新宮市観光フォトコンテストの表彰式が29日、市人権教育センターであり、『美しい熊野川』=写真=で3年連続の最優秀賞を獲得した新宮市新宮の山際實さん(76)=理容業=らに賞状と記念品が贈呈された。山際さんは「たまたまです。運が良かった」と喜んだ。
新宮市観光カレンダー製作実行委員会が主催で毎年開催しているコンテスト。今年で6回目。入選した作品28点は、観光カレンダーやパンフレットなどとして活用するほか、30日から11月下旬まで、市役所1階ギャラリーに展示される。入選作品13点で製作するカレンダーは10月中の完成を目指している。
今年のコンテストのテーマは「歴史と文化のまち、しんぐう」。県内外の42人から、新宮城跡、熊野速玉大社、神倉神社、徐福公園などの作品168点の応募があった。
山際さんの作品は昨年11月の午前8時ごろ、釣鐘石と骨嶋の間の熊野川を上流に向かう1隻の川舟を撮影している。青空の下、深い緑の山々には霧がかかり、舟の波紋が清流に広がっている。「たまたま通りかかった時に撮りました。最優秀賞は何度取ってもうれしいです。いつもこんな熊野川であってほしいという思いを込めました」と話していた。
入選者たちに賞状を渡した実行委員会の森本祐司委員長は「新宮は写真熱が高いエリアだと思います。人口3万人の地方都市ですが、新宮高校からは和田久士、鈴木理策と写真界の芥川賞とも呼ばれる木村伊兵衛賞を2人も輩出している、と外の人たちに自慢しています。これからも感動する写真を撮っていただき、来年もコンテストに応募してもらいたい」。
審査員を務めた田岡実千年市長は「新宮に写真愛好家が多い要因の一つは豊かな自然が多く残されていることだと思います。コンテストのたびに違う作品を見て、あらためて新宮には自然、歴史、文化があると感じます」などと講評した。
(2017年8月30日付紙面より)
濱口祐自さんが奉納演奏 (熊野那智大社 )
創建1700年を祝い奉納行事が続く那智勝浦町の熊野那智大社(男成洋三宮司)で26日夜、ギタリスト濱口祐自さん(62)による奉納演奏があった。午後6時に濱口さんや関係者が正式参拝。ご神木の那智の大クスが美しくライトアップされ、森厳な境内にギターの音色が響いた。約200人の観客が多彩な演奏と軽快なトークに聞き入った。
この日は、同町の櫂伝馬保存会の濱口起年会長と立木憲さん(59)ら10人が照明や音楽機材のセッティングを務めた。入念なリハーサルの後、オリジナル曲をはじめ、ミシシッピーブルースやエリック・サティの名曲グノシエンヌ1番など十数曲を演奏。合間に映画007シリーズ(1967年公開)のロケ地になった同大社のエピソードなども紹介した。
奉納の後、感謝状を手渡した男成宮司は「さまざまな曲の演奏に改めて感心しました。素晴らしかった」と喜び、濱口さんは「感無量。励みになりました。この場の演奏に恥じない活動をしていきます」と話していた。
次回地元での活動は10月7日(土)、同町勝浦港での船上ライブを予定している。
(2017年8月30日付紙面より)
水害復興の田で中学生ら稲刈り (新宮市熊野川町 )
近畿大学附属新宮中学校(川合廣征校長)の1年生59人は28日、新宮市熊野川町の三津ノ地区の田んぼで稲刈りを体験した。ふるさと教育の一環で昨年に続き2回目の取り組み。生徒らはみつの地域活性化協議会(下阪殖保会長)メンバーらに教わりながら、鎌を手に金色の稲穂を刈り取った。
市の教育目標である「郷土へのほこりと愛着を育む教育の充実」を目的に、地元農家と協力した体験を通して地元への愛着を深めようと実施した。作業体験、脱穀や乾燥などを見学することで農家の人たちへの感謝の気持ちと米を大切にする心を養う。
