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2023年01月19日
1 100台を無償貸与
 戸別受信機希望者169人  (新宮市 )

 防災行政無線戸別受信機の配布を進めている新宮市は17日、戸別受信機無償貸与者を決定する抽選を市役所で行った。田岡実千年市長がパソコン上で抽選のボタンを押し、本年度の貸与者を決定した。

 近年、激甚化・頻発化している大規模災害に対して、防災情報を速やかに取得してもらうことを目的に実施。防災行政無線放送の「聞こえない」を少しでも解消するため、本年度は「防災行政無線システム改修事業」として約4742万円が計上。うち、約700万円が戸別受信機無償貸与に充てられる見込みとなっている。

 このたびの無償貸与の対象者は▽身体障害者手帳(1級・2級)の交付を受けている者▽療育手帳(A判定)の交付を受けている者▽精神障害者保健福祉手帳(1級)の交付を受けている者および自立支援医療費の支給認定を受けている者▽介護保険要介護3以上または要介護2で認知症がある者▽指定難病やその他、常時特別な医療などを必要とする在宅療養者―で1058人(2022年12月7日現在)。昨年末から1月13日にかけて貸与希望者を募り、169人から申し込みがあった。

 本年度の貸与予定数100台を超える申請があったため、このたびの抽選に至った。なお、本年度の抽選から外れた人は、優先的に来年度以降の抽選対象となる。希望台数に満たない場合は「固定電話がなく、かつ携帯電話を所有する人がいない世帯の世帯主」も条件に付し希望者を募っていくという。

 田岡市長は「希望者が貸与予定数よりオーバーしてしまい、抽選となって申し訳ない。外れてしまった人に対しては、来年度に対応させていただけると思っている」と話している。なお、抽選の結果は近日中に郵送で通知。戸別受信機の設置は2~3月にかけて実施していくという。

  □     □

■メール配信サービスなど利用を

 市では、気象条件などによって防災行政無線放送の内容が聞き取りにくい場合のために、メールや電話、FAXの配信サービスや、放送内容をツイッターで同時配信するサービスなどを展開している。各種サービスについての問い合わせは市防災対策課(電話0735・23・3333、内線4203)まで。

(2023年1月19日付紙面より)

田岡実千年市長(右から2人目)が抽選で無償貸与者を決定した=17日、新宮市役所
2023年01月19日
2 新年の集いで誓い新た
 新宮支部が安全祈願祭など  (県自動車整備振興会 )

 和歌山県自動車整備振興会新宮支部は17日、新宮市五新の新宮自動車整備工業協同組合で「新年の集い」を開いた。会員ら約25人が出席。業界の振興・発展を願うとともに安全を祈願した。

 同整備振興会は、自動車社会における整備事業の公共性と責務の重大性を認識し▽公平誠実な応接▽公正明朗な取引▽優秀なサービスの提供―などの信念と意識を持って、事業経営を行い顧客および社会に対する責任を果たすことを目的に1952年に設立。県内7協議会で2022年4月現在、会員数は944人となっている。

 開式に当たり、久保正彦理事長が、1月からスタートした電子車検証、24年10月から開始する自動車の電子的な検査(OBD検査)、今年10月からのインボイス制度などに言及し「整備業界も大きく変化し、ペーパーレス化やデジタル化が一層推進され、対応が求められている」とあいさつ。

 「今年はうさぎ年。飛躍の1年であるよう、会員一丸となって躍進したい。業界が目まぐるしく変化するがお体に気を付けていただき、ご活躍を」と呼びかけた。

 田岡実千年市長は「高い技術を持って地域住民が安全で快適に運転ができることにご貢献いただいている」と感謝。現在整備が進む紀伊半島一周高速道路の現状に触れ「早ければ令和10~12年ごろには実現いただけるのではと希望を持っている。車での長距離移動も増えると思う。引き続き技術を最大限に発揮していただければ」とあいさつした。

 田原正士新宮警察署長は「飲酒運転の横行、高齢者の交通事故防止対策も重要課題。交通事故のない安全なまちづくりのため、皆さまとの連携をさらに強化していきたい」と協力を求めた。

 交通講話では、嶝口知宏交通課長が管内の交通情勢や、同署の取り組みなどを説明した。

 閉会後、会員らは熊野速玉大社に移動し、1年の安全を祈願した。

(2023年1月19日付紙面より)

約25人の会員が出席した=17日、新宮市五新の新宮自動車整備工業協同組合
久保正彦理事長
2023年01月19日
3 落語と紙切り楽しむ
 本格公演を生徒が鑑賞  (熊野川中学校 )

