封書を開き、素晴らしく心豊かな人生を歩んでほしい」と伝えた。
来賓の三栗章史市議会議長は「今日の日を精神的に独立する契機と捉えてほしい。失敗を恐れずいろいろなことにチャレンジを」。濱口太史県議会議長は「人生の中でいろいろな判断をする機会があると思うが、重い扉を開ける勇気も持って」と激励。岸本周平知事のメッセージも紹介された。
新成人を代表して、大野百虹さんが「今日、こうして二十歳の集いを迎えられたのは、家族、地域の方々、先生方、友人、たくさんの方々の支えによるもの。立場はさまざまだが、一人一人が自分の行動に責任を持ち、社会の一員として常に向上心を持って前進する覚悟」。
新宮市を外から見たときに、ふるさとへの思いの深さを再確認したと述べ「『高ければ高い壁の方が登った時気持ちいい』。中学時代の恩師に教えてもらった言葉に励まされ、たくさんのことを乗り越えてきた。私たちはこれからも自分の夢や希望を持ち進んでいきます」と誓った。
市教育委員の中村八十八さんのあいさつで閉会。新宮市出身の俳優・淵上泰史さんが舞台に登場し、新宮で過ごした思い出や役者を目指したきっかけなどについて話し「これからいろいろな人に出会うと思う。人との出会いは人生を大きく変える。自分の直感を信じることも大事。お盆やお正月には新宮に帰って、ご両親と接してあげてほしい」などと伝えた。
(2024年1月6日付紙面より)
新型コロナウイルスが5類に移行して初めての正月となった今年の年明け。熊野三山では、元日から3日にかけて県内外から訪れた多くの初詣客でにぎわいを見せた。
3日は全国的に天気が崩れ、熊野地方でも雨が降ったが、1、2の両日は天候に恵まれ、初詣日和となった。
新宮市の熊野速玉大社(上野顯宮司)では3日、雨に見舞われつつも多くの参拝者が訪れ、縁起物を求める人たちでにぎわいを見せた。友人と訪れた三重県の40代男性は「混雑や渋滞を避けて今日にしたが天気が悪くて残念。良い年になればと願うが、能登半島の地震が気がかりでニュースを見るごとに被害の大きさを感じる」と話した。
那智勝浦町の熊野那智大社(男成洋三宮司)では2日、国内外から多くの観光客や参拝者が訪れ、にぎわう様子が見られた。
那智山の麓から同大社や那智山青岸渡寺(髙木亮英住職)の駐車場までの道のりで、多くの初詣客らの車の行き来による渋滞が発生。境内では参拝やおみくじ、縁起物を買い求める人々で常時、行列ができた。
千葉県から家族で訪れた50代男性は「山の麓から大社まで来るのに、車が多くて40~50分ほどかかった。遠いが、神秘的な神社なので、来たかいがあった。良い1年になれば」と話していた。
田辺市本宮町の熊野本宮大社(九鬼家隆宮司)では、4日にかけて旧社地・大斎原(おおゆのはら)大鳥居前で、「日光さる軍団 伝統芸能 猿まわし特別公演」が行われた。日光さる軍団の興行は関西の社寺初で、世界遺産登録20周年記念行事として実施。参拝に訪れた多くの人がサルのほほ笑ましい大道芸に見入り「かわいい」「上手上手」などと口にし拍手を送っていた。
(2024年1月6日付紙面より)
8日、潮崎本之宮御的祭 (串本町 )
串本町串本にある潮崎本之宮神社で8日(月・祝)、新春行事「御的祭」=町指定無形民俗文化財=が営まれる。本番に向け弓頭2人が昨年12月23日に稽古を始め、今月4日以降は連日の稽古に打ち込んでいる。
同神社総代会(吉村健三総代長)奉仕による行事で、弓頭2人が奉告祭を経て境内に設けられた的場へ参進し、吉村総代長、矢拾い、介添人と共に所作をこなして約25㍍先に設けた直径約3・6㍍の的へそれぞれ4本ずつ矢を放つ。その後、的は引きちぎられ門先の魔よけとして拝観者らに授与。一段落したところで弓頭はさらにそれぞれ2本の矢を的があった場所の上へ遠射するなどして行事を締めくくる。疫病退散や豊作・豊漁を占う行事として例年、奉仕中は多くの氏子らの見物を集め独特のかけ声を伴いながらにぎわっている。
今年の弓頭は中村斗優さん(16)と中野空芽さん(15)。指南役の堀好之総代(54)ら総代陣から昨年中に所作を教わり、正月休みを挟んでの稽古再開となった4日はその内容を思い出しながら通し練習に取り組み始めた。2人とも弓道は未経験だが、同日時点で一連の所作をだいたい把握できているそう。そろって「一本でも多く当てて、悔いのない奉仕にしたい」という思い、そして中村さんは健康、中野さんは普通自動二輪車免許(中型バイク免許)合格とそれぞれに奉仕を通して願うところを胸にし、真剣な表情で堀総代らから手直しの指導を受け仕上げに取りかかっている。