田んぼは下阪会長のもので、2011年の紀伊半島大水害で浸水被害を受けた地域にある。当時50㌶ほどあった水田には土砂が流れ込み、うち約40㌶が復旧。休耕田の一部はヒマワリを植えるなど観光資源としても活用し、約30㌶を水田として使用している。地域活性化に向けて積極的に取り組み、復興に向けて頑張る地域の姿を生徒らに伝える狙いもある。
下阪会長は「イネも大きくなり、実もできている。頑張って刈って、体験してください。無理せず楽しくやってくれればご飯も楽しくいただけると思う」と生徒らに呼び掛け、生徒を代表し山本皓大君が「貴重な体験をさせていただきありがとうございます。全てのお米を無駄にしないよう頑張ります」とあいさつ。
杉尾綾香さん(12)は「小学校の時にもやっていたのでできると思っていましたが、意外と難しかった。思っていたより大変で、昔の人はすごいと思いました。自分たちが植えたイネが農家の人のおかげで育ったことがすごくうれしい」と話していた。
川合校長は「生徒たちも喜んで生き生きと取り組んでいていいと思います。田植えや稲刈りを経験し、農業の大変さ、食べ物の大切さに気付いてくれれば」。
下阪さんは「子どもたちはかわいい。4月の田植えの時に比べ背丈がだいぶ違い、大きくなったように感じる。成長をみて、感動します。体験を通じ、米の大切さを分かってくれれば」と話していた。収穫した米は協議会が作成する「近中米」のシールを貼り、9月17日(日)正午から同校文化祭の近大新宮祭で販売する予定。
(2017年8月30日付紙面より)
古座川夏まつり「川の家」 (古座川町 )
古座川町相瀬にある一枚岩前で27日、イベント「古座川夏まつり『川の家』2017」があり夏休み最後の日曜日を過ごす家族連れらの来場でにぎわった。
このイベントは一枚岩守り犬夏まつり実行委員会と川の家実行委員会が共催。前年度まで別々に開いていた夏の2大イベントを合わせた初の試みで、一枚岩の壁面に「守り犬の影(対岸にある犬鳴岩の影)」が出現する時期(4月中旬と8月下旬の年2回)に合わせて準備を進めてきた。
会場には地域自慢の味覚をPRする物品販売「K―1グランプリ」の出店が並び、来場者は興味に応じて自由購入し気に入ったメニューに投票。今回は計12品目が投票対象とされ、スイーツ部門ではもりとよ商店のふうわり氷、グルメ部門では鳥獣食肉処理加工施設関係グループ「山の光工房」の「いのししカレーパン」がグランプリに輝いた。
イベント本部では石絵コンテストの参加者を随時受け付け。今年は43作品が出品され、串本町出雲の野村行誠君(出雲小6年)の作品が最優秀賞「守り犬賞」、新宮市のくりもとれいなさんの作品が「瀧之拝太郎賞」、古座川町のなすあさみさんの作品が「ウナギ賞」に選ばれた。
当日は好天に恵まれ、水浴を楽しむ家族連れもある中、開場と同時に配布した整理券と引き換えで乳幼児対象のアユのつかみ取り(簡易プール使用)や小学生以上対象のアユとウナギのつかみ取り(古座川使用)が行われ、計500匹のアユと25匹のウナギを追う挑戦も活気を見せた。午前11時に始まった宝探しは一時間とかからずに全て見つかる盛況。午後3時には町内の小学1~3年生有志7人らによる古座川民話朗読劇があり、一枚岩に伝わる民話を影絵やシーンの体現も織り交ぜ楽しく紹介した。
上記入賞者の表彰や菓子まきを経ていよいよフィナーレの鑑賞会。好機直前に日差しが弱まりひやりとする瞬間もあったが、無事『守り犬の影』が出現し、一同で見届けて終了となった。