 文化庁が行う事業として、本格的な「落語と紙切り」の公演が16日、新宮市立熊野川中学校(松本潤校長)であった。全校生徒25人が参加、プロによる演芸を楽しんだ。代表生徒6人による、紙切りの実践もあった。

 文化庁の「文化芸術による子供育成推進事業」として実施した。公演に先立ち昨年の12月14日に、ワークショップ(事前学習会)を開催。生徒らは落語や紙切りについての予備知識を得た上で、公演に臨んだ。新宮市立熊野川小学校(山本佳人校長)の3年生から6年生の23人も観覧に訪れた。

 公演ではまず、桂小南さんが、落語について説明。「話を聞いて想像し、頭に絵を描いて笑ってもらう」「1人で2人3人の役をやる」「手ぬぐいや扇子で物を表現する」などを語った。

 林家二楽さんが、紙切りを披露した。軽妙な小話で場をつなぎながら紙を切り、作品を見せた。生徒のリクエストにも即興で対応。見事な出来栄えに、児童生徒の歓声が湧いた。

 「紙切り大喜利」では、代表生徒6人がステージ上で、ワークショップの際に出されていた「山の物」の紙切りに挑戦した。「クマ」「サル」「キノコ」などを切って作り、称賛の拍手を浴びた。

 桂さんと林家さん2人の紙工劇落語「牛ほめ」もあった。桂さんの落語に合わせ、その場面を林家さんが紙切りで作り、スクリーンで映し出した。会場では大きな笑い声が響いていた。

 3年生の松本友惺(ゆうせい)さんは「本格的な落語は今まで見たことがなかった。落語を何年もやってきただけあって、面白かった。紙切りも本当にうまくてすごいと思った。良い経験になった」と述べた。

 同事業は、日本の一流の文化芸術団体に、小中学校などで公演してもらうもの。子どもらが優れた舞台芸術を鑑賞する機会を得ることにより、発想力やコミュニケーション能力の育成、将来の芸術家の育成や芸術鑑賞能力の向上につなげることを目的としている。

(2023年1月19日付紙面より)

代表生徒6人が紙切りに挑戦した=16日、新宮市立熊野川中学校
2023年01月19日
4 頂いた命を無駄にしない
 宇久井小でジビエ出前授業  (那智勝浦町 )

 和歌山県は現在、県内323校の小中学校や特別支援学校の給食に、「わかやまジビエ」(シカ肉、イノシシ肉、ジビエソーセージ)を提供している。那智勝浦町立宇久井小学校では17日、給食提供に先立って県による出前授業があり、5年生23人が学習やレザークラフトに取り組んだ。

 県畜産課の上田雅彦課長補佐は「ジビエは狩猟で手に入れた野生動物の肉を指すフランス語。昔の日本では猟師が食べるのに必要な分だけ捕っていたが、現代では野生動物による農作物の獣害が多く発生するようになった。和歌山県ではその対策で捕獲したシカやイノシシを食資源や観光に生かそうと取り組んでいる」と解説した。

 レザークラフトにはレタメロディア(有田川町)の中井謙次朗さんが協力。那智勝浦町を含む県内各地で生産されたシカ革(一部イノシシ革)を使い、児童とリス、ハリネズミ、ネコなどのキーホルダーを手作りした。

 中井さんは「革は猟師たちが命がけで捕獲した一頭一頭の動物の命を頂いてできている。以前は『いらないもの』として処分されていたが、僕たちがフランスのパリで展示会を開いた時には、『日本にしかないもの』と高く評価された。現在ごみになっているものも、視点を変えれば世界で通用するものになる。皆さんにはいろいろな文化や価値観に触れてほしい」と思いを伝えた。「革製品は長年使うと色が濃くなり、光沢が出てくる」と話すと、児童から「大切に育てる」と声が上がった。

 同校では20日(金)に、シカ肉を使ったベニスンシチューが提供される。亀井めぐさんは「ジビエは駆除した動物の肉を安く売っていると思っていたが、高級なものもあると知ってイメージが変わった。キーホルダーは、ランドセルに着ける。給食が楽しみ」と話していた。

(2023年1月19日付紙面より)

