平安時代の熊野詣でを再現する「あげいん熊野詣」(同実行委員会主催)が22日、那智勝浦町立市野々小学校の体育館で催された。台風21号の影響で予定を大幅に変更し、約100人が館内で行列をつくって歩いた。
「あげいん熊野詣」は1985年から始まったイベント。34回と最も多く熊野を訪れたという平安時代末期の後白河法皇の「熊野御幸」をモデルにしている。華やかな衣装を着た女性を中心に、平重盛、平維盛など熊野詣でゆかりの武士に扮(ふん)した男性も加わって大門坂を歩くのが本来のイベント。
今年は台風の影響で熊野那智大社と那智山青岸渡寺の参拝を中止するなど大きく短縮した。参加者は記念撮影した後、行列の雰囲気を体験してもらおうと体育館内を2周歩いた。神武天皇陵がある奈良県橿原市の職員4人もゲスト参加。後白河法皇役は県商工労働部の山西毅治部長が務めた。
長雄正紘実行委員長は「台風さえなければ。いろんなことが重なったが、キャンセルは少なかった。また来年来てくれるきっかけになれば」と次回への期待を込めた。
(2017年10月25日付紙面より)
きのくに線のアート巡る (紀の国トレイナート )
JRきのくに線の駅舎を舞台に展開するアートプロジェクト「紀の国トレイナート」(同実行委員会主催)が開かれている。29日(日)は「アート鑑賞列車DAY」で、ラッピングデザイン列車が御坊駅を出発。新宮駅までを巡り、戻りは紀伊田辺駅まで運行する予定となっている。
トレイナートは「トレイン(列車)」と「アート(芸術)」を組み合わせた造語で、きのくに線の駅舎にさまざまなジャンルのアーティストが作品を展開して楽しむイベント。地域の人々とアーティストが共に生み出した作品を鉄道がつなぎ、交流を深め、全世界から人々を引きつけて多種多様なネットワークがつながる場となることを目指している。
15日は「JAZZ列車DAY」のテーマで紀の国トレイナート号が紀伊田辺駅を出発。御坊駅~新宮駅、新宮駅~紀伊田辺駅を運行した。JR新宮駅では昨年、ジャズトランペッターの唐口一之さんとコラボレーションした新宮高校吹奏楽部メンバーが乗客らを演奏で出迎えた。
大阪府のデザイナー、河合進さんによる作品「水平線から手を振って」を使ったしゃぼん玉ワークショップもあった。子どもたちが魚型の作品を手に取り、尾ひれの部分に液を付けて手を振るとしゃぼん玉が作られた。
和深駅~新宮駅間ではさまざまなアーティストによる作品が展開されている。紀の国トレイナート開催期間は29日(日)まで。
(2017年10月25日付紙面より)
11月1日から町営バス (那智勝浦町 )
交通不便地域を解消しようと那智勝浦町は、町営バス下里線の運行を11月1日(水)から開始する。新路線の停留所となる同町役場下里出張所で20日、運行開始記念式典があった。太田地区の大江清一代表区長をはじめ路線内の各地区区長、運行委託事業者の株式会社クリスタルタクシー代表取締役・田中英司さんらが出席した。
バスは浦神東から下里天満で折り返し、下里出張所で太田線と接合する。小匠方面、勝浦方面へは乗り換えが必要。浦神東~瀬田、粉白~下里西は「フリー乗降区間」となっており、国道や駐停車禁止区域などでなければ停留所以外でも合図を送ることで乗り降りができる。
式典では寺本眞一町長のあいさつに続き、浦神西の並川廣区長が「地区の高齢者が喜んでいる。利用の多い高齢者目線での運行を」と求め、大江区長は中里地区の利用例などを示し「乗客が少ない日もあるかと思うが、無くてはならないもの」と述べた。
(2017年10月25日付紙面より)
橋杭岩が日本夜景遺産に (串本町 )
串本町は20日に栃木県足利市で開かれたイベント「夜景サミット2017in足利」に出席し、橋杭岩ライトアップの日本夜景遺産認定証を受けた。これにより正式認定となり、同町は「町を代表する観光資源にさらなる箔(はく)が付いた」と喜び、称号活用に意気込んでいる。
この遺産は、一般社団法人夜景観光コンベンション・ビューローが年次的に自治体などから推薦を受け付けて選考認定している。本年度で13回目を数え、「橋杭岩ライトアップ」は同町の推薦により7月31日付で本年度の新規認定地候補として発表された。