特に多くの利用を集めた物品販売やアユのつかみ取りは川の家実行委員会由来の企画。6時間にわたった今回のイベントでは全般でMCを務めた森武志さんを始めとして町内の若手多数が運営の中軸を担った。
同コンテストの審査委員や同グランプリのプレゼンターを務めた西前啓市町長は「今回は若い皆さんがイベントを主導してくれた。このように盛り上げていただくことで、まちは活性化すると期待するし、われわれ行政も負けないよう側面からバックアップをしていきたいと思う」と喜び、運営各位の尽力をたたえた。
(2017年8月30日付紙面より)
和道流空手道連盟全国大会で
小学生バレーボール「JAみくまの杯」
22人が大人への一歩踏み出す
太地町の成人式が15日、同町のホリスティック・スペース・ジャパンであった。これまで正月の1月3日に催していたが、華美な服装にならず、保護者の負担を無くして本来の軽装での参加を促すため、開催を夏に移した。この日は対象者29人のうち22人が出席し、大人への一歩を踏み出した。
式典で宇佐川彰男教育長は「厳しい大人の社会を乗り越えるには友人や家族らが支えになってくれる。社会に出ていろんな人と交流し、信頼できる仲間と今後の人生を歩んで」と述べた。
三軒一高町長は町の30年計画の進展を伝え、「長い人生のなかで20歳は大きな節目。育ててくれた両親に感謝を。皆さんが毎年帰ってくるたびにきれいになったと思える、衛生管理の行き届いた町にしたい」と話した。
新成人を代表して佐々木健介さん(19)は「大人になるという境遇に立ってみて社会からのプレッシャーを感じている。喜びと不安が入り交じる心境ですが、この気持ちを忘れず、人との出会いを大切に、この地で生まれ育ったことを誇りに思ってこれからの人生を歩んでいきたい」と宣誓した。
新成人たちは会場周辺で旧友との記念撮影を楽しみ、思い出話に花を咲かせていた。新宮高校卒業後、大阪の大学へ進学した大藪恭久さん(19)は「みんな昔と違って大人になっていた。これからは一人の大人として、社会や町に貢献していきたい」と話した。
(2017年8月16日付紙面より)
仲之町商店街で恒例の「夜市」 (新宮市 )
新宮市の仲之町商店街振興組合(勢古啓子理事長)は12日夜、毎年恒例の夜市を開いた。1丁目から3丁目までの各所に、盛りだくさんの出店があり、多くの家族連れらでにぎわいを見せた。
「夏の夜を楽しんでほしい」との思いから始まり、30年近く続く催しで、歩行者天国のアーケードでは、魚釣りやバスケットゲーム、くじ引きなどのゲームにさまざまな景品が用意され、子どもたちは夢中になって挑戦。かき氷や焼きとうもろこし、焼きそばなどの模擬店などもあり、家族連れや友達同士など、大人も子どもも一緒になって夜市を楽しんだ。
にぎわう様子に勢古理事長は「仲之町外の店の協力や、多くの家族連れの姿を見られてうれしい。新宮の花火の前夜祭のように楽しんでもらえたら」と喜び、「この商店街はアーケードがあり、突然の雨なども気にせずに買い物を楽しむこともできますし、一人でも多くの人に今後も楽しんでもらえたら」と話した。
(2017年8月16日付紙面より)
古式捕鯨再現の「勇魚祭」も
太地町の太地漁港周辺で14日、伝統の古式捕鯨を再現する第29回太地浦勇魚(いさな)祭と盆供養花火大会が開かれた。初盆を迎えた故人への追善供養など、盆行事の一環として開催され、町民や里帰りの人たち、観光客らでにぎわった。
太地浦勇魚祭は400年の歴史を持つ捕鯨文化を伝えるため、太地勇魚会(井上正哉会長)が主催して行っている。赤い鉢巻きにふんどし姿の12人の男たちが2隻の「勢子(せこ)舟」で海に繰り出すと、沖からクジラを模した船が登場。男たちは掛け声とともにクジラを網に追い込み、古式捕鯨「網掛け突き捕り法」を再現した。
