ニュースアーカイブ|ARCHIVES
アーカイブ検索で表示されるグレーのリンクのない記事については、熊野新聞紙面をご覧ください。
ご購読のお申し込み
過去2年分の熊野新聞は、
SHIMBUN ONLiNE
でご購読頂けます。
新聞オンライン(電子新聞)
カレンダー検索:40件の記事がありました
【検索ステータス】 
2019年01月20日
1 円滑な情報伝達を
 211カ所で孤立集落通信訓練  (和歌山県 )

 大規模な災害発生時に円滑な情報共有を行うための通信訓練が19日、和歌山県内で孤立の可能性のある211集落であった。住民らが無線などを使用して各市町村と連絡を取り合い、状況の報告と確認をした。併せて県と市町村の伝達訓練を行い、防災相互通信用無線機や防災電話を使用して情報を共有した。

 訓練は、午前9時ごろ、県南方沖でマグニチュード8・7の地震が発生したと想定。県内では震度5強~7の揺れを観測し、地滑りなどの土砂災害が多発。各地では道路がふさがり、各地で孤立集落が発生しているという状況を想定した。

 孤立可能性集落のない和歌山市と御坊市を除く28の市町村が参加。当日参加できない集落は別日程で訓練を実施する市町村もあった。総参加人員は1174人ほど。新宮・東牟婁地方では、新宮市、那智勝浦町、太地町、串本町、古座川町、北山村が参加した。

 集落と市町村間では無線などを使用して情報を共有し、孤立状況を県の防災情報システムに登録。振興局が報告を受けて内容確認を行い、県危機管理局に報告するなどした。

 東牟婁振興局で訓練に当たった職員らは「今回の訓練を機に、県や市町村関係者が通信方法を確認し、実際に災害が発生した際にはスムーズに操作ができるようになり、円滑な情報伝達ができれば」と話していた。

(2019年1月20日付紙面より)

各市町村からの報告を受ける県職員ら=19日、新宮市緑ヶ丘の東牟婁振興局
2019年01月20日
2 鬼面札や祝升作り
 那智山で節分の準備進む  (那智勝浦町 )

 2月3日(日)の節分を前に、那智勝浦町の熊野那智大社(男成洋三宮司)と那智山青岸渡寺(髙木亮享住職)では「鬼面札」や「祝升(いわいます)」などの準備が急ピッチで進んでいる。

■熊野那智大社



 熊野那智大社では災難よけのお札「鬼面札」と縁起の良い「福升」を作っている。鬼面札は縦35㌢、横45㌢。しめ縄の輪の中に赤鬼・青鬼を封じ込めた図柄で、昭和44年に篠原四郎元宮司が描き、翌45年から授与している。神職が那智の滝の水で溶いた墨を版木に付け、一枚一枚丁寧に刷っている。2000枚仕上げる。

 福升はモミの木製の5合升で1升の半分であることから「繁盛(半升)升」ともいわれる。鬼面札は1枚500円。福升は1500円。2月3日の節分祭で祈とう者らに授与する。20日(日)から社頭で一般参拝者にも授与する。

 郵便やFAX、インターネットでも受け付けている。問い合わせは同大社(電話0735・55・0321)まで。

  □     □

■那智山青岸渡寺



 西国三十三所第一番札所の那智山青岸渡寺では「節分会豆まき会式」で使われる祝升の準備に追われている。祝升は熊野地方産のスギが底板に、側面にはヒノキが使われている。「那智山」の焼き印があり、升の内側には「七難即滅七福即生」の印が押され、髙木亮英副住職らが「平成三十一年」の文字を書き入れ仕上げている。1300個用意する。

 祝升は節分当日、本堂で豆まきをする厄年の人や祈とう希望者に授与する。祈とう料は4000円で、祝升に札、縁起物、弁当などが付く。

 問い合わせは同寺(電話0735・55・0404)まで。

(2019年1月20日付紙面より)

鬼面札を丁寧に一枚一枚刷り上げる神職=18日、熊野那智大社
平成最後の年「三十一」を書き入れる髙木亮英副住職(右)=18日、那智山青岸渡寺
2019年01月20日
3 日本ジオパークに再認定
 橋杭岩前で関係者ら歓喜  (南紀熊野ジオパーク )

 南紀熊野ジオパークが18日、日本ジオパークとして再認定された。串本町くじ野川にある橋杭岩前では、関係者が結果を喜び記念撮影に臨むなどして、次の4年間に弾みをつけた。

 日本ジオパークはその趣旨(秀でた地質資源の活用による地域活性化)を高い水準で保つため、4年ごとに現地審査を行い再認定を受ける仕組みになっている。南紀熊野ジオパークは平成26年8月に初認定され、4年が経過したことから昨年11月に審査員3人による現地調査を受け、その結果を待つさなかにあった。