キーホルダーを作ったよ=17日、那智勝浦町立宇久井小学校
初めて加工したシカ革を見せる中井謙次朗さん
2023年01月19日
5 知らない人についていかない  全校児童対象に防犯教室  (神内小 )
2023年01月19日
6 新年最初の「あさなぎ市」  ぜんざいら振る舞いも好評  (熊野市 )
2023年01月19日
7 事前審査に現職、新人11人  町議選に向けて準備進む  (紀宝町 )
2023年01月19日
8 浸水被害の解消へ  日足宅地かさ上げ完了  (熊野川町 )
2023年01月19日
9 ど根性たちが季節を終える  アスファルトに咲く植物  (那智勝浦町 )
2023年01月19日
10 プレカットってなあに?  スギ材の「鏡餅」工作  (新宮市 )
2023年01月19日
11 群れで遡上し藻をつつく  池野山川下流域の「イナ」  (古座川町 )
2023年01月19日
12 講評交え入賞18作品発表  文化セで第4回短歌大会  (串本町 )
2023年01月19日
13 特賞~4等当選者決める  お年玉プレゼント抽選  (串本リリースタンプ会 )
2023年01月19日
14 お悔やみ情報
  
2023年01月01日
15 「見える」「魅せる」。広がる、「熊野学」
 東京大学との協定の先に  (新宮市 )

 全国には、約4800社もの熊野神社があります。―そう聞いてぴんとくる人は一体どれだけいるだろう。東京大学の大向一輝准教授は、デジタル技術を用いて全国4800社に及ぶ熊野神社のリストから住所を緯度・経度に変換。地球儀ソフトに落とし込んで「全国には、約4800社もの熊野神社があります」と可視化し日本列島にくまなく浸透する熊野信仰の広がりを目視することができると実践してみせた。

  □     □

■「熊野」とは何か



 現在、突出した資源もなく人口減少にあえぐ新宮市が、交流人口増加や地域活性化のためにPRを進める、地域に根差す歴史と文化。市は「熊野学」について「広範で深遠な熊野の歴史・文化を人文・社会・自然科学などの各分野から学際的・総合的に研究し、熊野が持つ独自性と普遍性を解明するとともに、その個性と魅力を検証していくこと」と定義しているが、歴史的・地理的分野の広さか、その奥深さ故か「熊野学」は広く一般に浸透しているとは言い難い。

 「熊野」とは何か。「熊野学」の門戸は広すぎて狭い。歴史、信仰、文学、自然、伝統行事。現在目にすることができるもの、過去の遺物、精神世界が混在する。これまでも有識者たちがそれぞれの分野で調査・研究を進め「熊野」へのアプローチを展開してきた。「解き明かす」ことは「見える」こと。不明瞭な資源の「見える化(可視化)」が、「文化」「歴史」のPRに向けたアプローチの一つであると考える。

 2021年3月。新宮市と東京大学大学院人文社会系研究科・文学部は、相互に連携協力することにより次世代人文学の構築、市・熊野地方における学術の振興と地域活性化に資することを目的に協定を締結した。

 秋山聰文学部長が熊野に興味を持つきっかけは13年9月。台風の中、熊野古道「大雲取越」を歩いた際に、「円座石(わろうだいし)」から見上げた丸い空に感動したという。以降、数回にわたり当地域で研修会やセミナーなどを実施。当地域との結び付きを深化させてきた。

 協定締結以降、東大ではフォーラムや現地(熊野)での体験プログラムなどを通して歴史文化、自然、文化行政などを研究。冒頭の大向准教授の研究発表はその一環で、それ以外にも学術的、文化的な振興に向けてさまざまな活動が展開されている。

 協定を機に、同市下本町の市文化複合施設「丹鶴ホール」2階の「熊野エリア」に「東京大学文学部熊野プロジェクト新宮分室」が設置され、分室には同大学次世代人文学開発センター助教の太田泉フロランスさんが着任。年に数回分室に在中し、市および熊野地方と同大学との橋渡し役を担っている。

 協定締結から約1年半が経過した22年10月15日。同大学で文学部シンポジウム「文学部による地域連携の試み―人文学応用連携の促進を目指して」が開催され、田岡実千年市長や速水盛康教育長も参加する中、同大学の取り組みが紹介された。

 秋山部長は「熊野はいにしえより外来者を寛容に受け入れてきており、当大学が目標の一つに定める『ダイバーシティー(多様性)とインクルージョン(包括)』を早くから実現していた土地。人文学の全分野にとって研究上のさまざまなアイデアを思いつくことができる、そういう可能性を秘めた場所である」と当地方を紹介。

 「外国人研究者や留学生を活動に積極的に巻き込むことによって、歴史、文化、伝統などが、広く知れ渡り、世界の人々の興味・関心を一層高めることができれば」と期待を込めた。

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■歴史は過去ではなく今に生きている



 「新宮市、熊野の歴史的風土は過去のものではなく、今に生きている景観。そこに目を付けたのが東京大学」。そう話すのは速水教育長だ。「熊野を見抜いている」とも。住民である私たちにとって「熊野・新宮」は、身近すぎてその本質を見極めることがやや困難となっているのではないだろうか。

