新宮支局、歴史に幕 (和歌山放送 )
和歌山放送新宮支局は、17日の放送をもって新宮単独放送を終了する。新宮スタジオの開設から35年。新宮市の一角から地域に密着した情報を届けてきたその歴史に幕が下ろされる。
和歌山放送は1959年4月1日午前5時30分、「県下の皆さま、おはようございます。~略~県下の皆さまの放送局として皆さまと共に歩んでゆきたいと考えております」と第一声を放送。県民からの期待を受け、開局した。
時代が昭和から平成へと移り変わろうとしていた88年。「県都中心の情報より、地域密着の情報を」との要望に応える形で「新宮スタジオ」が開設。新宮・串本単独放送を開始した。新宮スタジオの開設により、現在の本社、田辺支局、新宮支局の3局体制が完成。地域に寄り添った放送を住民に届けてきた。
しかし、今年3月、放送機器の中核であるマスター設備の更新に伴う設備投資を実施するに当たり、現在の3元放送の維持が困難に。新宮単独放送をやむなく終了するという決断に至った。
現在、17日にかけて「ありがとう! お世話になりました! 感謝感謝の35年!!『ラジオDE元気!』」が放送されており、歴代パーソナリティーが日替わりで番組に登場。秘蔵音源の紹介などをもって番組の歴史を振り返りながら、リスナーらへの感謝を伝えている。
小田川和彦さん(75)は、初代パーソナリティーとして1993年9月まで放送の中核を担った。中上健次が後に設立した「熊野大学」の前段階であった「熊野大学準備講座」や御燈祭(おとうまつ)り、那智の原生林、四十八滝、当時のリスナーからのはがきなど「思い出は山ほど」と振り返る。
「住んで、いろいろな人と出会って、生活を共にして熊野の魅力を感じた。親切を受けたことも数多い。熊野は古来から多くの人を受け入れてきた優しい土地で優しさは熊野の本質だと思う」。
一方、「妻との結婚を決めるきっかけともなった新宮市への赴任は、人生の中で一番大きな転機だった」と語るのは93年10月から98年3月まで、2代目パーソナリティーを務めた小川孝夫さん(56)。
「阪神・淡路大震災の時は繰り返しの情報を伝えるだけで、力のなさを感じた」と回顧しつつも「新宮で生まれた娘は、私が出演する明日16日に入籍する(取材は15日)。当時、ここは楽しくて子育てに最適な所だと思った」。
現在も同放送局で和歌山県地域密着アイドルグループの冠番組のディレクターを担当する小川さん。「何らかの形で携われることができてうれしいです」と話していた。
最後のラジオカーリポーターによるインタビューに応じた田岡実千年市長は「長きにわたり、いろいろな思いを届けていただいてありがたい限り。さみしくなるが、これからも県民の放送局として活躍を期待しています」と語った。
最後の放送は17日午後1時から。3代目パーソナリティーの平井理弘さんが出演する。
(2023年3月17日付紙面より)
町内事業者集め研修 (那智勝浦町 )
那智勝浦町は15日、那智勝浦観光機構の協力の下、町内事業者を対象にした「外国人観光客に向けた防災研修」を行った。約10人が参加、災害発生時の外国人観光客への対応をどうすべきかを学んだ。
初の取り組みとなる。同町役場防災対策室の柴田通仁さんが、和歌山県による災害発生時の外国人への避難所対応の講習を受け、これを避難所以外の外国人観光客にも応用できるのではと発想。那智勝浦観光機構の協力を得て実施に至った。柴田さんが「もしもの時の外国人観光客への対応や情報提供について」を演題に講話した。
柴田さんは、外国人観光客の特性として▽日本語が話せない▽土地勘がない▽災害の基本知識を持たない▽文化・宗教の違いにより災害時行動や避難所でトラブルの可能性あり―と説明。「外国人観光客に災害関連情報の入手方法を確認しておいてもらう必要がある」と話した。
そのために普及啓発を行うべき災害関連アプリとして「セーフティティップス」を紹介。「緊急地震速報や津波警報などを通知する無料アプリで、14カ国語15言語で提供する。この案内板を店内などに掲示し、QRコードも表示すれば、外国人観光客にも役に立つ」と語った。
