「人とまちが輝き、未来へつなぐまち」 (新宮市総計審 )
第2回新宮市総合計画審議会(会長・足立基浩和歌山大学経済学部教授、委員20人)が29日夜、市役所であった。将来目指すべき都市像を「~市民が元気で心豊かに暮らすために~人とまちが輝き、未来へつなぐまち 新宮市」とする基本構想の事務局案が示され、委員たちが意見を述べた。
現在の市の目指すべき都市像は「人輝き文化奏でる都市」としている。新しい都市像案について足立会長は「言葉が少し長いのではないか」。関康之委員(新宮商工会議所会頭)は「もっとシンプルで具体的な方がよい」と指摘した。
事務局が示した政策目標は▽安心・安全に暮らせるまち▽心豊かな人を育むまち▽共に支え合い幸せ感じるまち▽安定した雇用を生み出すまち▽魅力ある文化がつなぐにぎわいのまち▽持続可能な市政運営―の6点。平成39(2027)年度末の人口は2万6000人以上を目標とした。
関委員は、現在の総合計画の検証を要望。児玉征也委員(東牟婁振興局長)は空き家の利活用推進を計画に盛り込むことを提案した。
総合計画はまちづくりの最も上位に位置付けられる行政計画。市の将来目指すべき都市像を示す「基本構想」(長期10年)、具体的施策について体系化した「基本計画」(中期5年)、具体的な事業や規模などを示す「実施計画」で構成される。
市長の諮問機関である同審議会は8月上旬に「基本構想」、2月上旬に「基本計画」の答申を予定している。次回は7月24日(月)午後7時から市役所で開く。
(2017年5月31日付紙面より)
市役所に応援の懸垂幕 (新宮市 )
サッカー日本代表に初選出された新宮市出身の加藤恒平選手(27)を応援しようと、市体育協会と同スポーツ少年団本部が30日、市役所庁舎に懸垂幕(縦11㍍×横0・92㍍)を掲示した。6月30日(金)まで。
加藤選手はブルガリアのPFCベロエ・スタラ・ザゴラ所属。現在はキリンチャレンジカップのシリア戦(6月7日、東京スタジアム)、ロシアワールドカップアジア最終予選のイラク戦(同13日、テヘラン)にむけ、千葉県内で合宿に励んでいる。
市体育協会会長でスポーツ少年団本部長でもある楠本秀一教育長は「夢を諦めずに続けていく姿勢が、子どもたちに勇気や希望を与えてくれている。ぜひピッチの上で活躍し、来年の本大会につなげてほしい。市民の多くも、活躍を期待していると思う」と話した。
(2017年5月31日付紙面より)
サイネックスと協定締結 (串本町 )
串本町は25日、「暮らしの便利帳」発行に向け株式会社サイネックス=大阪市中央区=と官民連携協定を結んだ。
同町は合併当時の平成17年に「新町の手引き」、22年に改訂版となる「暮らしのページ」を全戸配布。後の転入者にも配布して、各種制度の周知に役立てている。改訂版発行から7年が過ぎ、内容と現状が合わない箇所が増えたため今回、新たに「暮らしの便利帳」を発行することを決めた。
同社は平成19年から官民協働で同便利帳の発行事業を始め、5月末で全国の自治体の4割強にあたる724自治体で発行している。新宮・東牟婁地方では新宮市や那智勝浦町で実績があり、串本町は3例目となる発行に着手する形となる。
この日は同社西日本営業本部長の雲林院英幸執行役員と同本部関西営業部の藤崎正敏部長代行次長、同社阪和支店の小林譲支店長の3人が来町し、田嶋勝正町長と雲林院執行役員が協定書に調印した。田嶋町長は「他市町の便利帳を拝見し、見やすくて町民のみなさんに喜んでいただけると感じた。いろいろな事業者の協力を得ることになるが、町も協力していいものを作り上げていきたい」とコメント。雲林院執行役員は「多くの自治体とご一緒させていただいていることは、この手法が評価いただいているものだと思っている。串本町においてもご指導ご鞭撻をいただき、町民の皆さまが使いやすく見やすい本を作りたい」と意気込んだ。