 速水教育長は推測する。「異文化と多様性と景観。このことに鋭い感性を持っている。東京大学からすると熊野そのものが非日常の場であり、多様性を考えるフィールドである。そういった景観の中で、何を見抜くことができるかの実体験を学生に提供しているのだろうと思います」と。

 ヨーロッパ中世美術、特に金細工工芸研究が専門の太田さん。学生の頃、研究のためにスペインのサンティアゴ・デ・コンポステラ巡礼を行った際に、その体験を比較するために16年に初めて熊野古道を歩いた。「まさか将来、熊野に住む素晴らしい機会を得られるとは想像もしていませんでした」と振り返る。

 「実際に熊野で生活してみると、頭で思い描いていた『熊野』を上回る本質的な価値にしみじみと気が付かされました。古来よりこの地に住まう人々が見抜いてきた『熊野』の価値、さまざまな場所に神仏を見いだし折に触れ、それに感応する豊かな心、幾重にも連なる山並みや香り高い植生、峨々(がが)たる巨石、明らかに色彩の異なる水源などの豊かな自然と、それに対峙(たいじ)し共生してきた人々の祈りや思いが、決して過去のものだけではなく、現在と地続きであることを強く感じます」。

 「熊野は特別」。その理由を理解するのにはまだまだ時間が必要、としながらも「皆さんとの対話の中で、少しずつ本質的な『答え』に迫っていきたい」と前を向く。

 シンポジウムでは、協定締結に関して「独り善がりな形で押し付けるのではなく、しっかりと両者で対話を重ねて手を取り合って進めていくことで、相互の考えや希望が一致するのか、共に形にしていくことが必要では」と話していた。

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■「熊野・新宮」のブランド化



 改めて「熊野・新宮」のブランド化を進めるための必要材料について考えてみる。学術的な研究も一般に浸透しなければ意味がない。漠然と「地域活性化」といったところで、明確なビジョンがないと研究結果は一部の知識層のものになりかねない。資源も「宝の持ち腐れ」だ。

 協定締結に当たって、協定書にはかつて起請文(きしょうもん)として使われた「熊野牛王(ごおう)符(宝印)」にあやかり、熊野三山の牛王符が印刷された用紙が用いられた。連携事業の協働を熊野権現に誓った。

 同大学では今後、欧米や国内諸地域との連携拡大を軸とした熊野フォーラムの開催や、新宮市の中高生との交流、東大生の新宮市へのホームステイ、社寺や史跡のマッピングなどを企画し、協定のさらなる深化を目指している。

 「熊野学」の「見える化」に向けて取り組みが進む中、「熊野・新宮」に住む私たちの役割とは―。「土地に魅せられる」一番の権利を有するのは私たちに他ならない。幸運にも、同大学との協定により「知」を享受する機会を得た。「知」は活用の資材になり得るのか。それをブラッシュアップするのは、熊野の地に抱かれた私たちの使命だ。

 かつて秋山部長が見た熊野の空。大向准教授が見せた熊野信仰の広がり。そして太田さんが見つめる熊野の未来。私たちが知っているようで知らない「熊野・新宮」が、まだまだ存在する。

 漠然としたフィールドから「見える」熊野・新宮へ。新宮市と東京大学の取り組みが、いつか世界中の人々を「魅せる」舞台へ導くことを願ってやまない。

(2023年1月1日付紙面より)

全国に広がる4800社の熊野神社
秋山聰文学部長(左)と太田泉フロランスさん
市文化複合施設「丹鶴ホール」2階熊野学研究室に設けられた「熊野プロジェクト新宮分室」
2023年01月01日
16 ロケット「カイロス」初号機の打ち上げ目前!
 見物関係情報を振り返る  

 ロケット「カイロス」初号機の打ち上げを今年2月末ごろに再設定。スペースワン株式会社が昨年10月、スペースポート紀伊周辺地域協議会への報告をもって公表した。依然努力目標の域だが、地元は実現を有望視し大きな期待を寄せている。打ち上げに向け、地元で共有されている見物関係情報(2022年12月1日時点)を振り返る。

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■スペースポート紀伊とロケット「カイロス」



 スペースポート紀伊は串本町田原~那智勝浦町浦神にある国内初の民間ロケット射場で、運営者はスペースワン株式会社。打ち上げるロケット「カイロス(KAIROS)」は全長約18㍍、重量約23㌧。3段式のロケットモーター(固体燃料)と軌道調整用液体エンジンを駆使して高度500㌔に達し、先端のフェアリング内に積載した人工衛星を軌道投入する。その時点での到達速度は秒速約8㌔。投入先が太陽同期軌道(通称・SSO)の場合は、重量150㌔の打ち上げ能力を発揮する。