同町は認定証の受領が正式認定の条件とし、役場産業課の担当職員1人を同イベントに派遣。イベント会場でじかに授与を受けて称号を持ち帰った。区分は「ライトアップ夜景遺産」で、認定期日は上記発表日。同ビューローによる当面のアピール効果が期待できるが、中長期的には地元が称号活用を図るべきとし、同課はこの機に観光関係者との協議を深めてアイデアを練り上げたという。認定書は原本を役場本庁で保管し、写しを同駅に掲げて啓もうに資するとしている。
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本年度の橋杭岩ライトアップは11月3日(金・祝)から5日(日)まで3日間実施。点灯時間は午後5時15分~8時となっている。小雨決行、荒天中止。
「紀伊山地の霊場と参詣道」の世界文化遺産登録(平成16年)を祝って初実施され、平成17年以降は同町が単独事業として継承。当初は単色だった光源が近年は多色化されるなど演出は年々充実していて、虹色に映ろう幻想的な光景で鑑賞を集めている。
同遺産認定は本年度の同ライトアップの冠になっているが、具体的な祝賀企画は今月23日現在未定。問い合わせは役場産業課(電話0735・62・0557)まで。
(2017年10月25日付紙面より)
那智勝浦町総体ソフトバレー
大鳥居をライトアップ (ピンクリボン紀南 )
田辺市本宮町の熊野本宮大社の旧社地大斎原(おおゆのはら)の大鳥居が8日夜、ピンク色に染まった。ピンクリボン運動団体「ピンクリボン紀南」が、乳がん検診を呼び掛ける運動の一つとしてライトアップした。和歌山県臨床検査技術師会が共催。県、田辺市、新宮市、田辺市医師会、新宮市医師会などが後援。
女性の12人に1人が乳がんになるといわれる現代社会。乳がんで死亡する人が増加傾向にあるが、早期発見で治療すると約90%が治るとされている。このため、検診の大切さを呼び掛けようと毎年この時期にイベントを開催している。
ライトアップは夕闇が迫る午後6時から始まり、サーチライトが大鳥居を照らすと、ピンク色に染まり幻想的な光景が浮かび上がった。大鳥居に続く参道には見学者が訪れ、写真撮影するなど関心を寄せていた。
この日は、熊野本宮大社近くの熊野古道を歩くウオーキングや、世界遺産熊野本宮館でシンガーソングライターの松田陽子さんのコンサート、白浜はまゆう病院の粉川庸三医師による講演会も行われ、乳がん検診の大切さを訴えた。
(2017年10月12日付紙面より)
新宮市街地で捕獲
新宮市下田の運送会社倉庫で7日午前9時30分ごろ、イノシシが出没。連絡を受け駆け付けた鳥獣保護員の下忠文さん(69)=同市磐盾=が捕獲した。下さんは「山の近くでは頻繁に出没しているが市街地では珍しい。攻撃してくるケースもあるので、発見したら市役所農林水産課か警察に連絡してほしい」と呼び掛けている。
捕獲されたイノシシは体長約1㍍、重さ約20㌔のオス。発見者が警察に連絡。同課職員と下さんが駆け付けたところ倉庫の隅でうずくまっていた。暴れると危険なため、イノシシはその場で殺処分し、同市熊野川町の市有林に埋めた。
同課によると、今年8月から市内の相筋から五新までの千穂ヶ峰沿いでイノシシなどの出没情報が増えていて、民家の畑で被害が出ている。同課は『イノシシ・サル等が住宅地に出没したときの初動対応マニュアル』を作成していて、警察と連携し対処している。
市内の鳥獣保護員は下さんを含め2人。イノシシだけではなく、シカ、サル、アナグマなどの出没情報が毎日のように入り捕獲している。下さんは「今回のイノシシは、夜にエサを求めて鴻田付近の山から住宅地に入ったところ、人や車に遭い、逃げているうちに市街地に迷い込んだのではないか。イノシシなどを見かけてもエサだけは絶対に与えないでほしい」と話していた。
(2017年10月12日付紙面より)
那智勝浦町消防本部が合同訓練
那智勝浦町の勝浦港内の渡の島周辺海域で8日、同町消防本部(湯川辰也署長)、同町消防団本部(貝岐昌志団長)と第2分団(裏東芳樹分団長)が「消防本部、消防団合同火災水難救助対応訓練」を実施した。署員、団員25人が、船舶火災の消火、水難者の救助対応など、互いの連携強化と技術の向上を図った。
団員らは、消防艇「はくりゅう」に乗り込み渡の島東側から出動した。同西側海域で出火した船舶へ放水消火訓練、観光桟橋から転落した漂流者や船舶から海中へ転落した行方不明者を想定した救助訓練を実施。訓練後には、事後検討会を開いた。
貝岐団長は「勝浦港は、日本有数の漁港や巨大宿泊施設、紀の松島などの観光名所が集まった場所。幸い周辺での事故はないが、災害はいつ来るかわからない。両機関の連携を強化し、安心して過ごせる町に」と話していた。