当日は午前9時30分から奉告祭に臨み、行事の開始は午前10時ごろになるという。行事後は餅まきをするが、今年も行事と同時進行で執り行われる同神社厄よけ祈祷(きとう)参列者の餅は加えず総代会が外注した包装済みの丸餅をやぐらの上からまくという。
(2024年1月6日付紙面より)
新宮公設市場で初市
新宮市佐野の新宮広域圏公設地方卸売市場で5日朝、同市場協力会(小田三郎会長)主催の「令和6年初市」があった。午前7時過ぎから初競りが始まり、威勢のいいかけ声が市場内に響く中、イチゴやトマト、ダイコン、コマツナ、かんきつ類などが次々と競り落とされた。
同市場は生鮮食料品の円滑な流通と安定供給を図り、周辺広域住民の食生活の安定に貢献することを目的に、1985年5月に県内の公設市場第1号として設置された。
初競り前の式典で小田会長は、関係者らに感謝を示すとともに能登半島地震の被害者に追悼の意を表し「昨年、新型コロナウイルスが5類感染症に位置付けられようやく収束の局面を迎えた。インバウンドの復活などのほか、飲食業、宿泊業などにおいても以前のにぎわいを取り戻した感がある」。
「しかしながら、ウクライナ問題や円安を背景としたエネルギー、原材料の価格の高騰は私たちの日常生活を直撃し厳しい状況を招いている。少子高齢化や人口減に加えて価格上昇など厳しい年となり、政界や産業界では世相を暗くさせる問題もあった。そんな中、岸田首相は定額減税の実施を予定している。日本経済が少しでも良い方向に向かうことを願うばかり」とあいさつした。
市場管理者の田岡実千年市長は「来年、市場開設40周年の節目を迎える。人口減少など多難な時期ではあるが、行政も各位のお力をお借りし、しっかりとこの市場を支えていきたい」と述べ、市場の充実や活性化に向けて協力を呼びかけた。
(2024年1月6日付紙面より)
令和6年初射会 (新宮弓友会 )
2023少年サッカー新人戦
「二十歳のつどい」に101人 (那智勝浦町 )
那智勝浦町の体育文化会館で3日、令和6年「二十歳のつどい」が開かれ、141人中101人(男50、女51、昨年は97人が出席)の新成人が出席した。振り袖やはかま、スーツに身を包んだ新成人は級友との再会を喜び、保護者らが門出を祝福する中、大人としての自覚を新たにした。
おととしに成年年齢がこれまでの20歳から18歳に引き下げられたことから、成人式の名称を「二十歳のつどい」に変更。対象年齢は従来通りの20歳としている。
式典では過去に開催された「さわかみオペラ」のコンサートで、オペラ歌手が歌った「町歌」の動画を流し傾聴。那智山青岸渡寺の髙木亮英住職や熊野那智大社の男成洋三宮司らが出演し、新成人を祝福するビデオメッセージも公開された。
堀順一郎町長は1日に石川県能登半島で発生した地震などに触れ、被災者や犠牲者への見舞いと冥福を祈るとした。
ふるさとに誇りを持ってと呼びかけ、世界で活躍する米大リーグの大谷翔平選手の言葉も紹介し「大谷選手は、自分には無理だと考えずに挑戦を諦めないことが大切だと語っている。皆さまも目標や夢に向かい、諦めずに自分を信じて突き進んでほしい」と激励し、曽根和仁町議会議長が祝辞を述べた。
新成人を代表し、町立那智中学校出身で同町在住の宮本理好(りこ)さんが地域や家族などに感謝を述べ「紀伊半島大水害で町は甚大な被害を受けたが、復興に携わっていただいた方々に明日へ向かう力や頑張ることを教わった。私たちは仕事に従事している者や学業に励んでいる者もいるが、社会で自分の力を役立てたいという思いは誰しもが持っている。その思いを育んでくれたのが、町の自然や人々の温かさ、皆さまの愛情です。二十歳という節目を迎え、どのように人生を歩み、社会に貢献していくべきかを考え、日々精進してまいります」と誓った。
(2024年1月5日付紙面より)
官公庁で仕事始め式
和歌山県庁や各市町村など官公庁で4日、仕事始め式があった。6日間の休業を終えた職員たちは首長らの訓示の下、気を引き締めて新しい1年のスタートを切った。
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新宮市役所別館であった仕事始め式には、職員や来賓の三栗章史市議会議長ら約70人が出席した。市歌斉唱に続き、田岡実千年市長が「『市政は市民のためにあり』を念頭に、市民生活に密着し諸課題の解決に向けた取り組みを誠心誠意進めていく」と所感表明。