翻訳アプリ「ボイストラ」も紹介。「31言語に翻訳してくれる。日本語で話して翻訳してもらい、相手に何語が話せるかをタップしてもらえば、会話が始まる。ポイントは、やさしい日本語で話しかけること。難しいと誤訳が多くなる」と述べた。
一般財団法人自治体国際化協会のサイトにある▽災害時多言語表示シート▽災害時用ピクトグラム(案内用図記号)▽多言語指さしボード―に言及、有効性を伝えた。
和歌山県が行う「外国人サポートメール」についても「空メール送信で登録できる。印刷して外国人観光客に配布していただければ」と勧めた。
また町や観光機構としても「観光客への災害情報の伝達や、宿泊を伴わない観光客への避難案内を実施する」とした。「事業者さまも災害時のご協力を」と呼びかけた。
熊野別邸中の島の長谷川文平取締役は「研修を受け、ピクトグラムの準備が足りていないと分かったので、そこをどう拡充させていくかが旅館としての課題かと思った。ただ、一番怖いのは津波。5分ぐらいで来るともいわれているので、今後の検討課題として、適切なやり方を考えていきたい」と話した。
(2023年3月17日付紙面より)
みなと橋やゆかし潟で満開 (那智勝浦町 )
那智勝浦町二河の国道42号沿いのみなと橋すぐ横に植わっているクマノザクラが満開を迎えている。また、ゆかし潟周辺のクマノザクラも同じく満開を迎え、地域に彩りを添えている。
クマノザクラはバラ科サクラ属の樹木で、2018年に新しく公表された野生種。森林総合研究所の勝木俊雄博士らが新種として命名、発表した。紀伊半島南部の3県に分布し、早咲きで花が美しいことから観賞用の利用が期待されている。
みなと橋横の木は秋にも花を付け、二度咲きすることでも知られている。クマノザクラの利活用や保全活動に取り組む「日本クマノザクラの会」では、「みなと橋小春」と命名している。
そこから少し離れたゆかし潟沿いの歩道にも小さなクマノザクラが確認できる。この木は「ハート型の汽水湖」としても有名なゆかし潟のハート上のくぼみ部分から対岸に位置しており、花びらは背を見せているのが特徴だ。
同町湯川の喫茶きよもんの駐車場からは、ゆかし潟を見渡すことができ、周辺に植わる多くのクマノザクラが楽しめる。
同会会員の大江伸二さんによると、現在、各地で確認できるサクラのほとんどがクマノザクラであるという。その確認方法として「一つの花芽に2個の花が付く」「花柄は比較的短くて毛が生えていない」「葉身が卵形で幅が18~36㍉と細長く、鋸歯が粗い」などの特徴を挙げた。
大江さんは「背を見せているクマノザクラは、佐藤春夫が命名したゆかし潟のゆえんでもある『奥ゆかしさ』を感じさせる。『ゆかし桜』と名前を付けてみた。いろんな見方で楽しめるのでは」と笑顔。
観賞については「ゆかし潟は1周2・1㌔あって、30~40分のほど良い散歩コース。ジオパークの説明書きがある場所にも車を止めることができる。歩きながら多くのクマノザクラを楽しんでほしい」と話していた。
(2023年3月17日付紙面より)
「丹鶴ホール」で展示中 (新宮市 )
新宮市下本町の市文化複合施設「丹鶴ホール」2階の「熊野サロン」で、「江戸幕府一五代 徳川慶喜奏聞書 写(うつし)」の特別展示が始まった=写真。4月末まで展示している。
江戸幕府かつ日本史上最後の征夷大将軍、徳川慶喜。江戸末期、「薩長同盟」が成立し倒幕への動きが加速する中、慶喜は1867(慶応3)年10月に政権を朝廷に返上した。
奏聞書は、慶喜から明治天皇に宛てたもので、慶喜に対する辞官納地の決定に激昂した主戦論派の幕閣によって作成され、京都に持ち込まれたもの。
岩倉具視らの抑止で天皇への提出には至らなかったが、旧幕府側では江戸城に召集された諸大名・重臣らに老中から本書の写しが渡され、また早々に兵を率いて集まるようにと呼びかけられた。
紀州藩においては「南紀徳川史」に、老中から江戸の紀州藩家老に渡されたと記載があり、これが水野家中でも写され、水野家が新宮城領主として入部した際に側用人として浜松から入国したという劔持家に伝わることとなったとされる。