 この日は日本ジオパーク委員会の第36回会合があり、南紀熊野ジオパークの再認定を決定。橋杭岩前には同パーク推進協議会副会長でもある田嶋勝正町長や同パークガイドの会の上野一夫会長ら関係者が集まって同協議会事務局からの結果報告を待ち、連絡を受けた田嶋町長から再認定された旨が伝えられると喜びの歓声が上がった。

 田嶋町長は「多くの方々の尽力があっての再認定。今年7月には南紀熊野ジオパークセンターが完成し、今まで以上にこの地方の素晴らしいところを皆さんにお披露目できると思う。われわれが今一番望んでいる世界ジオパークにまた一歩近づいたとも思うので、またみんなで力を合わせて頑張っていこう」と述べて一同の士気を鼓舞。バンド「GEONG(じおんぐ)」による楽曲「橋杭岩ジオサイト」の演奏に合わせて踊り、立ち会った東川智昭東牟婁振興局長の発声で同町の長期保存水「なんたん水」による乾杯をした後、橋杭岩をバックにして記念撮影に臨むなどした。

 実働の最前線で活躍するジオガイドを束ねる上野会長(70)は「ジオガイド単体での活動はまだまだこれからだが、すでに浸透している世界遺産熊野古道などさまざまなガイドをする中で地質資源も話題にできるようになるなど、認定後の4年間でこの地方の楽しみの幅が随分と広がった」とこれまでの4年余りを振り返り、「同センターができれば、ジオガイドも毎日2人が常駐して館内説明をする。プラスアルファで日曜日などにお客を集め、潮岬を巡るミニツアーなどもできればいいなと思う。これからの4年間でガイドの会はさらに発展すると思うし、再認定を励みにしてそうなれるよう頑張っていきたい」と意気込みを新たにした。

(2019年1月20日付紙面より)

南紀熊野ジオパークの日本ジオパーク再認定を喜び記念撮影する関係者ら=18日、串本町くじ野川
日本ジオパーク委員会の審査結果を伝える田嶋勝正町長(左から2人目)
2019年01月20日
4 「月参り巡礼」始まる
 青岸渡寺で御朱印授与など  (那智勝浦町 )

 西国三十三所草創1300年記念事業で、毎月1回1札所で特別な御朱印を頂く「月参り巡礼」が18日、那智勝浦町の第一番札所・那智山青岸渡寺(髙木亮享住職)で始まった。特別な御朱印の授与があり、大勢の参拝者らが集まった。

 日本最古の巡礼33寺院でつくる西国三十三所札所会(会長・鷲尾遍隆石山寺座主)が主催し、2016年から20年まで斎行する。16年4月に始まった1巡目は18年12月に第三十三番札所の華厳寺で終了し、今年から2巡目に入る。

 西国三十三所巡礼は718(養老2)年に大和国長谷寺の開山徳道上人が閻魔(えんま)大王のお告げを受けて観音信仰を勧めたのが始まりとされている。

 この日は、ご本尊の「如意輪観世音菩薩」を開帳し、特別法要が営まれた。参列者は順に、秘仏の尊顔を拝し手を合わせた。大阪府堺市から参拝に訪れた佐藤純子さんは「毎月1回、観音様のご縁を頂いています」と話し、他の参拝客らの「また来月会いましょう」などと声を掛け合う姿が見られた。

(2019年1月20日付紙面より)

法要に集まった大勢の参列者=18日、那智勝浦町の那智山青岸渡寺
特別な御朱印を求め、行列を作る参拝者ら
2019年01月20日
5 お弓神事で春を呼ぶ  市野々と井関で例大祭  (那智勝浦町 )
2019年01月20日
6 片谷匡さんが受賞  和歌山県農林水産業賞  
2019年01月20日
7 インフル警報基準超え  予防、拡大防止を呼び掛け  (和歌山県 )
2019年01月20日
8 児童37人が受験  近大新宮中で前期試験  (新宮市 )
2019年01月20日
9 フルハーネス型の使用を  政令改正に伴い特別教育  (南紀くろしお商工会 )
2019年01月20日
10 五穀豊穣など祈願  浅里神社で例大祭  (紀宝町 )
2019年01月20日
11 知らぬ間の餌付けをしない  総合的な獣害対策講座  (鵜殿図書館 )
2019年01月20日
12 ネット上の会話考える  矢渕中でLINE講座  (紀宝町 )
2019年01月20日
13 なれずしの仕込み作業  岡前和榮さんら地区住民が  (紀宝町浅里 )
2019年01月20日
14 チームで力を合わせる  光洋地区交流綱引き大会  (新宮市 )
2019年01月20日
15 新たな魅力発信へ  流木オブジェ制作者受け付け  (ブルービーチ那智 )
2019年01月20日
16 お悔やみ情報
  