男たちは次々にクジラにもりを打ち込んだ後、海に飛び込み、クジラにまたがって格闘を演じた。最後に包丁でとどめを刺す「鼻切り」が披露されると観客から拍手が起こった。
井上会長は「先人のクジラとの勇気ある闘いを伝え、捕鯨文化が薄れていかないように伝えていきたい。身近に感じてもらいたい」と話した。香川県高松市から帰省した髙橋麻帆さん(35)は「太地は反捕鯨団体の標的にされるニュースがよく流れ、心配でしたが、こうやって若い人たちが大事に捕鯨文化を守ってくれているのだなと感じました」と話していた。
勇魚祭の後、柱松に続いて花火大会があり、夜空に大輪を咲かせた。フィナーレには鯨踊りと創作太鼓「太地」のパフォーマンスに合わせて町民一同の大スターマインが打ち上がった。観客から「すごい」「きれい」など歓声が上がり、拍手喝采が送られた。
(2017年8月16日付紙面より)
いろり館で新成人の集い (古座川町 )
古座川町公民館(富田正弘館長)は15日、南紀月の瀬温泉ぼたん荘いろり館で新成人の集いを開き、対象者22人の大人の仲間入りを祝った。
20歳の節目を迎えるにあたり大人の自覚を得る成人式に相当する行事。本年度の対象者は平成9年4月2日~平成10年4月1日生まれの町立中学校卒業者22人(男12人、女10人)で、式には17人(男8人、女9人)が出席した。
浴衣やスーツ、制服姿で集う新成人に向け、富田館長は今後も失敗にめげずあらゆる場面で経験を積んで人間力を高め続けることを期待し「日本の未来は皆さんを含めた大人にかかっている。自分や社会の進路選択に確かな人間力を持ち、感謝を忘れず地に足をつけて大人社会を進んでほしい」と激励した。
来賓を代表して西前啓市町長は夢を原動力にし感謝と努力を忘れず、大人としての自覚と責任を持ってそれぞれの道へ羽ばたいてほしいと祝辞。大屋一成町議会議長、嶋原和夫教育委員長も列席して祝った。
新成人を代表して上地佑奈さん(19)は「新成人一同、社会への仲間入りを祝福された感激を胸に、社会人としてよりいっそう精進する。まだまだ未熟な私たちに、今後もご指導をお願いします」と謝辞を述べ、垣実咲さん(19)が記念品を受領。式後は記念コンサートや記念撮影、立食パーティーなどで仲間や先輩諸氏との親交を深め合った。
新成人の山本裕也君(20)は古座中出身。広島県にある大学へ進学し、現在は環境関係の学問を学んでいるという。ふるさとで祝福を受け「古座川町の役に立ちたくて今、大学で勉強している。大人の仲間になったという実感はまだないけれど、将来はこっちに帰ってきて古座川町の豊かな環境を生かしてまちづくりにつながる何かができないかと思っている。そのような職場を自分で作るというのも夢の一つです」と心境を語った。
(2017年8月16日付紙面より)
新宮市出身の谷口暁理君(大阪・浪速高校)
帰省ラッシュがピーク (熊野地方 )
盆をふるさとや行楽地で迎えようという家族連れなどのラッシュが「山の日」の11日、ピークを迎えた。熊野地方の幹線道路、国道42号では他府県ナンバーの車が増え始め、列車の乗車率も上がっている。帰省した熊野川町出身の60代女性は「墓参りに戻ってきました。孫を連れてきたので、実家の方に行ってみようと思います」と話していた。
JR新宮駅では、京都・大阪方面や名古屋方面からの特急列車に乗って帰省した人々が大きな荷物を抱えて続々と改札を通り、迎えに来た家族と手を振り合う様子が見られた。
改札付近には「お見送り&お迎えコーナー」が設置され、利用客らを出迎えた。盆や春の大型連休、年末年始などに設けており、家族らがホームをのぞき込むようにして列車から降りてくる家族などを捜す姿があった。