 将来的に年間20回の打ち上げ頻度を想定し、契約から打ち上げまで世界最短時間の宇宙輸送サービス実現を目指している。ロケットの名前はギリシャ神話に登場する時間神にあやかっていて、同社は「ii-based dvanced&nstant ROcket ystem」の略称としている。

 以上が串本町の町民や両町の小中学生向けワークショップ(WS)で紹介されている、ロケット「カイロス」の基本情報。付帯して各地の射場やロケットと飛ぶ仕組み、人工衛星の役割や打ち上げに対して地域ができることなども解説し、これら一連の情報を基盤にして機運醸成が図られている。

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■浦神半島を望める場所が良好な見学の目安



 補足すると、ロケット「カイロス」が飛ぶ方角はおおむね東~南南東の間。序盤は直上へ上昇し徐々にこの方角の範囲へ傾く航跡を描く。打ち上げ時は射点から半径1㌔圏内への立ち入りができないため、その外周から見学する形となる。

 初号機については串本町田原の田原海水浴場と那智勝浦町浦神の旧浦神小学校に設けられる入場チケット(有料)制の公式見学場〈パーク&ライド方式〉が至近。チケットの入手方法は「ロケット『カイロス』初号機打ち上げ応援サイト」(アドレスhttps://wakayama-rocket.com)を通して事前登録者にメール送信される。打ち上げ情報も発表間もなくメール送信されるため事前登録だけしておくのも便利だ。

 串本町はおととしのイベント「宇宙ウイーク」の一環で射点付近から打ち上げ方向へ向けサーチライトを照射し、視認可能な範囲をおおむね把握。遠近差は伴うが、浦神半島を望める場所であれば良好に見学できることを確認している。初号機打ち上げ前後に国道42号那智勝浦町浦神―串本町津荷間〈予定〉で見物に伴う支障回避のため交通規制が敷かれる見込み。この区間を避けて見学場所を決めると、多少の混雑はあっても難は少なくで済む。那智勝浦町側から眺めると徐々に離れる航跡となるため、射点の近場で見届けることをお勧めしたい。

(2023年1月1日付紙面より)

橋杭岩付近から眺めるロケット「カイロス」打ち上げのイメージ図〈CG〉(串本町提供)
打ち上げ事業を展開するスペースワン株式会社の総合司令棟など
実物大ロケット「カイロス」懸垂幕
射点付近からのサーチライト照射の様子。浦神半島を良好に望めることが見物場所の目安となる
2023年01月01日
17 地域住民が気軽に集える場に
 複合センターリニューアル中  (古座川町 )

 地域住民が気軽に集える場に―という思いをもって古座川町が本年度、下部区内にある複合センターの改修を進めている。イメージするのは社会福祉協議会が事業展開する巡回型サロン「ふれ愛カフェ・よりみち」の常設化。今年4月の実現を目指して目下、リニューアル工事が進んでいる。

 同センターは、山村で暮らす町民の生活改善と心身向上を図り高齢者対策も含めて豊かで明るい社会を実現するための拠点施設として1979年に設置。名称に含まれる「複合」は今でいう多目的に相当し▽生活改善講習▽一般教養講習▽結婚式場▽災害時避難▽各種団体等の集会所―といった用途が管理規定で定められている。

 建物は鉄骨構造2階建てで、1階に管理室・調理室・談話室・実技訓練室など、2階に娯楽室2室と大会議室がある。後に耐震化され現在の建築基準法にも適合する堅固さを備えたが、南海トラフ巨大地震に伴う津波浸水に対しては脆弱とされ2020年、最寄りに津波避難総合センターが新たに設置された。

 その1階部分が集会所として平時利用できることで、複合センターがこれまで果たしてきた役割は自然移行。今後の活用策を模索する中で浮上したのが町民に好評を得ている同サロンの常設化で、同町は必要な環境を整えるべく本年度一般会計で改修予算を当初計上し議会の承認を得て動き出した。

 担当課の町健康福祉課によると、同サロンを運営する社協見守り員のノウハウも踏まえて設計をし昨年10月に着工。改修の対象は1階部分で▽既存の段差を極力解消するなどしてバリアフリー化▽構造上取り除ける壁を外して開放的な居場所を確保▽土足で利用できるよう床を外す―などの構造変更をする。今年2月末に工事が完了し所要の準備を経て4月1日付でリニューアルオープンする予定だが、同課は昨今の社会情勢の影響で工期延長の可能性があり、若干のずれ込みを含み置いてほしいという。