2019年01月01日
17 水野家入部400年と新宮城
 「歴史の故郷」から「心の故郷」へ  (モニカ・水野・ベロイターさん )

 2019年は新宮領主として紀州徳川家を補佐した水野家の入部400年を迎える。新宮市では11月に記念行事などを企画しており祝賀ムードが高まる中、紀州藩新宮領主水野家の子孫であるモニカ・水野・ベロイターさんにインタビューし、「新宮」と「水野家」について、自身のルーツへの思いを語っていただいた。

 また、昨年11月には新宮城の復元を目指す資料収集懸賞事業が始まり、城郭再建に向けた動きも活発になっている。

 新宮城は関ケ原の戦いで戦功をたてた浅野幸長の一族の家老・忠吉が1601年に着工した。一国一城令で廃城になるも、幕府の許しを得て水野重仲(しげなか)が築城を継続。33年、2代目・重良(しげよし)の時代に完成した。改修は続き、今の新宮城になったのは3代目・重上(しげたか)の69年。1873年の廃城令で取り壊された。2003年に国史跡に指定。17年には「続日本100名城」に選ばれた。

 新宮城に詳しい日本城郭史学会和歌山支部長の水島大二さんから引き継ぎ、田辺市の小学生のふるさと学習で講師を務める小渕伸二さん(新宮城復元対策委員)に特徴や見どころを教わった。

  □     □

新宮市との関わり



 幼い頃に祖父母から先祖はお城に住んでいたという話を聞きましたが、どこかおとぎ話のような感覚。成人し、独日交流に携わる中で自分のルーツに興味を抱きました。

 新宮は複数の世界遺産に囲まれ、豊かな自然の恵みに育まれた「伝統のまち」という印象が強く、さまざまな文化的影響が分かる、神秘的で魅力的なところ。2010年に息子と新宮を訪れて以来、さまざまな出会いがあり、励みになる言葉を頂きました。

 新宮市の歓迎会で「お帰りなさい」と声を掛けていただいたことは感動でした。また、城に関わっていた子孫の方が、その歴史をご存じでその場に見えられていたことが印象的でした。

 関係者から頂いた「あなたにはあなたにしかできないことがある。ぜひそのことを考えてください」という言葉を受け、私は自分のルーツを再確認し、新宮との交流に関しても、ドイツと日本、言葉と文化の違いを超えて懸け橋になれればと思いました。多くの人に新宮の自然と伝統を知ってもらいたい。水野家入部400年祭に関しても公益法人独日フォーラム・エルベとの協力プロジェクトを推進中で、これをきっかけに国内、国外の交流もさらに広まれば。関係者の皆様のご尽力に心より感謝するとともに、今後の展開に期待が寄せられます。

 これまで「歴史の故郷」と紹介していた新宮は、2010年の来新をきっかけに始まった体験と、人と人との結び付きから今や「心の故郷」になりつつあります。

  □     □

墓所と城跡の重み



 末裔(まつえい)として墓所と城を見たいという思いが達成できたことは感激でした。緑豊かな歴代墓所の高台に一歩一歩足を運ぶほどにご先祖様のありし日が想われ、歴史の尊さを感じました。皆さんに大切に守ってきていただいた郷土の歴史を感じるひとときに、自然と手が合わされました。

 新宮城は立地が良く、城郭が残っていればどんなに素晴らしかっただろうとうかがわせられます。歴史・文化遺産は年を重ねれば重ねるほど貴重なもの。お城の復元事業は実現すれば素晴らしい。国外で新宮城に関する資料が得られる可能性もあるとのこと、海外に向けた取り組みにも役に立てればうれしい。

  □     □

◆モニカ・水野・ベロイターさんプロフィル

 新宮水野家14代水野誠氏の娘、慈子(やすこ)さんとドイツ人の父との間に、東京都で生まれた。12歳でドイツに移り住み、現在はハンブルクにて公益法人独日フォーラム・エルベを立ち上げ、独日交流に力を注いでいる

  □     □

■新宮城

 平安時代には源頼朝と義経の叔母、丹鶴姫が住み、戦国時代には豪族の堀内氏が築城する計画があったという場所に立つ。「北山一揆などから、藩主の力を見せ『こんな城は攻められない』と思わせられるような立派な城を築く必要があった」と小渕さん。城の中には舟入(船着き場)があり、海の物流の重要な拠点の役割も果たした。

 主な見どころは▽総石垣▽水ノ手曲輪(みずのてくるわ)▽出丸。

 石垣にはあらかじめ成形した石材を積み上げる「切り込み接ぎ」の中でも「亀甲積み」や「算木積み」という高度な方法を用いている。技術を持った職人をアピールし力を誇示することにつながった。石垣の上には白壁が巡らされていたとも。石垣の美しさは今も見る人が感嘆するほどだ。