駅として地域を元気づけ、利用者に喜んでもらおうと、季節に合わせたさまざまな取り組みをしている。電車を降りた人を出迎えるのは「おかえりなさい!!」の温かな言葉。夏らしいデザインで、駅社員の石野恵美さんが制作した。
駅では「最も多く利用されるお盆の時期は、関西や関東から大勢のお客さまが新宮の故郷に見えられます。安全で安心して利用できる列車で来られるお客さまに、温かい雰囲気でお迎え、お見送りするためのコーナーを作りました。お客さまに『新宮駅に来てよかった』と感動していただければ、私どももうれしく思います」と話していた。
(2017年8月13日付紙面より)
体育文化会館で強化合宿 (那智勝浦町 )
きのくに和歌山国体での総合優勝を記念して県レスリング協会(森下正紀会長)と県高等学校レスリング専門部は9日、国体レスリング競技の会場にもなった那智勝浦町体育文化会館で強化合宿をスタートさせた。16日(水)まで行われ、最多で約350人が練習に参加する。
合宿は参加者の競技力向上と地域のスポーツ振興を図るのが目的。町体育文化会館は元国体会場であることに加え、マットが6面使用でき、旅館も近いといったメリットがあるため、全国の選手を集める強化合宿の会場として定着してきた。今回で8回目になる。
早稲田、専修、近畿、桃山学院などの大学をはじめ、近畿各府県や遠くは沖縄から高校レスリング部、社会人チーム、地元の小中学生チームが参加。中には各世代の日本チャンピオンもいる。アトランタ五輪銅メダリストで早稲田大レスリング部監督の太田拓弥さんら各参加団体のコーチが指導している。
練習開始前に太田さんは「練習も今年で8年目を迎えて、年々参加人数が増えてレベルも上がってきている。小中高校、全日本レベルの選手が一堂に会するのは日本でもここだけだと思う。レスラーとして模範となるような行動を心掛けて」と呼び掛けた。
1988年のソウル五輪で金メダルを獲得し、現在専修大学のレスリング部監督を務める佐藤満さんは「多くの人が環境を用意してくれたおかげで練習ができる。環境づくりをしてくれた人に感謝して自分をマネジメントし、強い選手、相手の難しい選手を見つけて練習をお願いして。考えて行動できる選手がチャンピオンになる」と選手たちを鼓舞した。
(2017年8月13日付紙面より)
第34回土と水と緑の学校 (新宮市 )
第34回「土と水と緑の学校」(新宮市など主催)の閉校式が12日、同市高田の高田グリーンランドであった。今年は台風の影響で日程を2日短縮し、新宮市の姉妹都市、宮城県名取市の小中学生10人は参加できなかったが、3泊4日の日程を無事終えた。
大自然の中、地球の基本である土、水、緑について学び、その役割、大切さに気付いてもらうことを目的に毎年この時季に開校している。閉校式では参加した児童生徒90人が4班に分かれ、共同生活で学んだ成果を替え歌などで発表。「ホエールウオッチングでは船酔いした人もいたけど楽しかった」「カヌーが楽しかった」「最初は仲間とあまり話せなかったけど、最後には仲良くなれた」などと話した。
参加者たちに修了証を手渡した校長の田岡実千年新宮市長は「自然の美しさ、海の雄大さ、自然の役割を感じてくれたと思います。学校で感じたことをこれからの生活に生かしてください。また来年もお会いできることを楽しみにしています」とあいさつした。
公益社団法人アジア協会アジア友の会の村上公彦事務局長は「台風の影響で2日間短縮しましたが、プログラムを良く組めたと思います。各活動を見て回りましたが、みんな元気によく頑張っているなあと思いました」と講評した。