 改修後の環境を社協見守り員の拠点とすることで常設型を形にし、従来の巡回型も職員連携により継続するという。社協見守り員の中核・久保由美子さんは「立ち寄れば必ず誰かがいるのがふれ愛カフェ・よりみち。常設型は町の端にできるが近くにオークワ古座川店があるので、日頃の買い出しの延長で気楽に立ち寄ってもらえれば」と利用の筋道を思い描いて常設型の準備を進めている。

 地域包括支援センターもこの環境を新たな相談窓口として捉え、定期的に職員が赴いて町民のニーズに対応するという。高齢化率に呼応して高齢者層の利用が主体になっている同サロンだが、地域の全世代が集い交流するのが本来の趣旨。常設型もその趣旨を受け継ぐとし、他の世代も立ち寄るようになり必要が生じれば2階部分の改修も検討するという。

 最後に町民の多くが感じるであろう疑問点として、広範な町域全体からどのように町端の常設型を利用してもらうのか。目下悩みの種となっていて今後、課枠や自治体枠を超え地域全体で良策を導き出すことが必要となりそうだ。

(2023年1月1日付紙面より)

地域住民が気軽に集える交流の場として改修中の古座川町複合センター

社協の巡回型サロン「ふれ愛カフェ・よりみち」の様子。この状況の常設をイメージして改修を進めている
2023年01月01日
18 父から子へ、子から母校へ。
 校歌の原曲を北大へ寄贈  (那智勝浦町 )

 「ある時父が、この曲は北大の校歌じゃないかと聞いてきた。それは父が趣味で集めていたSP盤レコードでした」―。

 そう話すのは那智勝浦町浦神在住の脇地式三さん(78)だ。和歌山県立新宮高校を経て、1965年に北海道大学に進学した脇地さん。父が所有していたのは「Victor製No.35844」というレコードだった。在学中のさまざまな思い出はあっても、母校には校歌がなかったのではと振り返る。

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■北海道大学について

 北海道大学の起源は1876(明治9)年に設立された札幌農学校にまでさかのぼる。「Boys,be ambitious(少年よ、大志を抱け)」で有名なマサチューセッツ農科大学長であったウィリアム・スミス・クラーク博士が、新設された同校に教頭として招かれ、学校の基礎づくりに大きな役割を果たした。

 1907(明治40)年に、東北帝国大学が設置されたことで、同校は東北帝国大学農科大学となった。その後は、18(大正7)年に北海道帝国大学設置に伴い、北海道帝国大学農科大学となり、47(昭和22)年には北海道大学に、2004(平成16)年に国立大学法人北海道大学となった。北大では教育研究に関わる基本理念として「フロンティア精神」「国際性の涵養(かんよう)」「全人教育」および「実学の重視」を掲げている。

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■校歌がない

 「多くの趣味を持っていた父が、東京の大学に通っていた頃に購入したものだと思う」と前述のレコードについて脇地さんは語る。

 北大といえば、学生寮「恵迪寮(けいてきりょう)」の寮歌「都ぞ弥生」が最も有名ではないだろうか。

 北大に関する歴史的な公文書や各種資料を収集・整理・保存し、調査研究などを行う同大学文書館に確認したところ、正式な校歌はないとの回答が返ってきた。

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■父のレコード

 ある時ふと、父のつぶやいた言葉「この曲は北大の校歌じゃないか」が脳裏に浮かんだ。父が言う曲は前述のレコードB面の「War Song(Tramp Tramp Tramp)」だった。脇地さんはすぐさま、大阪府北区の北大関西同窓会館を訪ねた。

 校歌について会員に問い合わせたところ、「北大にはないが、前身である札幌農学校にあったはず」との返答が。「校歌 永遠(とこしえ)の幸」の楽譜をコピーし、脇地さんに手渡した。

 もしやと父の言葉がよぎる。「永遠の幸」と父のレコードは同じ曲なのではないか。真相を知りたい一心で脇地さんは自宅に戻り、レコードを持って、再び同窓会館へと向かった。

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■父から子へ、子から母校へ

 持参したレコードを同窓会で確認したところ、「永遠の幸」の原曲であることが判明。文書館によると1901年、札幌農学校創立25年記念を迎えた際に作られた写真帳に「永遠の幸」が校歌として紹介されているという。

 「永遠の幸」は当時、同校に在学していた本科4年級の有島武郎氏(後に小説家として活躍)が原曲「Tramp Tramp Tramp」に「イザ イザ イザ うちつれて進むは今ぞ 豊平(とよひら)の川尽せぬながれ 友たれ永(なが)く友たれ」などと歌詞を付けたものだ。原曲の音源自体は文書館も所有していなかった。