 また、水ノ手曲輪には舟入がある。城中核の舟入を守るように囲んでいるのは「倭城(わじょう)」と呼ばれ、日本では非常に珍しい。秀吉の朝鮮出兵に随行した浅野氏が技術を持ち帰り築城したともいわれている。洪水などの被害に備えた石垣造りの港が築かれ、炭納屋があった。

 独立した出丸は橋で本丸とつながっていた。水ノ手、新宮津、熊野川のそれぞれの様子を見ることができる位置にあった。天守台からの眺めから「沖見城」とも。「沖からも城が美しく見られたでしょう」と小渕さん。

 「心のふるさと、シンボルとして見る人や復元を夢見る人もいる。多くの市民が『心のよりどころ』と言うのを聞きました。僕にとっても幼い頃から親しんできた愛着のある場所で、国指定史跡、続日本100名城に選ばれたことはうれしい限り」と話す。

 「来年の初夢には復元された新宮城天守閣が見たい。資料の発見や調査で正夢になってほしいです。丹鶴山に威厳を持った美しい城郭の復元を心待ちにしています」とほほ笑んだ。

  □     □

■水野家

 新宮領3万5000石を領したが、熊野の木材、木炭などを支配しその実力は10万石以上であったといわれている。初代の水野重仲は徳川家康の母方のいとこ。1606年に家康の十男、頼宣(よりのぶ)の後見となる。16年に「附家老(つけがろう)」として家臣となり、19年に頼宣が紀州藩に移ったことから同じく新宮に入った。

 9代目城主、水野家10代忠央(ただなか)は優れて賢く、35年に4人の兄を差し置いて家督を継いだ。熊野材や備長炭、和紙や瓦の製造などで領内の経済力を高めた。幕政にも深く関わり、彦根藩主・井伊直弼(いい・なおすけ)や大奥と手を結んで第14代将軍・家茂(いえもち)を擁立することに成功した。

 進歩的かつ開明的な思想の持ち主で、外国の原書を多く翻訳させた。いち早く洋式軍隊を編成し、騎馬調練の「丹鶴流」は江戸に広く宣伝された。洋式船「丹鶴丸」の製造、北海道開拓や小笠原での捕鯨などさまざまな試みをした。

 江戸新宮藩邸に「育栄館」、赤坂邸に紀州藩校「文武館」を設けた他、徳川時代の三大名著の一つといわれる『丹鶴叢書(そうしょ)』を編さんするなど多方面で活躍した。直弼が暗殺されるとともに失脚。家督を嫡男・忠幹(ただもと)に譲り、新宮で隠居生活を送った。忠央や多くの家臣が新宮に滞在したことで江戸風の文化を新宮に伝えることになった。(新宮市協力)

(2019年1月1日付紙面より)

新宮城跡
モニカ・水野・ベロイターさん
独立した出丸
2019年01月01日
18 仏画に見る動物たち
 十二支から神獣まで  

 仏画の中の動物をはじめ、眷属(けんぞく)神の十二神将に施された干支(えと)の動物(写真①)、仏像の台座や欄間(らんま)の獅子や象など、寺社には動物が意外と多い(写真②・摩利支天=まりしてん=像)。中でも「涅槃図(ねはんず)」は、龍(りゅう)などの想像上の神獣も含め、大小さまざまな動物、鳥や昆虫、爬虫(はちゅう)類、甲殻類などを1枚の絵で見ることができる。

 万物全てが釈迦(しゃか)の入滅を悲しみ、集まっているように見えるが、一般的な涅槃図にはネコが描かれないという。正体不明の生き物(写真③)までもがいるのに、なぜ身近な存在のネコがいないのか―。西昭嘉(しょうか)住職(那智勝浦町宇久井・延命寺)にお願いし、涅槃図について話を聞かせてもらった。不思議なことに、ここの涅槃図には「ネコらしきもの」がいるのだ。

 寺により図像が異なる涅槃図を見ると、曼荼羅(まんだら)絵解きのような興味が湧いてくる。見せてもらえる機会があれば、動物好きの人にもお勧めする。さまざまな説があるようだが、正体の分からない存在、顔の表情や振る舞い、描いた絵師の意図などを、あれこれ推測するのも一興ではないだろうか。

  □     □

 ―延命寺の涅槃図はいつの時代のもの?

 はっきりとは分かっていませんが、ご本尊や大般若経、紺紙金泥法華経(こんしこんでいほけきょう)10巻などの他の寺宝が鎌倉時代(1185~1333年)初期のものと考えられていますので、同時期のものだと思われます。元々、一間(約1・8㍍)あったといわれていますが、修復を続けているうちに少し小さくなってしまいました。

 ―涅槃図とは?