今回の展示は、市が同市下本町の劔持幸代さんより預かった奏聞書を一般公開するもので、市が所蔵する「御広間三番方勤役日記」(1867年)も併せて展示。同書は城主の命により赤井武左衛門らが記した水野家中の日記で、城中の出来事や、城主・家臣の動きなどが記されている。
(2023年3月17日付紙面より)
4月13~15日に斎行される、田辺市本宮町の熊野本宮大社(九鬼家隆宮司)令和5年度例大祭「本宮祭」に向け、地元小中学生らによる「大和舞」と「八咫烏(やたがらす)舞」の稽古が始まった。10日夜、同大社瑞鳳殿で顔合わせと初稽古が行われた。4月15日(土)に旧社地・大斎原(おおゆのはら)で営まれる「斎庭(さいてい)神事」で奉納する。
熊野の春の訪れを告げる同大社の例大祭。主祭神の家津美御子大神(けつみみこのおおかみ)の故事に倣う祭典とされる一年の豊穣を願う祭り。
毎年、地元住民や多くの観光客が参加・参列し、春の同町を盛大に彩るが、新型コロナウイルス感染症の影響でおととし、昨年は規模を縮小して斎行。伴い、本来なら子どもたちが舞う「大和舞」「八咫烏舞」も青年会有志らが継承していた。
従来に近い規模での斎行が予定されている今年の例大祭では、3年ぶりに地元小中学生らが祭りに参加。本宮・三里小学校と本宮中学校の小6~中2(祭り時点)の8人が本番に向けて4回の稽古と大斎原でのリハーサルに臨む。
初稽古に当たり、九鬼宮司は「コロナはまだ収束していないが、少しでも前に進むという思い。しかし、学校やご父兄の理解がないと前に進むことはできない。感謝を申し述べるとともに、元の祭り以上ににぎやかなものとなるようお力添えを」と協力を求めた。
「大和舞」に初挑戦する岩田耕希さん(13)=本宮中学校=は「最初は不安だったけど練習するうちに覚えられた。自信を付けて本番に臨みたい」。「八咫烏舞」を舞う真砂りえさん(13)=同=は「小学4年生の時に本宮町に引っ越してきて、祭りで八咫烏舞を見た時からやってみたいと思っていた。足の動きが難しかったので家でも練習したい」と意気込む。
榎本隆文総代会長は「3年ぶりの従来に近い形での斎行。子どもたちにはおおいに期待している。本番までに稽古を重ねて頑張ってほしい」と話していた。
(2023年3月12日付紙面より)
太田小学校で芝生の日 (那智勝浦町 )
那智勝浦町立太田小学校(上地巳奈子校長)で5日朝、「芝生の日」があった。児童や保護者、教職員、地域住民ら41人が参加し、グラウンドの雑草除去作業に取り組んだ。
同校は県教委の屋外運動場芝生化促進事業を活用し、2008年度からグラウンドを全面芝生に。月1回ほど「芝生の日」を設定して手入れをしている。近年は種子に鋭いとげを持つ外来植物のメリケントキンソウに苦慮していたため、冬休み中に業者に依頼し、ほぼ全面に繁殖していたトキンソウの除去を行ったという。
この日の作業は、水を含むと寒天質になって児童の転倒の原因となる「イシクラゲ」や、種ができる前のスズメノカタビラを中心に行われた。
朝8時にグラウンドに集合した参加者たちは、各所に散らばって作業を開始。1、2年生たちも一輪手押し車を押して雑草を回収し「草はありますか」「ありがとうございます」と声をかけて協力していた。
(2023年3月12日付紙面より)
熊野速玉大社で復興慰霊祭 (新宮市 )
東日本大震災の発生から12年となる11日、被災者を追悼し被災地の復興を祈る式典が全国各所で営まれた。新宮市の熊野速玉大社(上野顯宮司)では復興慰霊祭がしめやかに執り行われ、同大震災をはじめ、世界各地で発生した自然災害の犠牲者の鎮魂と一日も早い復興を祈念し玉串が供えられた。
2011年3月11日午後2時46分ごろ、宮城県牡鹿半島の東南東沖で発生した同大震災。日本国内最大規模で、アメリカ地質調査所(USGS)によれば、1900年以降、世界でも4番目の規模となった。マグニチュードは9・0。宮城県北部の栗原市で最大震度7が、宮城県、福島県、茨城県などで震度6強が観測された。