1、2日に発生した能登半島地震や羽田空港における航空機の衝突事故などに言及し「大災害はいつ何時起こるか分からないと改めて感じた。日頃からの備えをしっかりしていく必要がある。新宮消防からも元日の夜中に1班目が出動している」と報告し「有事の際にはチームのコミュニケーションが大事。普段から信頼しながら高め合い、助け合えるチームづくりを」と訓示した。
三栗議長は「地方分権が進められる中、私ども議会の役割もますます重要になっていく。さまざまなアンケートやパブリックコメントなどで出されたご意見にも真摯に耳を傾けながら、政策形成能力を高めていきたい」。
向井雅男副市長が「職員全員が協力し合い、連携しながら、一つ一つの課題解決に向けて頑張っていきましょう」と乾杯の音頭。速水盛康教育長が「今年のえとは辰(たつ)。私たちも龍(りゅう)にあやかり、躍動的な年に」と述べ、万歳三唱で士気を高めた。
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那智勝浦町は、役場大会議室で仕事始め式を開いた。約50人の管理職職員が出席。今年の業務に取り組むに当たり気持ちを新たにした。
町歌斉唱後、堀順一郎町長は1日に石川県能登半島で発生した地震や2日に羽田空港で起こった航空機事故に触れ、被災者や犠牲者の見舞いや冥福を祈るとした。
職員に対して「発生が懸念される災害への対応や今年は世界遺産登録20周年もある。自身の業務を振り返り、プロ意識を持って仕事に取り組んでください」と訓示。
瀧本雄之副町長は、町消防本部から石川県に職員を派遣している報告などを行い「令和5年度の総仕上げと6年度に向けて活力ある町づくりにご協力をお願いします」。
岡田秀洋教育長は「互いに健康に気を付けながら、今年も汗をかいていきましょう」と呼びかけた。
(2024年1月5日付紙面より)
恒例のマグロ初市 (那智勝浦町 )
はえ縄漁による生鮮マグロの水揚げ量が日本一の那智勝浦町の勝浦地方卸売市場で4日早朝、初市が行われた。この日は高知、宮崎、沖縄各県のはえ縄漁船5隻がメバチ、キハダ、ビンチョウの各マグロなど約54㌧を水揚げした。例年並みの水揚げとなった初市では、多くの仲買人で活気づいた。クロマグロの水揚げはなかった。
初市開始前の午前6時50分ごろには式典が開かれた。堀順一郎町長はマグロの水揚げや町の水産振興に寄与する関係者らに感謝を述べ「町としても、マグロ漁船が寄港しやすい環境づくりや水揚げ後に流通・商売がうまくいくような対策を考えていきたい。大漁や安全操業、商売繁盛を祈念しております」。
和歌山県漁業協同組合連合会の片谷匡副会長に代わり、県漁連勝浦市場の太田直久市場長が「コロナ禍前の活気を取り戻せるよう、衛生管理体制に注意を注ぎ、市場の運営に努めていく。また、漁船受け入れ体制の充実にも取り組んでいきます」とあいさつを代読した。
勝浦魚商協同組合の木下勝之組合長が祝辞を述べ、同町議会の曽根和仁議長の音頭で乾杯し、初市が開始された。
太田市場長は「明日も5隻の漁船が入り、50㌧弱の水揚げを予定している。今年は良いスタートが切れた。昨年末から増えているビンチョウはこれからの時期、脂が乗っておいしいので、全国の方にも知ってほしい。去年はクロマグロが少なかったので、今年は1本でも多く揚がってほしい」と語った。
初市の水揚げ量はメバチが426本、キハダが395本、ビンチョウが2376本の約54㌧だった。主に関西や関東、東海地方へ出荷される。
(2024年1月5日付紙面より)
世界遺産登録20周年
2004年7月7日、「紀伊山地の霊場と参詣道」がユネスコの第28回世界遺産委員会で登録され、今年で20周年を迎える。含まれる三つの霊場「熊野三山」「吉野・大峯」「高野山」は、それぞれ「熊野信仰」「修験道」「真言密教」を代表する霊場で、その影響は古来より日本人の精神・文化的な発展と交流に、極めて大きな役割を果たしてきた。範囲は広大で和歌山・奈良・三重の3県にまたがり、保護のための緩衝地帯を合わせると面積は1万1865㌶に及び、熊野川や七里御浜を含む参詣道の総延長は307・6㌔に達する。
それらが生み出される上で根本的な要因となった神秘的な自然と一体となり、そして自然を神や仏として畏れ敬う精神は脈々と受け継がれていることは特筆すべきことであり、また神仏習合という日本国有の思想を生み出したことは東アジアにおける文化交流の証しとして高く評価されている。「紀伊山地の霊場と参詣道」は「山や森などの自然を神仏の宿る所とする信仰が形作った景観=文化的景観」の代表例だ。