 お釈迦様がお亡くなりなった瞬間の様子を描いているものです。場所は北インドのクシナガラで、一説には当時の栄えていた都から自分の生まれ故郷に帰る途中にお亡くなりになったとされています。

 インドやスリランカの石窟寺院にも石像の涅槃仏と共に壁画で描かれており、それらはマハーパリニッバーナ経(漢訳名は遊行経)に基づき描かれたものといわれています。日本では平安時代から紙に描かれるようになりました。

 ―お釈迦様の存在は?

 お釈迦様は、仏教の開祖。涅槃図に描かれている神々は、完全に悟りを開いた最高神ではありません。仏教の考え方では、この世の中には、六つの世界があり、天上界に住む神々さえも、輪廻(りんね)転生から抜け出すために必ず生まれ変わらなければならないといわれています。輪廻から抜け出した覚者に教えを聞きに来たのだといわれています。

 ―周囲の人物たちの様子は?

 集まったお弟子さんや仏様、神々の中には平然とした顔している者もいれば、悲しんでいる者もいます。平然としている人は悟りを開いており、嘆き悲しんでいる人はまだ悟りを開いていないことになります。

 象徴的なのは一番悲しんでいる付き人のアーナンダです。彼は仏教史上、最もお釈迦様から教えを聞いている人物でしたが、お釈迦様が生きている間は悟りを開くことができませんでした。一説にはお釈迦さまのまたいとこや義理の弟であったともいわれています。

 ―延命寺の涅槃図に描かれている人物や動物は?

 多くのお弟子さんや神々、阿修羅(あしゅら)、龍神などが描かれています。他にも人面鳥と呼ばれ、インドの神であり、日本では秋葉三尺坊大権現(あきばさんじゃくぼうだいごんげん)と呼ばれているガルーダの姿もあります。干支の動物もおり、鳥やシカ、ゾウ、チョウ、トンボ、クジャク、ツルもいます。日本に伝わった際に描かれる動物が変わりました。

 ―ネコがいる、いないは?

 一説にはネズミがお釈迦様の使いであるという話から涅槃図にはネコが描かれないようになったといわれています。

 しかし、絵の具を運んできてくれたネコを描いてあげたという絵師の話もあり、臨済宗の東福寺の涅槃図のようにあえて、ネコを猫いた涅槃図も存在します。

(2019年1月1日付紙面より)

那智勝浦町宇久井・延命寺の涅槃図と西昭嘉住職
ネコやイノシシが描かれている(延命寺所蔵)
〈写真①〉薬師如来を守る十二神将。表情や体形、ポーズなど一体ずつの違いが見どころ。安底羅(あんてら)大将は、武神にしては優しげな顔立ち(那智勝浦町下和田・大泰寺所蔵)
頭上には十二支の寅(とら)
〈写真②〉今年の干支・イノシシにまたがる摩利支天。かげろうを神としてあがめたもの。実体がないので、捉えられず、焼けず、傷つかず。自在の神通力を持つ
〈写真③〉正体不明の裃(かみしも)を着たような生き物(大泰寺所蔵)
2019年01月01日
19 準備期間経て4月本稼働
 中堅世代主導の観光協会  (古座川町 )

 昨年9月に発足した新生・古座川町観光協会は、約半年となる初年度を準備・整備期間と位置付け、来年度の本稼働に向けた体制構築に努めている。「年長が将来を担う世代の振興を後押しする」という共通認識の下、30~40代の会長と副会長、事務局職員が軸になっている点が同協会の持ち味。その主導で着々と歩み始めている。

 同町には過去、旧・古座川町観光協会があったが2013(平成25)年9月に解散。後に玉川大学観光学部の協力を得て観光振興計画(15~19年度)、次いで観光実施計画が策定され、これら計画に基づいて町域にある観光関係諸事業のブラッシュアップが図られている。それらを束ねる核となるプラットフォームとして設置が目指されたのが、現在の古座川町観光協会にあたる。

 17(平成29)年度にプラットフォーム立ち上げ検討会議が開かれ、その結論をもって昨年5月に同協会設立発起人会が発足。会合を重ね、9月27日に任意団体・古座川町観光協会の設立総会を開くに至った。

 その展開を見据えていた役場は予算補助に加え、地域おこし協力隊制度を活用して木下昂さんを起用し、設立と同時に同協会付事務職員に充てている。設立総会で選出された理事は、これから地域の中核になる人材による主導を策として思い描き、会員の中では中堅世代となる須川陽介会長、森武志、深海政也の両副会長を選出。さらに年長の会員は3人の将来構築を後押しするという認識を共有して初動を固めた。

 設立目的は「町内の文化や自然資源を用い、持続可能な発展を図ること」。団体名を観光協会としたのはすでに広く認知された呼称であり将来的に相応の機能を町外に向けて発揮するためだが、町内に向けては少し工夫がされていて、観光事業に関わる法人や団体に加えて観光振興に関心のある個人の入会にも力を入れている。その背景には、古座川町を愛好する人々の思いや意欲を観光振興の素地として取り入れたいという思いがある。