太平洋沿岸部を未曽有の大津波が襲い、地震に伴う福島第一原子力発電所事故の影響もあり多くの人が避難所生活を余儀なくされた。警察庁のまとめでは、今年2月末現在で全国の死者は1万5900人、不明者2523人。復興庁によると、避難生活の疲労などが原因の震災関連死は昨年3月末現在で3789人に上る。
同大社の復興慰霊祭には、大社崇敬会や敬神婦人会の会員らが参列。上野宮司は、同大震災や熊本地震、トルコ・シリア大地震などの犠牲者への哀悼の意や復興の願いを祝詞に込め、巫女(みこ)が「浦安の舞」を奉納した。
上野宮司は「季節は移り変わり、何事もなかったかのように優しく動くが、あの時の悲しみは拭うことはできない。あの日を忘れず、人々の心に寄り添うことが大事。悲しみを乗り越え、立派な国になるよう力を合わせていかなければ」と思いを語った。
(2023年3月12日付紙面より)
紀宝町では購入費補助も
消防白書によると、住宅火災による死者の約8割が高齢者で、亡くなった人の半数近くは逃げ遅れだという。一刻も早く火災に気付くため、設置が義務化されている住宅用火災警報器(住警器)。消防庁の調査では昨年6月1日時点の全国設置率は84%。三重県は78・9%となっている。
熊野市消防本部によると、管内の熊野市、御浜町、紀宝町の設置率は2016年が53%で、以降、54%、58%、66%、68%、73・6%。昨年6月1日現在で72%だった。
設置から10年以上経過した住警器は、汚れやごみなどにより火災を感知しない場合があり、こまめに点検や掃除が必要。製造から10年経過したものは部品の寿命などで火災を感知しない場合があり、10年を目安に交換することが勧められている。
紀宝町では、町内の世帯を対象に住警器の購入費補助事業を行っており、周知を図るため町消防団(逢野統一団長)と同町鵜殿の主婦の店で街頭啓発を実施。女性消防団員がチラシを配布し「ご家族の安全のためにも必ず設置しましょう」と呼びかけた。
一般世帯は購入費用の半額、65歳以上のみの世帯は全額をそれぞれ補助する。補助額はいずれも1世帯につき1回のみで、上限は5000円。
先着順で募集しており、購入前に募集件数を超過していないか問い合わせを。申し込みは、役場総務課防災対策室(電話0735・33・0335)まで。
(2023年3月12日付紙面より)
公立中学校で卒業式 (新宮市・東牟婁郡 )
新宮市・東牟婁郡の公立中学校で7日、卒業式が行われた。新宮市の215人、那智勝浦町の96人、太地町の15人、北山村の3人、串本町の89人、古座川町の32人が義務教育を終え、次の道へと歩み始めた。
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新宮市立城南中学校(吉田元紀校長)では43人が、吉田校長より卒業証書を受け取った。
吉田校長は式辞で「あなたたちの人生はこれから。可能性は無限。希望を持ち、夢を描き、命を輝かせて。城南中で学んだ全てを糧に、諦めず、へこたれず、前を向いて歩いて」と呼びかけた。
卒業生を代表し、山中伶威さんが答辞した。学校生活での思い出を回想したほか、先生や家族への感謝を述べた。
「仲間と別れ、それぞれの道を歩むが、絆はなくならない。いつか集まれることを楽しみに頑張る」と強調。周囲の支えに「ありがとう」を伝えて締めくくった。
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那智勝浦町立那智中学校(岡史博校長)では岡校長が卒業生47人に卒業証書を手渡した。
卒業生代表の松岡木葉さんが答辞。新型コロナウイルス感染拡大の影響を受けつつも、平和の尊さや地元の魅力を学び、たくさんの挑戦を経て可能性を広げてきた中学校生活を振り返り、卒業生たちに「みんなと過ごした3年間は最高の宝物」。家族や教職員、在校生にもメッセージを贈り「次に会うときはマスクを取って、みんなで笑い合いましょう」と呼びかけた。
卒業生たちは「3月9日」を合唱し、在校生から花束を受け取って会場を後にした。温かな拍手に包まれ、目を潤ませる様子も見られた。