同便利帳はパブリック・プライベート・パートナーシップの手法により、従来の行政情報に加え医療機関などの地域情報や広告による事業者情報を提供して実用性の高さを目指す。行政の財政負担はなく、住民が保存活用する点で反復的、継続的な効果が期待できる広告の掲載収益で事業費をまかなう。
同町における発行規模は1万500部で、概算で数十㌻、事業費数百万円の規模を想定している。発行時期は11月予定で、7~8月に各事業者へ広告利用を呼び掛けるという。
(2017年5月31日付紙面より)
田辺市本宮町の熊野本宮大社は30日、新宮市の東牟婁振興局で記者会見を開き、創建2050年の節目を迎える来年の例大祭に合わせて奉祝式年大祭(4月11日~15日)を営むと発表した。九鬼家隆宮司(60)は「地域や各種団体と一体となって、人と自然との共生を熊野から発信できるイベントにできれば」と各種団体に協力を呼び掛けている。
7月に実行委員会を立ち上げ、秋までに詳細なイベントの内容を決める。九鬼宮司は「熊野に新たな足跡を残せる心のこもったイベントにできれば」。本宮大社氏子総代会の榎本隆文会長(65)は「今年の例大祭にもたくさんの人が来てくれた。来年の例大祭は日曜日。海外や県外からもたくさん来てもらい、本宮の祭りの良さを知ってもらえれば」と話していた。
■初めて稚児を募集
来年は例大祭の湯登神事に参加する稚児12人を初めて一般募集する。参加資格は2~3歳の男子と父親か祖父。問い合わせは、本宮大社(電話0735・42・0009)まで。
(2017年5月31日付紙面より)
風屋、二津野の両ダムを視察 (新宮市観光協など )
新宮市観光協会と新宮商工会議所青年部の会員ら約20人が18日、十津川村にある風屋、二津野の両ダムを視察した。ダムを管理、運営する電源開発株式会社の社員らに世界遺産である熊野川の濁水は、観光や漁業関係者への影響が大きいと訴え、生態系調査を含めた対策を強く求めた。
熊野川の濁水は2011年の9月の紀伊半島大水害以降、長期化している。電源開発は対策の一環として現在、風屋ダムで表面取水設備の改造工事を実施している。ダム湖内の清水部分の活用範囲を広げることなどを目的にした工事で、今月中に第一期の工事を終え、11月から再開し、来年5月末に完了する予定。
工事でダムの水を抜いているため、あらわになっている最高で約10㍍のシルト(沈泥)の堆積状況も見学。電源開発は、工事の影響で濁度が高くなっていると理解を求めた。工事の間にシルトを除去できないのか、との問いに電源開発は、地盤が軟弱なため重機が入れないと回答した。
会員らは新宮市熊野川町椋呂の十津川第二発電所から出ている濁水現場も視察し、発電停止を含めた対策を強く訴えた。電源開発は、山腹崩壊した箇所から川に流入している土砂が濁水の根本的な原因とし、会社としてはできる限りの対策を進めていると理解を求めた。
同青年部は今年4月、濁水対策強化を求める5016人の署名を携え、自民党本部、国交省、電源開発で陳情活動を実施している。
(2017年5月21日付紙面より)
新庁舎の完成祝い式典 (新宮警察署 )
新宮市新宮(通称広角)に移転した新宮警察署新庁舎の竣工(しゅんこう)式が19日、同署で開かれた。宮沢忠孝本部長ら県警幹部をはじめ、県議会議員、管内市町村の首長ら関係者約60人が出席し、庁舎完成を祝った。
新庁舎は海抜35㍍の高台に建設された。鉄筋コンクリート地上3階、地下1階建て。敷地面積は6764平方㍍で、延べ床面積は約3353平方㍍となっており、敷地内には待機宿舎24戸が併設されている。総事業費は約29億円。