 年会費は法人・団体が1万円、個人が2000円。入会案内チラシを作って周知を図り、古座川秋まつりにおいてコーナーを設けアピールにも努めた。入会は随時受け付けていて、役場地域振興課内にある事務局に尋ねてほしいという。

  □     □

愛好を束ねた観光目指す チーム古座川の意識醸成



 目下、振興に力を入れているのはクマノザクラ。町の花にもなっている地域資源の振興を通してまずはノウハウをつかみ、これを他の地域資源の振興へと広げていく考えだ。情報発信の主力はインターネット上の公式サイト。訪れる人々のリサーチに応える仕組みで、関心を着実につかみ誘客へとつなげる筋道をつけるため、要となる公式サイトの制作を進めている。

 古座川町が好きなみんなでこの地域を振興する機運を高める―。3人が将来に思い描くのは、誰もがもてなしの心で訪れる人々を歓迎するところから始まる観光。この発想は今に始まったものではなく、2014(平成26)年度末に開かれた観光振興計画策定委員会の時点で強く意識された挑戦課題「チーム古座川の意識醸成」に基づく。もう一つの挑戦課題「観光地域プラットフォームの具現化」は同協会設立により達成されたため、今後は一点集中で残る挑戦課題の達成を目指すことになる。

 設立から3カ月。須川会長(35)は4月の本稼働に向け「設立したばかりでまだこれといった会員特典もないのに入会していただけているのは、まさにこの協会に対する期待そのものだと思っています。これに応えられるよう皆さんの意見を吸い上げながら努めたい」と意気込む。すでにSNS(Facebook)の公式アカウントを取得し情報発信を始めているが、クマノザクラの開花に間に合わせるため1月中には主力の公式サイトを開設するとしている。並行してクマノザクラなど町域の桜の開花シーズンに合わせたキャンペーンの展開、各種研修機会の創出も本年度中の達成課題として意識。役場内にある事務局も来年度には今まで以上に観光客の来訪利便に応える別の場所へ移す準備も進めている。

(2019年1月1日付紙面より)

古座川町観光振興基本計画策定委員会(2014年度)。この時点で「チーム古座川の意識醸成」と「観光地域プラットフォームの具体化」が意識された
古座川町観光協会設立総会。今後地域の中核になる中堅世代に主導権を託す形で観光地域プラットフォームが動き始めた
古座川秋まつりの会場で設立の周知や会員勧誘に努める(左から)深海政也副会長、木下昂さん、森武志副会長
「期待に応えられるよう努める」と意気込みを語る須川陽介・初代会長
2019年01月01日
20 夏休み前の開館を目指す
 南紀熊野ジオパークセンター  (串本町 )

 日本ジオパークの再認定が待たれる南紀熊野ジオパーク。その新たな拠点施設「南紀熊野ジオパークセンター」が7月、串本町潮岬で開館する。昨年春に始まった工事は11月末現在で進捗(しんちょく)率50%を突破。県自然環境室は「今年の夏休みに(開館を)間に合わせたい」とし、開館後は同パークを訪ねる人流が本州最南端に向けて新たに宿る変化が見込まれる。

 南紀熊野ジオパークは、県南部の特色ある地形や地質を包括振興する枠組み構想。県知事を筆頭に関係する9市町村(新宮市、白浜町、上富田町、すさみ町、那智勝浦町、太地町、古座川町、串本町、北山村)と市町村内主要団体で推進協議会を立ち上げ、105人の登録ガイドが結成するガイドの会と両輪で世界ジオパーク認定まで見据えた振興に挑戦している。

 平成26年8月に日本ジオパークとして認定され、昨年11月には4年ごとに迎える再認定の現地審査を受けた。そのような局面をまたぐ形で進んでいるのが、同センターの建設。立地は同パーク沿岸エリアのほぼ中央、本州最南端にある潮岬観光タワー施設の西隣で、年の瀬には木造2階建ての建物の形が見て取れる段階まで建設が進んでいる。

 建物の延べ床面積は約978平方㍍で、5月末には完成する予定。以降は各種展示物の配置などを進めて開館を目指す。館内には展示室、映像室、セミナー室、作業室、事務室などがあり、これらを活用し▽展示と学習▽情報発信▽調査研究▽地域活動支援―などの機能を発揮する。2478平方㍍の敷地整備も含めた総事業費は約7億円。