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太地町立太地中学校(山田貴也校長)からは、15人が卒業した。
山田校長は式辞で、小説「握手」に登場する「困難は分割せよ」の言葉を述べ「人生山あり谷あり。高校生や社会人になって壁にぶつかっても、一つ一つ焦らずに乗り越えていって」と語った。
来賓の宇佐川彰男教育長は祝辞で、卒業生たちが中学生議会で要望を出した▽高校への通学定期券費用の全額補助▽町内の公共交通機関の運賃無料化―といった施策が実現に向けて動いていることに言及。「地域学習、国際理解教育、主権者教育をしっかりとやり遂げた。大波や小波が押し寄せても、誇りを持って前進して」と激励した。
(2023年3月8日付紙面より)
県内唯一、防災まちづくり大賞 (津本地区自主防災会 )
紀宝町の津本地区自主防災会(産屋敷誠会長)が2022年度の「第27回防災まちづくり大賞」で日本防火・防災協会長賞を受賞した。三重県で唯一の受賞で、紀伊半島大水害を教訓に立ち上がり、11年間の取り組みが評価された。
防災まちづくり大賞は、阪神・淡路大震災を契機に1996年度に創設。地域に根差した防災の取り組みなどを進める団体・組織を表彰するもので、本年度は総務大臣賞、消防庁長官賞、日本防火・防災協会長賞で計17団体が受賞した。
津本地区自主防災会は、紀伊半島大水害後の2012年に発足。防災訓練や炊き出し訓練、幅広い世代を対象にした防災訓練、避難所運営訓練などを継続して開催し、地域の防災力向上に努めてきた。子どもから高齢者までが楽しく防災を学ぶ「防災チャレンジ大運動会」も開いてきた。これまで、みえの防災大賞、みえの防災奨励賞などを受賞している。
6日には産屋敷会長、谷口昌宏前会長、防災士の大峪やす子さんが紀宝町役場を訪れ、西田健町長らに受賞報告した。東京で開催された表彰式に出席した大峪さんは、これまでの取り組みを振り返り「11年目にして防災まちづくり大賞を受賞するとは夢にも思わなかった。これからも自分、家族、隣近所の大切な命を守る防災活動を続けたい」と話した。
西田町長は「受賞おめでとうございます」とたたえ、「楽しみを持って防災に当たるユニークな取り組みが町内に浸透し、防災に強い町づくりにつながれば町の防災文化につながる。これからも先駆的な取り組みをアピールし協力したい」と伝えた。
(2023年3月8日付紙面より)
第16回しんぐう元気フェスタ (新宮市 )
新宮市ボランティア・市民活動センター(岡鼻崇会長)は5日、市福祉センターで「第16回しんぐう元気フェスタ'23」を開催した。ボランティア・市民活動センターに登録する団体らが、ステージや展示を通してお互いの活動に対する理解を深めた。
「楽しんで! 知って、見て、感じて! ボランティア」と銘打ち、企業とボランティアなどが協働で取り組んでいる毎年恒例のイベント。新型コロナウイルスの影響で3年ぶりの開催となった今回は「みんなの活動を見て、知って、楽しもう」と題し、規模や時間を縮小する形で実施にこぎ着けた。
開催に当たり、岡鼻会長は「時間に限りがあるが、お互いのブースに足を運んでいただき、団体同士の交流の場になれば。これからも、皆さんの活動が持続可能なものとなることを祈念しています」。
来賓の田岡実千年市長は「いろいろな方々が活動を発表できる貴重な機会。絆や、人と人が助け合い支え合うことの大切さを気付かせてくれるイベントだと感じます」とあいさつした。
ステージ発表は、Team雅龍によるよさこい踊りで幕開け。マジックサークル青い鳥によるショーや、南紀手話サークル虹による手話歌が披露され、会場からは大きな拍手が送られた。
会場内には7団体によるパネルや作品展示、5団体による体験ブースも設けられ、来場者らは各コーナーを回って交流を深め、活動内容を学ぶ機会とした。
最後には「川柳で新宮を元気に」の表彰式も行われた。岡鼻会長は閉会に当たり「自分たちの勇気や元気に変わるかもしれない、そういう活動が地域や団体を守ってくれていると思う。これからも皆さまと共に、当イベントを続けていくことができれば」と思いを語った。
(2023年3月8日付紙面より)