さて、悠久の年月をかけて育まれてきた自然、歴史、精神性を包括する「紀伊山地の霊場と参詣道」は未来永劫(えいごう)にわたって「紀伊山地の霊場と参詣道」であり続けるのだろうか。答えは「否」だ。では「紀伊山地の霊場と参詣道」は持続可能な資源であり続けるか。その答えは私たちが持っているはずだ。
多くの人が景観保全や古道の復元などに力を尽くし、また多くの人が歴史を伝え、魅力を発信し続けている。「人類共通の宝」として守り続けている人たちがいることを忘れてはならない。次代へ継承していく一つの機会として、また、遺産を守っていくためには私たち一人一人に責任があることを再認識するために周年といった節目はあるのではないだろうか。
ユネスコ憲章は「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」で始まる。三つの霊場を有する紀伊山地では「共生の文化」が育まれてきた。共生とは「異種が相互に作用し合い共に生活すること」、すなわち平和の文化だ。
20周年を迎える今年、熊野から発信される平和の祈りが、世界に届くことを願ってやまない。
(2024年1月1日付紙面より)
本州最南端の機会活発化
本州最南端に集う秀でたロケット体験の機会。和歌山県宇宙教育研究会や東京大学大学院の中須賀真一教授に続き、昨年は南紀串本観光協会や和歌山ロケット応援団、県立串本古座高校もそれぞれに提供を始めた。今年は県立串本古座高校未来創造学科宇宙探究コースも満を持して動き出す。年々活発化する学びの機会の一線を歩み、どのような次世代が宇宙分野へ羽ばたくのかがいよいよ注目される状況となってきた。
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継続的な機会提供の先駆けとなっている県宇宙教育研究会。日本モデルロケット協会の指導講師ライセンスを持つ藤木郁久事務局長によるキット「アルファⅢ」の製作と打ち上げの体験が社会教育と学校教育の両面で定着している。主に教員で結成される指導力への信頼から講師依頼を受けることも多く、昨年は会内のライセンス所持者を増強して指導体制強化も進んだ。
このキットは製作~打ち上げ~分離~降下・着地が一連で体験できるアメリカ合衆国発祥の教材。動機付け次第で学びの発展も目指せるが、キット自体は知識を身に付ける上での骨格となる体系を経験として伝える点が特色となっている。
南紀串本観光協会も和歌山ロケット応援団と連携して同ライセンス所持者を確保。体験できる機会はますます増えるところとなっている。
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県主催行事「宇宙シンポジウム」の前日恒例となっている、中須賀教授による超小型模擬人工衛星〈缶サット〉体験も継続的な機会提供の一つ。降下・着地の過程に注目し、試行錯誤で課題に気付いて物理制御でどこまで提示された条件に近づけるかを考え実践して競う内容で、目的を達成するために必要な発想を経験する点に指導の狙いがある。
参加対象は中学生~高校生で、中須賀教授は狙い一点で挑戦の機会提供の献身を重ねている。
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今後の定着が期待されるのが、県立串本古座高校の宇宙教育専門教員・藤島徹教諭の出前宇宙講座。地元から同コースへ進む筋道をつけるためこども園、小学校、中学校に機会提供をしている。
宇宙に関わることの楽しさを経験として託すことを狙いとし、元宇宙航空研究開発機構(JAXA)職員や日本宇宙少年団の副分団長の経験を生かして宇宙分野の取り組みを伝え、自作した水ロケットを打ち上げる体験を届けている。将来的には同校の生徒が取り組む方向でノウハウを積み上げていて、機会の多くで生徒が補佐しているのも特色となっている。
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限りある時間内での実践の難しさから中須賀教授はひとまず引き算をしているが、プログラミング制御の体験も県宇宙教育研究会の行事の中でで定着し始めている。唯一不足しているのが電子工作に興味を持つきっかけで、今後の継続的な機会提供が待たれるところだ。