1階には署長室の他、警務課、会計課、地域課、交通課など。2階は生活安全刑事課など、3階には警備課、大会議室、道場を配置し、地下には射撃場を設けている。災害時の地域の防災拠点として耐震性の強化を図り、地球環境に配慮した太陽光発電システムを導入。市民相談室を設け、バリアフリーに努めている。2015年9月に着工し、今年3月6日から業務を開始している。
宮沢本部長は新庁舎を「和歌山県警察の運営指針『県民の期待と信頼に応える強さと優しさを兼ね備えた警察』のイメージと合致するものとなった」と感謝。「施設整備は警察活動の基盤であり、職員の士気を高揚させるもの。社会情勢の変化は目まぐるしく、警察活動もますます多岐にわたってきているが、県警察として、新庁舎竣工を機に、決意を新たに一丸となって治安維持という崇高な職務の遂行にまい進いたす所存」と式辞。
公安委員会の大桑堉嗣委員長は「新庁舎の完成を機に公安委員会としても安全安心な和歌山の実現に向けより一層努力していきたい」とあいさつ。県警察本部の田原裕史・会計課長が新宮警察署概要と工事の経過報告をした。
児玉征也・東牟婁振興局長は「県民の警察に対する期待はますます大きくなっている。県としては高性能な資機材等を活用した捜査力の強化を図っていくが、署員の皆さまには新たな拠点ができたことを契機に、課せられた職務の重要性を改めて認識していただき、管内の治安維持、県全体の治安を守ってほしい」と仁坂吉伸県知事の祝辞を代読した。
和歌山県議会の服部一副議長は「新宮警察署が管轄する地域は世界遺産を有する観光地で、たくさんの方々の安全安心を堅実に守っていく必要がある。新庁舎完成を契機に、改めて、課せられた職務の重大性を再認識し、地域の安心安全のため、より一層のご活躍を」。
柴山克彦・近畿管区警察局総務監察部長は「立派な庁舎が完成したことは近畿管区としても喜ばしい。署員各位には、署長を中心に、地域の方々や観光で訪れた方々の安全安心を確保するため、警察の諸業務を確実かつ効果的に推進し、地域社会の治安維持に一層精励して」と呼び掛けた。
谷本克也・新宮警察署長は「治安防災の新たな拠点として新庁舎が完成し、施設と設備の近代化が図られたことは大変意義深く、一同気持ちを新たに、一層の業務の効率化とスピード化を図り、それぞれの治安課題に真摯(しんし)かつ着実に取り組んでいく。地域の皆さまとの連帯をより深くしつつ、治安の針路をけん引し、安全で安心して暮らせる社会の実現に傾注する」と謝辞を述べた。
(2017年5月21日付紙面より)
櫻井敬人学芸員が講演
太地町歴史資料室学芸員でニューベッドフォード捕鯨博物館顧問学芸員の櫻井敬人(はやと)学芸員が17日夜、新宮市の井の沢隣保館であった環境問題研究会5月例会で講演した。江戸時代の捕鯨家、太地角右衛門の古文書などを資料に熊野灘各地で行われていた捕鯨の様子を紹介した。
熊野灘での捕鯨は太地、三輪崎、古座だけでなく、田辺や志摩でも行われていた。角右衛門は、セミ、ザトウ、コク、マッコウ、ナガス、カツオの6種類で行っていたと書いている。
太地では、ザトウを網にからめてモリで突く漁法を開発。三輪崎では岸近くに来るコクをモリで付いていた。沖を通るマッコウは比較的捕まえやすく、カツオやナガスはあまり捕っていなかったという。
古式捕鯨の様子を描いた古い絵を見ると、網が必要ないセミを網で捕っているものがあったり、古座での漁を太地と書いていたりするものがあるという。どの地区での漁の様子かは船のマークで判断できる。三つの輪が重なったマークは、三輪崎の船と思われるが、まだ確定はしていない。
船には扇、北斗七星、赤いタケノコ、鳳凰(ほうおう)などの絵がカラフルに描かれているが、意味は分かっていない。櫻井さんは、熊野の捕鯨文化は未知の部分が多いと述べ、津波被害を避けるため、少しでも高い場所に資料を保存すべきと訴えた。
(2017年5月21日付紙面より)