(2017年8月13日付紙面より)
新宮サマーサッカーフェスティバル
創建1700年を祝い (熊野那智大社 )
那智勝浦町の熊野那智大社(男成洋三宮司)で6日、舞踊指導者で構成する「三踊(さんよう)の会」による創建1700年を祝う舞の奉納があった。
会のメンバーは西川友千恵さん(日舞)、川上邦子さん(現代舞踊)、竹中みどりさん(フラ)の3人。いずれもこの地方の先駆者的存在で、尾鷲市から串本町間で多くの踊り手を育ててきた。午後6時すぎのスタートにもかかわらず、拝殿には約100人の関係者や一般の人たちが集まり、3人の踊りに見入った。
奉納は竹中さんがフラの打楽器イプヘケで大王をたたえる曲「カラカウア」を演奏して始まり、川上さんが熊野の地で守られ、今があることにお礼の気持ちを込めて「熊野に生きる ありがとう」を静かに、時には躍動的に全身で生の喜びを表現した。竹中さんは笑顔を絶やさず、柔らかな動きで世界の平和を祈念しつつ、「ハナレイ・ムーン」を。西川さんは、神の前で踊れる光栄を胸に秘め、りんとした舞いで「四君子」をみやびに表現。三者三様の踊りで大社の歴史と存在に、改めて感謝を表現した。踊り終えた3人は「この年まで踊れ、本当に幸せ」「緊張したが神を感じた」「踊りがあったから、熊野が好きになった」などと、それぞれに思いを語った。
男成宮司は三踊の会に感謝状を授与。「素晴らしい踊りの奉納」とたたえながら「踊りは神にささげるところから始まったと思う。道を究められた先生方だが、さらに高みを目指してご精進を」と一層の活躍を願った。
(2017年8月9日付紙面より)
台風5号、紀伊半島通過
台風5号は7日午後3時30分ごろ和歌山県北部に上陸し、熊野地方にも激しい雨を降らせた。那智勝浦町では天満地区薬師谷付近の4世帯に避難勧告が発令され、田辺市本宮町では午後1時に大塔川の水位が上昇、川湯地区の30世帯に避難指示が出された。同日午後7時ごろまでには雨もやみ、避難発令も全て解除された。8日午前11時現在、大きな被害の情報は入っていない。
気象庁によると7日の雨量は三重県御浜町で206・5㍉を観測、古座川町西川276・0㍉、新宮市で165・5㍉だった。
那智勝浦町では7日午前8時40分に町内6地区に避難準備・高齢者等避難開始が発令され、市野々小学校に13人、福祉健康センターに9人、体育文化会館に7人の計29人が避難した。新宮市では旧新宮市内7カ所、旧熊野川町内に14カ所の避難所を開設。午後1時には33世帯47人が避難した。
古座川町では平井地区11人をはじめ、町内の10カ所の避難所に計28人が避難した。串本町では田原、古座、姫、串本、上田原の5地区で9世帯10人が避難した。
関西電力によると那智勝浦町で40戸、古座川町で20戸が停電した。
県の調べでは田辺市神子浜で80歳の女性が風にあおられ転倒して軽症、和歌山市西浜で76歳女性の原動機付き自転車が風にあおられ軽乗用車と接触して骨折するなど人的な被害が出ている。日高川高津尾の鳴滝歩道橋つり架線が断線するなど物的被害も県北部に集中している。
気象庁によると台風5号は8日午前8時現在、新潟県糸魚川市の北西約40㌔にあって、北北東へ1時間に25㌔のゆっくりした速さで進んでいる。
(2017年8月9日付紙面より)
にぎわった「紀和の火祭り」 (熊野市 )
熊野市紀和町小川口の北山川河川敷で5日、「紀和の火祭り」が催された。近づく台風の影響が心配されたが、主催者発表で約3500人が炎の祭典を楽しんだ。実行委員会(岡本尚委員長)が主催した。