興味を持つ次世代が増え、モデルロケットで知識の骨格となる体系を知り、缶サットで工夫の発想を培う。電子回路を組んでプログラム制御を走らせるようになれば、缶サット甲子園和歌山地方大会で出会う他の地域の次世代チームと並び立つ挑戦ができる。本州最南端から宇宙分野を目指す道筋は今なお漠然としているが、民間小型ロケット射場「スペースポート紀伊」があることで道自体はかなり整ってきた。歩むべき道筋を見いだして宇宙分野を志す次世代の登場と挑戦による成長が今後ますます期待されるところだ。
(2024年1月1日付紙面より)
自然保護活動のシンボルに
環境保全の裾野を広げる象徴種に。昨年10月、第18回日本オオサンショウウオの会古座川大会が古座川町内で開かれた。国内の生息地の一つとして肩を並べ脚光を浴びた古座川のオオサンショウウオ。今後の捉え方が一段と注目されている。
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■始まりは「励まし」から
1962(昭和37)年7月5日、町立七川小学校平井分校焼失。改築により心機一転向学心が高まるさなかに校舎を失い落胆する児童を励ますため、兵庫県朝来市からオオサンショウウオ7匹が持ち込まれた。
源流の豊かな生態系を宿す古座川支流平井川にいない生き物で元気づけようとしたが、その年に襲来した台風により飼育していた池があふれて平井川へ移入した、と地元では語られている。
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■七川ダム上流域で繁殖
その当時、平井川より下流には七川ダムが完成済み。移入したオオサンショウウオがダムより上流域で生存し繁殖していることが後に住民らに知られるようになった。
オオサンショウウオは世界最大の両生類で、越年成長し平均1㍍弱、最大で1・5㍍まで育つとされる。夜行性で昼間は巣にこもり、夜間に魚類や甲殻類を捕食。目の前で動く生き物に食らいかかる習性があり、派生して「手をかまれた」「資源が食い荒らされる」など流域一帯の印象は優れない。他方で国が52年にオオサンショウウオを特別天然記念物に指定し保護対象としているため手を出せず長らく生息するがままの状況が続いた。
2015年から調査をしている日本オオサンショウウオの会の清水善吉会長によると、生息は現在ダム湖につながる本流、支流全体に分布が広がり、約1000匹規模で移入した個体もしくはその子孫が生息していると推測しているという。
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■在来種の血統保ち続ける
そのようなオオサンショウウオを古座川の自然保護活動のシンボルにしたいと考えるのが振興団体「古座川らんど」で、清水会長から誘いを受けた田上智士さんを代表にして実行委員会を結成し約2年越しで前述した大会の実現にこぎつけた。
ダム湖上流域はオオサンショウウオが半世紀以上にわたって生息できる環境があり、遺伝子汚染による在来種の減少が課題となる生息地がある中で古座川の個体は朝来市由来の血統を保っているという研究報告が2020年にされている。
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■求められる意識改革
古座川在来ではなく移入という点で県レッドデータブック上では自然分布と扱われず、オオサンショウウオは絶滅種とされ現に古座川にいる個体には何ら保護策が講じられていない。清水会長は「種指定の特別天然記念物である以上、自然分布か否かにかかわらず保護が重要だ」と一石を投じ、この大会を契機とした古座川のオオサンショウウオに対する意識改革を今後に期した。
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ダム湖上流域にはオオサンショウウオも種を存続できるほどの環境があり、その今の状態を次の世代へバトンタッチしようと力を入れている「古座川らんど」。田上さんは生息調査の許可を取得しその活動を通して町内の子どもにオオサンショウウオと親しむ機会も広げ始めていて、大会ではその成果発表の機会も作られた。
国内の生息地の一つとして肩を並べた古座川のオオサンショウウオ。田上さんは「特別天然記念物でありながら各地で交雑により在来種が減少する中、移入種だからと純血を保っている古座川のオオサンショウウオから目を背けていていいのか」と募る思いを掲げ、この機会を通して多くの人に古座川の自然の豊かさを知ってもらい、できるだけ多くの人に現地を訪ねて確かめてもらえれば、と今後の展望を思い描いている。