熊野修験が山々で修行 (那智勝浦町 )
那智勝浦町那智山から奈良県吉野までの険しい山道を歩く「熊野修験大峰奥駈(おくが)け」が4日、始まった。熊野の山々の霊気を感じられるコースで、コロナ禍前は修験者だけでなく、全国から一般の参加も増加していた。今年は例年のように広く募らず、修験者と一般合わせ約50人が集まった。修験者を先頭に列をなして山道を歩き、山中にほら貝の音と「懺悔(さんげ)、懺悔、六根清浄(ろっこんしょうじょう)」の声が響いた。
1872(明治5)年に修験道が廃止されていたが、約120年を経た1988年に那智山青岸渡寺住職の髙木亮英正大先達(しょうだいせんだつ)らが再興させた。今年で36回目を迎える。
大峰奥駈けは那智山から奈良県吉野までの約200㌔の山道を4回に分けて歩く。この日は「春峰(はるみね)入り」と呼ばれ、髙木智英副住職を中心に青岸渡寺から熊野本宮大社までの約30㌔を丸1日かけて踏破した。
出発前、髙木正大先達は「副住職が代表して皆さまと共に本日の目的地である熊野本宮大社へと向かう。道中、くれぐれもけがなどには注意して、修行に励んでください」とあいさつ。
智英副住職は「この数年は新型コロナウイルスのため、行者のみで行ってきた。今回は普段ほどではないが、一般の皆さまにもご参加いただけた。今年は念願であった修験者のための行者堂の完成の年、身を引き締めて修行に取り組みたい。世界平和とコロナ退散、無事に満行できることを願っています」と話していた。
次回は4月ごろに本宮大社から玉置山まで歩くとしている。
(2023年3月8日付紙面より)
那智勝浦町体協グラウンドゴルフ部春季大会
トルベリーノかつおカップ
出産祝金30万円やバス無料化 (太地町が新年度当初予算案発表 )
太地町の三軒一高町長や幹部職員らが3日、町公民館で会見を開き、令和5年度当初予算案を発表した。新年度の一般会計は31億898万3000円で、前年度より3億4396万円(9・96%)減となった。
新年度予算案は「生まれた子ども1人につき、30万円」「中学生、高校生等の通学定期券の購入に係る費用の全額補助」など、子育て世帯への支援を拡充しているほか、自動運転車両の路線延長や町内を運行するじゅんかんバスの完全無料化により町民だけでなく、観光客も無料で利用できるなどの多くの事業を盛り込んでいる。
前年度より予算額が減少した理由は、(仮称)国際鯨類施設(以後、鯨類施設)整備事業や向嶋船揚場改修事業に係る事業費の減少などが要因となった。
クジラ文化の継承や鯨類研究の先進地となるための鯨類施設の工事の進捗(しんちょく)率は今月末で約40%となり、今年8月末の完成に向けての整備を進めるとした。
さらには森浦湾周辺の本浦駐車場や園地、町道など整備を行い、高齢者のための買物支援事業にも取り組むとした。
三軒町長は「30年の計画を立てて19年目。ようやく住民サービスが拡充できるところに落ち着いてきた。町民はもっとサービスを受ける権利がある。今後も住民自身が『町が良くなっている』ことを実感してくれるような町づくりを進めたい」とあいさつした。
予算案は8日(水)開会の町議会に上程する。
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町税は個人町民税、法人町民税の減少が見込まれるが、平見地区の新築増加による固定資産税の増加や観光客の戻りによる入湯税の増加などを考慮。前年度比130万7000円の増を見込み、2億848万円とした。
国庫支出金は前年度の未来技術社会実装事業に係る補助金の減少もあり、40・6%減の1億6543万2000円となった。
全体の40%を占める地方交付税は近年の状況を踏まえて10・1%増の12億5000万円となった。県支出金は62・4%減の1億5423万9000円。これは、鯨類施設の事業費が減少したことが要因。
町債は鯨類施設整備や向嶋船揚場改修などの事業費が減少したため、18・4%減の6億5950万円となった。
歳入に占める町税や分担金、財産収入などの自主財源は25・76%、地方譲与税や町債などの依存財源は74・24%。