 現在は環境省施設「宇久井ビジターセンター」を拠点としているが、推進協議会の事務機能は和歌山市の県庁(県自然環境室内)にあり、現地で活躍する登録ガイドとの連携には大きな移動負担が余儀なくされている。同センター開館時に県自然環境室が有する事務機能を移すことも計画に含まれていて、センター長以下5人程度の規模で人員配置の調整を進めている。うち2人は地形・地質の専門員(正職員待遇)で、昨秋に公募し人選を進めている段階。別途、登録ガイド2人が館内案内のため常駐する仕組みも調整している。

 推進協議会の事務機能を有する県自然環境室は「同センターは、現在の拠点をさらに上質にした感じの拠点になる。開館により訪れる皆さんにいっそう南紀熊野ジオパークを知ってもらうことができ、登録ガイドの皆さんと現地で連携する体制もようやく整う形になる」と話し、開館が今後の振興のいっそうの弾みになることを期待している。

 開館時間は午前9時~午後5時と想定しているが、休館日など具体的な運営手法は年の瀬の時点で未定。那智勝浦町にある宇久井ビジターセンターと望楼の芝にある環境省施設「潮風の休憩所」機能は、南紀熊野ジオパークセンターが開館した後も吉野熊野国立公園の一端を物語る要素として継続する方向にあるという。

(2019年1月1日付紙面より)

本州最南端で建設中の南紀熊野ジオパークセンター(左)
完成時のイメージ図(県自然環境室提供)
潮風の休憩所にある南紀熊野ジオパークコーナー

2019年01月01日
21 くじらの博物館50年の歩み
  

 今年50周年を迎える「太地町立くじらの博物館」は、1969(昭和44)年4月2日にオープンした。同4日付の熊野新聞に、喜びに沸く開館式の様子が大きく取り上げられている。

 くじら浜公園などの埋め立てや土地開発費を含めると総工費10億1500万円(注1)もの巨費が投じられた。「長年の夢を実現させ、クジラの伝統を生かし観光の町として第一歩をふみ出した」故・庄司五郎町長のあいさつが記されている。

 開館準備に始まり、いつも「くじらの博物館」と共にいた林克紀館長から巨大模型をはじめ、同館の展示品や鯨類の飼育にまつわる数々のエピソードを聞いた。その一部を紹介する。

  □     □

■クジラのヒゲ磨き

 1967年にオホーツク海で捕獲された体長約15㍍のセミクジラ。現地で取り出された内臓は、貨車1台を丸ごと借り切って積み込まれ、下里駅に到着した。町役場に勤務していた18歳の林さんは、トラックで太地町へ運び、オープンに向けて標本作りに取り掛かった。油分が出なくなるまで、何度もホルマリン液を交換する作業に追われたという。

 セミクジラの特徴でもある長い「クジラヒゲ」【写真①】も磨いた。食べ物の残りかすなどが隙間にたまっていたので、除去してからワックスをかけ、さらに磨いてきれいにした。

 そうこうしているうちに土に埋めていたセミクジラの骨が届いた。大ホールにつられたセミクジラである。セミクジラの実物大全身模型は、生体の頭部、尾びれ、胸びれの型を取って作成されたもの【写真②】。その後もホッキョククジラ、コククジラ、シャチなどの骨格が次々と追加され、林さんは骨磨きでも忙しかった。

  □     □

■龍涎香(りゅうぜんこう)見つける

 15㍍くらいの大きなマッコウクジラが水揚げされたので、他の職員らと解体を見学に市場へ。林さんらが見ていると、「腸からポロッと塊が出てきましてね。何だろうと思ってバケツに入れて持ち帰りました。西脇先生(注2)に見せたらびっくり。希少な龍涎香(注3)でした。お香のような良い香りがしましたよ」。

  □     □

■イルカを待つこと3カ月

 オープン前年の秋から生け捕りを計画してきたが、まだイルカは捕獲できておらず、ショープールはしばらく空のままだった。「7月に漁師さんらの協力でコビレゴンドウ29頭の生け捕りに成功し、小プールで4頭、自然プールで25頭の飼育が始まりました。ところが、餌(イカ)を食べなくて困った。真夜中に与えてみたり、はえ縄を使ってぶら下げてみたり、いろいろ試したが食べてくれない。最初の食事は強制給餌(喉の奥まで手でイカを押し込む)が必要だったのです」。

  □     □

■難しい飼育に挑戦中

 追い込み漁の対象となっている9種類のイルカ全ての飼育展示に挑戦している。2013年には初めてスジイルカが入館。17年にはシワハイルカとカズハイルカの飼育を始めた。スジイルカ、マダライルカは飼育が難しく、国内でのスジイルカの飼育は同館のみとなっている。

  □     □

■腹びれイルカ「はるか」の思い出

 2006年に発見された腹びれを持つバンドウイルカ「はるか」。各水族館担当者が集まる選別会場での順番はくじ引きで決めるルールがあり、体長250㌢前後の若い雌から順に選ばれていった。はるかは雌だが272㌢と大きく、雌雄選別の時に腹びれに気付かれることもなく残った。「(はるかを)ひっくり返したら、なんだこれは?となりまして大騒ぎでしたよ」。