午後6時には夜店がオープン。紀和特産のキジ肉の手羽焼きなど地元特産品が並び、ビアガーデンも人気を集めた。高さ20㍍の柱に取り付けた籠に燃えるたいまつを投げ込む「柱まつり」では、50人の若者がたいまつをくるくると回しながら籠をめがけ、次々に放り投げた。たいまつが命中すると、中に仕掛けられた花火が火を噴き、周囲を明るく照らし出して来場者から大きな拍手が送られた。
この行事は、あらゆる災害をたいまつとともに夜空に放つことで、いかだ流しのいかだ師たちの安全や無病息災、豊漁、五穀豊穣(ほうじょう)などを願う伝統行事。一時途絶えていたが、有志が復活させ、今年で29回目。ソーラン踊りや地元出身のプロ歌手紀の川良子さんのミニコンサートなどに続いて、幕末に住民が作った木製大砲「北山砲(づつ)」の発射や打ち上げ花火もあった。
河上敢二熊野市長は過疎高齢化が進む紀和町に「スポーツ人口が増えている」と喜び、岡本委員長は「今から本当の火祭り。見てね」と気勢を上げた。
(2017年8月9日付紙面より)
福竜丸歴史展関係イベント (串本町 )
串本町役場古座分庁舎で5、6の2日間、「第5福竜丸=第7事代丸建造70年歴史展」関係イベントが開かれた。6日の対談では東京都立第五福竜丸展示館の市田真理学芸員と同展を監修した仲江孝丸実行委員が語り合った。仲江実行委員は「国連の核兵器禁止条約採択のきっかけがビキニ事件であり、それを世界に知らしめたのが第五福竜丸。建造の地の一人として次の世代にそう語り継げるよう今後も取り組む」と思いを掲げた。
福竜丸の歴史展実行委員会(藤田勝彦会長)主催、同町教育委員会後援。同展は1日から6日まで同庁舎1階ロビーであり、マグロ漁船第五福竜丸の前身であるカツオ漁船第七事代丸を建造した古座造船所や立地・字中洲の歴史と第五福竜丸が被ばくしたビキニ事件から核兵器禁止条約採択までの経緯を並列させた構成で史実を伝えた。
併せて5日は同庁舎3階大会議室で映画上映があり、約80人がドキュメンタリー作品「放射線を浴びたX年後」を鑑賞。太平洋域における核実験の影響、とりわけ第五福竜丸以外の被ばく漁船や船員らがどのような扱いを受けその後を生きたかを遺族の心境談話も交えて知る機会を持った。
6日の講演と対談は約40人が聴講した。藤田会長のあいさつを経て始まった講演では、東京都立第五福竜丸展示館の市田学芸員が「第五福竜丸の航海はつづく」と題して登壇。
今年2月のマーシャル諸島(=実験場となったビキニ環礁を含む海域)における聞き取り調査の成果として現地の人々の実直な思いを伝達し、7月に国連交渉会議で採択された核兵器禁止条約との対比で「陸揚げされ海を進むことはもうないが、核兵器のない未来に向けて今も航海を続けている」と現在の第五福竜丸を位置づけた。
続く対談で仲江さんは字中洲の歴史や古座造船所がカツオ漁船第七事代丸を建造した経緯など、市田さんは第五福竜丸被ばく後の調査が打ち切られた時の状況やその後も続いた太平洋での核実験の経緯などを報告した。
会場からは大腸がんになる日本人が多いことと核実験の因果関係を問う質問などがあり、市田さんは「長期被ばくについては誰も責任が負えず、誰も評価できないのが現実」としつつ、後の調査で明らかになった放射性物質拡散状況を示す資料の一部を示し、当時はとんでもない環境汚染があったことを示唆するなどした。
一連のイベントを終えて藤田会長は「この地で第五福竜丸の前身、第七事代丸が建造され、原水爆禁止運動の礎になっているという経緯を改めて認識する機会になった。この成果をしっかりと次世代へつなぎ、一日も早く核のない世界を作る一端にできれば」と語った。
(2017年8月9日付紙面より)