 脇地さんは「寄贈についてはしばらく考えた。しかし、所有者の父も亡くなった。兄も北大出身なので母校には世話になっている」。

 そんな思いから、父が大切に所蔵していたレコードは時を経て、母校(文書館)へと寄贈された。

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■文書館では

 昨年6月23日、文書館がレコードを受領。その翌月7日、脇地さんと同窓会宛てに「資料受領書」が届く。担当した特定専門職の山本美穂子さんから感謝の手紙も同封されていた。

 山本さんに連絡を取ったところ、北大の入学式などの際には、学校にまつわる「永遠の幸」か「都ぞ弥生」などが流されるという。山本さんは「関係者の中では『永遠の幸』の原曲が『Tramp Tramp Tramp』であるということは知られていた。しかし、貴重なものを寄贈いただきありがたい。どのような方がお持ちであったかということも重要だと思う。レコードはデジタル化して閲覧室で聞くことができます」と話していた。

 レコードは現在、北大の軌跡が詰まった文書館に保管され、同校が紡いできた歴史の一部となった。今後は文書館1階の展示ホールにて、デジタル音源を自由に聞くことができるような機会を設けたいとしている。

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■イザ イザ イザ

 原曲「Tramp Tramp Tramp」は、ジョージ・フレデリック・ルートが1864年にリリースしたもので軍歌・行進曲だ。アメリカの南北戦争時代、人気曲の一つに数えられている。

 脇地さんは「クラークさんの影響で、この曲が農学校の校歌になったのではないだろうか。北大の資料になってうれしい」と語る。

 「♪Tramp Tramp Tramp♪」。昨年11月末の午後、那智勝浦町内の喫茶店内に勇ましいアナログ音源が流れた。脇地さんが原曲のレコードをカセットテープに録音したものだった。

 巻き戻し、再生という作業を何度か繰り返し「僕の手元にはこの音源しかない。でもね、これでじゅうぶんです」と脇地さんは笑顔で語った。

 父から子へ、子から母校へと渡ったレコードは、さまざまな思いや歴史を音楽に乗せて、クラーク氏の教えを受け継ぐ学生(子)たちへと伝わり、語り継がれていくのではないだろうか。

 「イザ イザ イザ」―。活気ある校歌の歌詞を目で追いながら原曲に耳を傾けてみる。力強い行進曲は、店内だけでなく、記者の心にも大きく響いていた。

(2023年1月1日付紙面より)

脇地式三さんが寄贈した「永久の幸」の原曲レコード(【SPレコードVictor製、No35844,1927年】北海道大学文書館所蔵)
北海道大学文書館から届いた受領書や手紙
脇地式三さん
唯一残る音源を楽しんでいるという
2023年01月01日
19 移民の子・石垣栄太郎
 足跡の一部をたどる  (太地町 )

 「少年栄太郎は命をかけた人間と鯨の格闘を見て育った」―。捕鯨の町・太地で生まれ、渡米して画家になった石垣栄太郎(1893~1958年)。1920~40年代にわたりアメリカ画壇で活躍したが、画家になるために渡米したわけではなかった。「移民の子」として、歩んだ日々や多くの人々との出会いの中で道を切り開いていった栄太郎の足跡を追ってみたい。

  □     □

■渡米、そして転機



 冒頭の一文は栄太郎の妻で評論家の綾子氏の著書「海を渡った愛の画家 石垣栄太郎の生涯」に記されていたものだ。

 海外への出稼ぎが多かった当時の太地。「村の悪童」とも呼ばれた栄太郎が、小学校に入学すると同時に船大工であった父・政次が渡米。数年後、父に呼び寄せられた栄太郎は、新宮中学校を退学し渡米した。

 父と共にソーミルを経て、カリフォルニア州ベーカーズフィールドに行き落ち着く。働きながら、夜は英語を学んだ。

 聖書や社会主義関係の書物を読みあさるようになった栄太郎は父と離れ、サンフランシスコに移り住む。夜学に通い、スクールボーイや掃除人などの仕事に就く。

 ある時、転機が訪れる。英詩人・菅野衣川とその妻で後に恋仲となった彫刻家のガートルド・ボイルと出会う。ボイルの紹介でウイリアム・ベスト美術学校に通うことに。その後はカリフォルニア州立大学美術学校で本格的に美術を学んだ。

 父は「金が貯(た)まったら帰って金物屋をしよう」と語り、叔母は美術学校を望んだことに猛反対した。しかし、栄太郎はわが道を進んだ。心には故郷や家族を思いながら。

  □     □

■移民の子



 「移民県」の一つ・和歌山県では、多くの人々が海を渡った歴史がある。その一人である栄太郎は自らを「移民の子」だと述べている。

 太地町歴史資料室学芸員でニューベッドフォード捕鯨博物館顧問学芸員の櫻井敬人さんは「移民であると同時に子どものため、半人前扱いされる。移民は多くの権利から遠ざけられる上に、子どもの彼はさらに苦労が伴ったのでは」と話す。