(2017年10月12日付紙面より)
高瀬会明神小交流運動会 (古座川町 )
古座川町高瀬にある社会福祉法人高瀬会(切士桂理事長)の老人保健施設で6日、第17回高瀬会・明神小学校交流運動会があり、同法人利用者や児童教職員らが一丸になって各種目への挑戦で盛り上がった。
季節感豊かな日々の創出を目指して取り入れている四季折々の恒例諸行事の一つ。明神小(速水直樹校長、児童18人)は地域交流の一環で学校を挙げて、高瀬地区の高齢者有志や同地区担当の民生委員も招待を受けて参加し開会を迎えた。
例年は高瀬若者広場を会場にしているが、今年は当日雨天のため屋内で実施。利用者は約110人が参加し、主催者を代表して切士知憲施設長は「いつもよりコンパクトな分、見やすく応援もしやすくていいのかなと思う。けがだけはしないよう気をつけて楽しい運動会になればと思う」と述べて一同の奮起を促した。
プログラム数は6で、利用者と児童教職員は赤、白、青の混合3ブロックを結成。パン食い競争では利用者と児童教職員がペアで、玉入れはブロック一丸で対戦。輪投げは児童がブロックごとに一丸の応援で盛り上げる中、利用者や地域高齢者、高瀬会職員や教職員が順次挑戦した。
同法人職員も適時飛び入りで種目に挑み、にわかに高まる難度に負けず挑む姿で場を盛り上げたほか、最後は明神小児童が21日(土)の明神地区秋季大運動会に向けて練習しているダンスを先行披露し、利用者らは拍手で頑張りをたたえた。
ブロック対抗戦の結果は赤ブロックの優勝で、利用者と児童の各代表が切士施設長からトロフィーを受け取り、喜びを分かち合った。同法人から児童に文具のプレゼントが贈られ、児童を代表して宮下響君(6年)は「あいにくの雨でリレーなどはできなかったけど、皆さんと一緒に玉入れがやれたことは特に楽しかった。これからも楽しく長生きしてください」とあいさつして運動会を締めくくった。
(2017年10月12日付紙面より)
セレッソスクールコーチの教室も開催
点検・整備後に各地区へ (熊野速玉大社 )
新宮市の熊野速玉大社(上野顯宮司)で5日早朝、秋の例大祭「御船祭」で使用する早船9隻が、各地区のこぎ手や関係者らにより蔵出しされた。
早船は長さ8・9㍍、幅は広いところで1・4㍍。スギ、ヒノキ、カシ、ケヤキの4種類を使用。点検・整備をした後、8日(日)、9日(月・祝)に、出船する各地区へと引き渡される。
御船祭は昨年3月に国の重要無形民俗文化財に指定された「新宮の速玉祭・御燈祭」に含まれている。早船競漕(きょうそう)は16日(月)の午後4時30分ごろ、神輿(みこし)で市内を巡幸した御神霊が熊野川河原で神幸船に遷御された後、旧丹鶴小学校下の河原に設けられた下札場(しもふだば)からスタート。熊野川をさかのぼり約1・6㌔上流にある御船島を3周し、同市相筋河原の上札場(かみふだば)を目指す。
11日(水)午後7時から、スタート位置を決める旗番抽選会が同大社双鶴殿で開かれ、同時に3年に1度行われる船番抽選(使用は平成30年から3年)も実施される。
今年の出船は、相筋、阿須賀、王子、春日、神倉、丹鶴、千穂、堤防、明神の9地区。昨年の優勝は阿須賀区で、記録は14分18秒。2位は王子区、3位は御幸区だった。
(2017年10月6日付紙面より)
全国一斉キャンペーンで呼び掛ける (新宮市 )
「里親の日」の4日、新宮市橋本のイオン新宮店で里親制度の啓発活動があった。紀南児童相談所新宮分室の職員やファミリーホームクローバーの家の職員など7人がチラシやポケットティッシュを配布し、買い物客らに呼び掛けた。
活動は特定非営利活動法人日本こども支援協会が里親制度の認知度向上、里親の担い手不足を解消しようと企画した全国一斉里親制度啓発「One Loveキャンペーン」の一環として、市内では今回初めての実施となった。
同企画は里親制度の説明と社会的養護の現状が書かれたハート型のチラシを全国で一斉配布することにより一層の相乗効果を起こす目的。社会的養護の子どもの数と同じ4万5000枚が用意され、各地区の子どもと同じ枚数が配られた。チラシには「これだけ、この地域に養護されている子どもがおり、この子たちのハートを受け取ったあなたにこの子の未来が託されている」というメッセージを込めている。