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歳出全体を占める割合が25・9%と最も多い物件費は前年度比3508万8000円の増で、平見地区高台造成計画の策定やふるさと納税事業の委託料増、町道平見1号線改良のための予備設計が主な要因。
民生費の0・9%増は出産祝金などの新規事業や障害者自立支援給付費の増加によるもの。補助費等は23%増の2億1633万9000円で、姉妹都市交流事業(ブルーム)および通学定期券購入補助事業の実施などが主な要因となった。
投資的経費は前年度比5億484万7000円の減で、減少した要因は鯨類施設事業や向嶋船揚場改修に係る事業費の減少によるもの。
森浦湾整備事業に係る起債の元金償還が始まるため、公債費は前年度比8740万8000円増の4億7844万3000円となった。
(2023年3月5日付紙面より)
「一枚の広告が僕の人生を変えた。体が動いて元気なうちに実現したい。熊野三山やこの地に学生があふれるような『学生版の蟻(あり)の熊野詣』を」。そう目を輝かせるのは那智勝浦町にある熊野カフェのオーナー・畑中卓也さんだ。畑中さんは同町と「大学のふるさと」として地域連携協定を結ぶ京都市の京都橘大学との絆を強固とし、学生たちが自身の意思で町を訪れ町を知ることで、将来再び来町してもらえるような観光への取り組み「学生版蟻の熊野詣」を目指し、日々奮闘している。
京都橘大学は、前身である京都女子手藝学校が京都御苑の西に位置しており、京都御所紫宸殿にある有名な「左近の桜・右近の橘」にちなみ、「日本の文化に根ざした香り高き人材を育成する」誓いを託し、校名を「橘」と命名。自立・共生・臨床の知を教育理念に掲げ、人文・教育・社会・医療系の多様な学部・学科を設置し、日々、教育・研究に取り組んでいる。
元・町職員だった畑中さんは現職時代の2001年に、ある新聞広告を目にして衝撃を受けた。それが、同校の文化政策学部開設予定と記されたものだった。町の観光にも何か生かせるのではと考え、個人的に同校とコンタクトを図るとともに、同校にも訪問した。
それらの努力の継続と各関係者らの協力の下、町と大学の協定が結ばれることとなった。その後は町に学生らを迎え、インターンシップや植樹など、さまざまな催しなどにも取り組んできた。
職員退職後も、その関係や絆を大切にしてきたという畑中さんは「学生版蟻の熊野詣」の実現には、学生をもてなす町内事業者(民間)の協力が必須だと語る。
まずは同校学生が学生証を提示することで、町内の飲食店や土産物、宿泊施設などで、割引などの優遇が受けられる仕組みづくりを行う。
来町した学生が町の歴史や文化、商店や人などに触れることで、町のファンを増やすとともに、将来再び、来町してもらえる「未来の観光」につなげることが目的だという。
畑中さんは「まず民間が動き、行政が後押ししてくれるのがまちづくりの本来の姿だと思う。いにしえより京の都から多くの人々が熊野詣を行った。まずは学生に、自分の意思で町に来てもらい、良い思い出をつくってもらうことが重要。大河の一滴のような取り組みだが、成功事例を重ねて、将来は京都全ての大学の学生にも来てもらえるようになればうれしい」と語った。
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■4月4日に親善見学ツアー実施
畑中さんは4月4日(火)に、京都橘大学での親善見学ツアーを予定している。
「学生版蟻の熊野詣」実現のために、学生をもてなす各事業者などが対象で定員は約20人。当日は貸し切りバスで同大へ向かい、午前中は関係者らと交流を深める。午後は自由時間を設けるとし、ツアー自体は日帰りとなる。
畑中さんは「観光は受け入れる人で大きな差ができる。これだけの熱意を持った人たちが学生を歓迎しているということや、町についてPRしていただけたら」と話している。
(2023年3月5日付紙面より)
市長、教委が意見交換 (新宮市総合教育会議 )