 選別に立ち会った林館長は「和田頼元が太地で組織捕鯨を始めたのが1606年ですから、ちょうど400年の節目に見つかった。先祖からの贈り物のように思えました」と振り返る。

 鯨類の進化における後ろ足の消失過程は明らかになっていない。はるかは「5000万年をタイムスリップしたイルカ」と称され、さまざまな研究に貢献した。「2013年に残念ながら息を引き取りましたが、不思議なことに翌年の1月に白いバンドウイルカのスピカ、同じ年の11月には白いハナゴンドウのハマタと珍しい個体が続けて見つかりました」。

  □     □

■庄司町長、先見の明

 『田畑のない土地でクジラしか頼るところが無かった町。しかし、いずれ捕鯨は厳しいことになる。』―庄司町長の言葉を今もかみしめる。「南氷洋(なんぴょうよう)の捕鯨がまだまだ盛んな頃に、捕鯨を続けることができなくなる先を見越して博物館を作った。観光とクジラを結び付けたのです」。

 庄司町長が残したくじらの博物館は、その遺志と共に、三軒一高町長が掲げる「太地町30年構想」へとつながり、捕鯨の歴史、文化、伝統と共に後世に受け継がれていくことだろう。

  □     □

▼注1 現在の価格に換算/国内企業物価指数1・8倍、消費者物価指数3・1倍

▼注2 博物館建設の指導に当たった日本海洋研究所長、西脇昌治東大教授

▼注3 マッコウクジラだけにできる腸の結石。天然香料として、古来より珍重される。

(2019年1月1日付紙面より)

【写真①】ヒゲクジラの中でも「畝(うね)」を持たないセミクジラは長いクジラヒゲ(ヒゲ板)を持つのが特徴。ヒゲ板の展示の前で、林克紀館長
クロミンククジラの模型。オキアミなどを海水と共に口に含み、ヒゲ板でこし取って食べる。風船のように膨らむ「畝」を持つ。ヒゲは短い
【写真②】背びれのない「美しい背中」を名前の由来とする背美(せみ)クジラ。大ホールの骨格標本と模型
古来より金と同等の取引がされたという龍涎香
腹びれを持つ「はるか」(提供写真)
紙面に躍る見出しから、オープンの喜びが伝わる=1969(昭和44)年4月4日付の「熊野新聞」
2019年01月01日
22 ツール・ド・熊野での個人総合優勝が最大目標  2019年シーズンの戦いへ  (キナンサイクリングチーム )
2019年01月01日
23 「未来の金メダリスト」  熊野地域から世界の舞台へ  (金メダル目指して鍛錬 )
2019年01月01日
24 いよいよ11月に開催 ねんりんピック紀の国わかやま2019 
2019年01月01日
25 穏やかに新年を迎える歴史の里  那智勝浦町・栃ノ木  
2019年01月01日
26 夢は花園出場!!  ラグビーを通し人間性育む  (新宮ラグビーフットボールクラブ )
2019年01月01日
27 たまには歩いてみるのです。  勝浦の隠れた観光資源を探る編  
2019年01月01日
28 祀り守られ生きる  神宿る島・孔島を訪ねて  (新宮市三輪崎・孔島嚴島神社 )
2019年01月01日
29 大規模改修工事進む  紀宝町鵜殿運動場  
2019年01月01日
30 熊野、そして未来へ―。  熊野地方10市町村のリーダーが語る、“熊野の2019”  
2019年01月01日
31 ロマンチック熊野街道  3県にまたがる「ロマンの道」観光の行方をひもとく  (栂嶺レイさん講演会から )
2019年01月01日
32 お正月に、折り紙でなに作ろう?  折り紙に生命を宿す  (平松幸一さんが語る「折り紙と私」。 )
2019年01月01日
33 シダに魅せられた年男  新宮市・大洞浩一さん  
2019年01月01日
34 古写真で振り返る熊野   
2019年01月01日
35 自然のガチャガチャ!? ノジュールの謎に触れる。  南紀熊野ジオパーク・太古のロマン  
2019年01月01日
36 歴史刻む築70年の木造校舎 4月から新校舎に移転 (田辺市本宮町・三里小学校)
2019年01月01日
37 熊野川「三反帆の川舟」  伝統を受け継ぐ若き川舟大工  (紀宝町井田・廣田琢巳さん )
2019年01月01日
38 荒船海岸耳ノ鼻へのウオーク  地球の息吹を感じて  (那智勝浦町 )
2019年01月01日
39 忘れられない勝山城と藤倉城  那智山の歴史を訪ねて  (那智勝浦町 )
2019年01月01日
40 漁師と猪―山の生命をいただく  北山村猟友会