(2024年1月1日付紙面より)
熊野とのゆかりと今 (那智勝浦町 )
「芸術は手仕事で成り立っている」「自分のいるところから見えるものを、自分の持つ方法で書くという態度は、変わらずにきたつもりである」など、数々の名言や名文を残している音楽評論家で随筆家の吉田秀和氏。2012年、98歳でこの世を去るまで精力的な活動を展開し続けた吉田氏の功績は大きく、熱烈なファンが多いことでも有名だ。
吉田氏は1913(大正2)年、外科医である父・秀と母・雪の5人きょうだいの末っ子として東京・日本橋に生まれる。7歳の頃、音楽好きの母の影響と浅草の映画館における演奏で音楽を楽しんでいたという。
父が北海道・小樽の病院長となったことから一家で小樽へ。吉田氏は小樽中学校に入学し、後に作家となる伊藤整氏に英語を学びながら、ピアノに触れてクラシック音楽に親しむようになる。
30年、東京に戻り成城学園高等学校に入学。日比谷公会堂で聞いたバイオリンのヨーゼフ・シゲティに感激する。東京帝国大学に進み、卒業後は帝国美術学校(現・武蔵野美術大学、多摩美術大学)のフランス語講師に。その後、海外の新聞や雑誌の翻訳に携わり、42年にはシューマンの「音楽と音楽家」を翻訳し出版した。
終戦後は文筆業に専念し46年、33歳の時に初の音楽評論となる「モーツァルト出現・成就・創造」を「音楽芸術」に執筆し掲載される。
その後は仲間たちと「子供のための音楽教室」や「二十世紀音楽研究所」などの設立、雑誌や新聞での連載、「吉田秀和全集」などの多くの著書の出版、NHK―FM放送「名曲のたのしみ」の司会などと幅広い活躍を続けた。
吉田氏は音楽評論家で指揮者の小澤征爾氏など著名な人物を育んだことでも知られている。
また、世界屈指のピアニスト・ホロビッツの来日公演を「ひびの入った骨董(こっとう)品」と評したことも有名である。
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あまり知られていないが、吉田氏は熊野地方に縁がある。吉田氏の祖父は新宮水野家の藩士で明治維新後、那智勝浦町に転居したとされる。
時を同じく、新宮市南谷にあった先祖代々の墓も同町川関にある天与寺(てんよじ)の墓地に移された。
吉田氏の愛妻、故・バルバラさんは生前に、自身が亡くなった際は吉田氏の先祖が眠る墓に埋めてほしいと願っており、死後、遺骨は吉田家の墓に埋葬されたという。
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同町の住民から「音楽評論家の吉田秀和さんの墓が川関の天与寺内の墓地にある」と町教育員会に情報が寄せられた。
代々、吉田家の墓の草刈りや管理を行っているという田原家。現在は、三重県で建築業を営み、作業場が同町川関にある田原秀直さんが引き継ぎ、管理に努めている。田原さんは、吉田氏の親族らとも交流があるという。
2022年10月31日、堀順一郎町長と田原さんが吉田家の墓を訪れた。二人は吉田氏が眠る墓前で静かに手を合わせた。
田原さんは「吉田家とは付き合いが古いと聞いている。僕が管理を始めて40年になる。今後もできる限り墓守りは続けていきたい」。
堀町長は「著名な方が勝浦に眠っていることに驚いた。町を気に入っていただけたのならとても光栄なこと。町としても今後、ご遺族と相談しながら何らかの形で顕彰などができればと考えている」と語った。
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この墓地の近くには吉田氏にとって、とても印象深い山桜が植わっていたという。姿の良い山桜は歌でも歌っているように花を咲かせ、自然と墓の下の死者たちとの間に何かが通じているのを感じたとしている。
吉田氏は、いずれは自身もこの墓地に入る、そう山桜にあいさつしたと当時の思いを朝日新聞で連載していたコラム「音楽展望」に記している。しかし、その山桜はすでになく、その事実に吉田氏も落ち込んだようだ。記者も周辺を何度も探して回ったが山桜の姿はなかった。
小高い丘の上にある吉田家の墓地。周囲の景色と海から吹く風がなぜだか、和やかな気持ちにさせてくれる。
生前に吉田氏が見つめ愛した景色。今は自身もその景色の一つとなって、先祖や妻と共に静かに眠っている。
(2024年1月1日付紙面より)