令和4年度新宮市総合教育会議(議長・田岡実千年市長、6人)が2月27日、市役所別館であった。中学校統合に向けた経過や市文化複合施設「丹鶴ホール」の活用状況などについて当局が報告。委員らが質問や意見交換するなどした。
同会議は「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」の一部改正(2015年4月1日施行)に伴い、市長と教育委員会が十分な意思疎通を図り、市の教育の課題やあるべき姿を共有し、同じ方向性の下に連携して教育行政を推進していくために設けられている。
会議には田岡市長、速水盛康教育長、中村八十八さん、鈴森早有美さん、石原貞代さんの3人の委員らが出席。開催に当たり田岡市長が「本年度も学校運営をはじめ各所管業務において、新型コロナウイルス感染症の影響により、難しい対応を迫られる中で柔軟に対応いただいた」と感謝を伝えた。
当局は、GIGAスクール構想に伴う1人1台端末の活用について説明。「一斉」「個別」「協働」のそれぞれの学習場面から、その活用状況を報告し、情報モラル的観点や長時間使用に伴う健康被害に対して「使用に当たっては各校で使用時間やルール作りも進んでいる。持ち帰りの際には電源を入れる時間帯を設定することができる」などと話した。
緑丘・城南中学校の統合に関して、当局は経過やスケジュール案を説明。「必要事項は保護者の皆さんに適宜報告していきたい」と述べた。田岡市長は「広報が足りていない可能性もあるのでは。保護者だけではなく市民全体への広報活動も必要では」と意見した。また、委員からは「説明会にもっと来ていただける取り組みを」といった声もあった。
当局は「丹鶴ホール」における令和4年度の主な市主催事業や活用状況を報告。文化ホールの稼働実績について、全日の利用率は55・8%、土・日・祝日は79・6%。図書館の利用状況(~1月31日)は入館者数7万4912人、貸し出し実績(同)は2万7801人であったと話した。委員は「いろいろなアーティストの人に来ていただき、多くの市民が鑑賞できれば」「2月19日の人権啓発映画上映会はとても良かった」などと意見。
当局は「昨年10月のBRAHMANのコンサートの際には、ホテルも予約しづらい状況だったと聞いている。3月5日に実施予定の声優朗読劇に関しても関東方面の人からも問い合わせを頂いており、地域活性化にも役立っていると感じている」などと報告した。
(2023年3月5日付紙面より)
卒業後も一緒に制作 (紀南高校元美術部の室未来さん、久保桜さん )
1日に県立紀南高校を卒業した室未来さん(18)と久保桜さん(17)。翌日からも、御浜町阿田和の道の駅「パーク七里御浜」正面玄関で「シャッターアート」の制作を続けた。
2人は元美術部。卒業記念に、2月中旬から熊野地方の観光案内図をシャッターに描いてきた。作業は来年度も続く予定で「私たちは地図を完成させて、名所や観光地の絵は後輩たちに託します。全て完成したら見に来たい」と笑顔を見せた。
正面玄関にある案内図が老朽化したことから、パーク七里御浜が「使わないシャッターや壁に新しい地図を描いてほしい」と依頼したことが始まり。
平日の午前中、高さ3㍍、幅1・8㍍ほどのシャッターをキャンバスに、脚立に乗ったり、しゃがんだりして筆を進め、熊野灘を青色、陸地をクマノザクラのピンク、熊野古道を茶色で描いた。
古い案内図は、旧鵜殿村などが描かれていて、観光施設の情報も少ないことから、道の駅「紀宝町ウミガメ公園」、飛雪の滝キャンプ場などを新たに追加する予定だ。
進学、就職を控え、3日が2人そろっての最後の作業となった。美術部で出会い、3年間を共に過ごしてきた。高校生活を終え、室さんは「コロナで1年生の1学期はほとんど通学できなかった。学校が再開してからは、いろいろな作品を作った」、久保さんは「絵が好きなので入部した。出品期限が迫ったときは放課後に残って仕上げた。楽しい3年間でした」と振り返った。
案内図の続きは、新3年生にバトンタッチし、別々の道を歩む2人は自分たちの〝新しい地図〟を描いていく。
(2023年3月5日付紙面より)