イオン新宮店では里親制度を周知するのぼり旗を立てて活動を実施した。クローバーの家の荒木博和理事長は「里親制度はあまり知られておらず、このように一斉に活動することに意味があると思います。毎年継続していきたい」。
参加した社会福祉法人和歌山県福祉事業団本部・里親支援センターの平野雅裕センター長は「里親制度について認知度が低く、知ってもらいたいです。県内では施設やファミリーホーム、里親の下で暮らす子どもたちが500人おり、みなべ町以南は70人ほど。国もファミリーホームや里親など児童養護施設の小規模化と、より家庭的な環境で育てられる子どもたちを増やしていくことを目標としています。キャンペーンを通じて受け皿となる里親を増やしていきたい」と話していた。
(2017年10月6日付紙面より)
図書館講座で山﨑泰さん講演 (新宮市 )
新宮市立図書館で4日、図書館講座があり、元同館司書の山﨑泰さんが「大逆事件の余波」をテーマに講演した。山﨑さんは、事件に直接関与しなかったが、大きな影響を受けた熊野と縁のある人々を紹介した。
明治天皇暗殺を企てたとして1911(明治44)年、12人が絞首刑、12人が無期懲役となった「大逆事件」。現在の研究では大逆罪に名を借りた社会主義者らへの弾圧で、国家によるでっち上げであったことが明らかになっている。熊野地域からは大石誠之助ら6人の犠牲者が出ている。
叔父誠之助が親代わりだった西村伊作は、国策の「良妻賢母」を徹底して嫌い、長女アヤの小学校卒業を機に、東京に日本初、男女共学の文化学院を設立した。誠之助と交流のあった与謝野晶子は、伊作の考えに共感し、学院で『源氏物語』を教えた。
誠之助が仲人した社交ダンスの草分け玉置真吉は事件後、九重小学校教員を退職に追い込まれ、のちに文化学院事務長に就任。その時ダンスに出会い、当時、上流階級で流行していたダンスを庶民に普及させた。
事件で犠牲となった古河力作が勤務していた東京・滝野川の西洋草花店『康楽園』の経営者・印東熊児は、父が新宮藩士で、母は東くめのいとこ。佐藤春夫の家(現在の佐藤春夫記念館)を設計した誠之助の末弟・大石七分や春夫が、大正時代の社会主義者のリーダー大杉栄と親しかったことなども紹介。山﨑さんは、反体制的な思想を持つ人物が熊野地域から多く出ている原因は、誠之助の影響だけではなく、風土もあると分析した。
管野須賀子や荒畑寒村が記者として活躍した『牟婁新報』の発行者、毛利柴庵は、新宮生まれ新宮育ち。誠之助の自宅が新宮支局だった。
同紙で神社合祀(ごうし)反対を訴えた南方熊楠は、「大逆事件」について「神社破滅のもっとも行われたる新宮町に、大逆徒の六名まで集まりしは、なお一層の研究を要すというも、相当の理由あり」と『和歌山新報』で書いている。
山﨑さんは、熊楠が事件の犠牲者たちに冷淡だった理由について、近所に住んでいた管野が神社合祀反対運動を冷笑したことや、海外留学時代に差別的扱いを受け、帰国後、天皇を特別視するようになったためではないかと推測した。
(2017年10月6日付紙面より)
22日まで、熊野那智大社で (那智勝浦町 )
創建1700年式年大祭(14日・土)に伴い、那智勝浦町の熊野那智大社(男成洋三宮司)宝物殿で4日、企画展「熊野曼荼羅(まんだら)」が始まった。鎌倉時代から室町時代制作の貴重な曼荼羅を期間限定で22日(日)まで展示する。開催中の熊野十二所権現古神像などの特別展・後期は、12月31日(日)まで。入場料は300円、小・中学生200円(未就学児は無料)。時間は午前8時30分~午後4時。
特別展後期の展示品は国指定、県指定重要文化財を含む82点。天正9(1580)年の戦火で羅災した堂舎を豊臣家が願主となり復興造営をした際に作られた古神像7体(8体は前期展示)のほか、国指定文化財の『豊臣秀頼宛書状』、秀頼奉納品、同大社の由緒を記した『熊野山略記・那智の巻』や『那智山本社末社図写し』、三十三所巡礼の中興の祖といわれる花山法皇の遺物など。
企画展「熊野曼荼羅」として、熊野信仰布教の絵説きに用いられた県指定文化財『那智山宮曼荼羅』、仏の姿の熊野権現を表す厨子(ずし)入り『熊野本地仏曼荼羅図』、『熊野垂迹神曼荼羅図』を加え展示している。
京都府京丹後市から訪れた参拝客の西山浩さん(57)は「20代のころから、いつか熊野へ行ってみたいと思っていました。歴史が好きなので、曼荼羅を見て感激しました。」と話していた。
(2017年10月6日付紙面より)