 在米生活の中で、日本の社会主義者の先駆者である片山潜とも出会っている。栄太郎自身も社会主義研究会に参加し、片山との交流も続いた。

 櫻井さんは「栄太郎は社会不正義に虐げられた人に目が向いた。社会の不正義を正すためには自身に何ができるかを考え続けた人だと思う」。

 さまざまな政治運動に身を置き、重要人物とも触れ合っていたことを挙げ「彼は絵を描くことで世の中に貢献しようとした。そのスタイルを最後まで貫いた」と語った。

  □     □

■ボーナスマーチ



 1929年から始まった世界恐慌で、民衆は苦しい生活を余儀なくされていた。そんな中、第1次世界大戦に従軍した兵士に約束された恩給が支払われないことからデモが発生。この時、差別の垣根は取り払われ、黒人と白人が同じ目的に向かい手を取り合ったとされる。

 和歌山県立近代美術館教育普及課長の奥村一郎さんによると、栄太郎は彼らを取材し「ボーナスマーチ」を描いたという。32年の作品で、黒人が傷ついた白人をたくましい腕で抱きかかえ、前方を見据えている力強い絵だ。現在、県立近代美術館に所蔵されている。

 その作品は2020年、米ニューヨークにあるホイットニー美術館であった壁画運動を取り入れた大規模な特別展で展示された。日本人画家では栄太郎のみだった。

 奥村さんは「石垣は差別や怒り、社会問題を描いてきた。戦後、国外追放され帰国した。日本では知られておらず、アメリカで描いた絵も生前は発表されなかった。綾子さんの努力もあって、各地に作品が所蔵された。そうして彼の評価は高まっていった」と話す。

 特別展の際に作品解説をしたカリフォルニア大学マーセド校の美術史教授・シープー・ワン(王士圃)さんは栄太郎について「真面目なアーティストで、自分の信念を持って描いている。絵の技術力も高く、自分のスタイルを持った作家」。

 特別展については「彼の存在は知られていなかったが、作品を熱心に見ている人も多かった。彼を知り、喜んでいる人もいた。太地から出ていくことが冒険。コミュニティーを移り続けたことも開拓的なことだったのでは」と評した。

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■石垣記念館設立



 1958年1月―。「あ、綾子、そばにいてくれるのか、うれしいねえ」。この言葉を最後に移民の子はこの世を去ったという。村の悪童と呼ばれた男は故郷の両親の墓の隣で眠りについた。

 91年6月、「鯨の町の小さな美術館」として、栄太郎と綾子氏の活動を顕彰する財団法人石垣記念館が開館した。

 理事長は綾子氏が務め、館内には栄太郎の遺作や遺品、綾子氏の著作などが永久保存・保管されている。開館後はさまざまな展示が催され、多くの人々でにぎわう。

 96年、綾子氏がこの世を去り、2002年に財団法人石垣記念館の残余財産と土地・建物、設立理念を継承して町立として運営がスタートした。

 21年には開館30周年を迎え、記念企画展や記念講演が開かれた。そして今年、栄太郎が生誕130周年、綾子氏が生誕120周年を迎える。

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■たどった足跡は一部



 21年6月に実施された生涯学習講座「移民の子~石垣政次と栄太郎の渡米後の足跡~」で講師の櫻井さんは「現代の人々が移民は自分と関係することとして捉えるような時代になってきた。栄太郎が移民の子であったことを掘り下げることで見えてくるものがある。さまざまな評価が存在するはず」と締めくくった。

 記念館の業務や移民に関する事業に取り組む町教育委員会の宇佐川彰男教育長は「画家になった栄太郎は珍しい移民の形。移民が多い町にとって、石垣夫妻の存在はありがたい」と語った。

 この記事で栄太郎について紹介できたのは、彼の人生のほんの一部に過ぎない。深く掘り下げるには、夫妻の思いや時間、記憶が詰まった石垣記念館に一度、足を運んでいただけたら幸いだ。

 移民の子・栄太郎は現在、故郷の大地に眠っている。その足跡や作品は現在も顕彰され、次世代へと託されるであろう。彼を育んだ太地の青い海の波紋のように、人々に伝播(でんぱ)し続けるはずだ。

(2023年1月1日付紙面より)

石垣栄太郎(右)と父政次(石垣記念館提供)
ボーナスマーチ(和歌山県立近代美術館所蔵)
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